真実
学校帰りからすっ飛んできたが福だが、問題の廃屋にたどり着いた頃には日はすっかり暮れていた。内部に複数の人間の気配がする。福は携帯に付いている弱いライトで、慎重にあたりを照らしながら2階に向かった。階段からこっそりフロア部分を覗いてみる。闇の中で何かがうごめいていた。影が床に横たわりうねうね上下している。同時に押し殺した苦しそうな息遣いも聞こえる。一人二人ではない。少なくとも20人はいる。
「こ、こんなに大勢?」
福の額、頬と汗が伝う。もう11月も末なのに、汗が引っ切り無しに滴り落ちる。その時、声が闇に響き渡った。
「おーい。発電機、修理できたぞー」
急に周りが明るくなった。フロアの照明が付いたのだ。腕立て、ベンツプレスから男達が起き上がる。
「おーう」
野太い声だ。苦しげにダンベルを上下させていた男の声だった。
「はっ、はいっ? なに? これ?」
一団の中にはすっかり小麦色になり、贅肉が落ち、筋肉質になった大志もいる。その時、以前に聞いた覚えのある声が聞こえた。
「みんなぁ! 今日もプロテインで栄養補給ばっちりッスかぁ?」
「ウィーッス!」
一列に並んだマッチョ達が一斉に松千代に応える。
「じゃ、食事に手をつけないって……」
筋肉を鍛える為の栄養補給としてプロテインばっか飲んでたって事じゃない?
さらに、この2階フロア全体がマッチョの熱気で暑苦しい。
「いままで流れてたのは冷や汗じゃなくて、ほんとに暑かったからぁ?」
唖然とする福にまったく気が付かず、松千代が続ける。
「よーし。じゃ、生きた筋肉を培う為に、今日もエアロビポージングやるッス! 曲はぁぁぁ、village peopleのMacho Man !」
目が点を通り越してはにわの様になった福の耳に、軽快なディスコミュージックが流れ込んできた。
♪Macho, macho man
「はいぃぃ、サイドチェストぉぉおッス!」
ぐいいーん。【筋肉が盛り上がる音】
♪I've got to be, a macho man
「大胸筋意識してェェッス!」
ムキムキッ。【胸の筋肉が動く音】
♪Macho, macho man
「笑顔ーッス!」
ニカッ。
「き……きしょい……」
夜中の廃屋で集団のマッチョがエアロビ……ある意味祟られるより怖い。そして、このエアロビの動きで室内の空気がかき回される。
「あ、汗くさぁぁぁっ!」
たまらず福が悲鳴を上げた。
「あんた……とんでもない奴、連れて来てくれたねぇ……」
いつの間にか涼が福の傍らに立っていた。涼の話だと、あの日、あの後、涼と松千代は近くの茂みで大志を追い詰めたのだそうだ。
涼はその時の詳細を語りだした……。
「ひグヴぁぁぁ! た、たしゅけてくらさい! お金なら全部あげましゅぅ! 食べるなら女の子の方がおいしいでしょぉぉ!」
腰を抜かしてへたり込んだ大志が、情けない悲鳴を上げる。涙、鼻水、よだれ、失禁、に続き、ついに大志はこの時、脱糞までした。
「あいにくだけどねぇえ。悪霊に賄賂は通じないわよー、ボーヤ。松千代、やっておしまい! あら、ちょっと悪の女幹部気分♪」
しかし、松千代は動かなかった。涼の後ろで怒りのオーラを燃やしながら仁王立ちになっていた。
「……ちょっと、あんた」
「ウオー! 貴様それでも男ッスか!? 女ほったらかして、ひとりで逃げた上に身代わりに差し出そうだなんて、それでも日本男児ッスか!?」
握った拳が怒りで震えている。
「い、いや。別に日本男児でなくとも殺っちゃえば合格なんだからサ」
「教官! ここは自分にまかせて欲しいッス!」
松千代は嫌がる大志を2階まで無理やり引きずって来ると、ベンチプレス台に投げ出した。そして片手でそばにあったバーベルを台にセットすると大志に向き直って言った。
「さあ。上げてみるッス」
「へぇ? うーん」
しかし、虚弱な大志の腕ではバーベルはピクリとも動かなかった。
「なにをやってるッスか! まだ30㎏ッス。小学生でも上がるッスよ! 20㎏に落としたッス。気合を入れるッス」
「無理ですよぉ。僕、体弱くて運動なんかできないんだから」
「できないんじゃ無いッス。しないだけッス。弱いなら弱いなりの鍛え方があるッス。お前がまず鍛えなけりゃならないのは、理由をつけて全てから逃げるその弱い心ッス!」
「はッ! 僕は……。僕は……」
何かに打たれたように大志の顔色が変わり、情けない泣き顔から真顔になる。
「あのさぁ、あんたってば、いったい何を……」
「教官はちょっと黙ってて欲しいッス!」
「ハイ……」
「ウーン!」
弱々しくも大志はバーベルを持ち上げた。そして震えながら元の位置に戻すと、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「やった! やりましたよっ、コーチ!」
うなずく松千代の目から光るもの流れ落ちた。
その時から松千代は大志を鍛えだしたのだと言う。最初は青息吐息だった太志も、成果が上がるにつれてボディビルにのめり込み、今では同好の士20数名と毎夜トレーニングに勤しんでいる。
「あたしゃもう、完全にお手上げ。ばんざい。降参。さじ投げの競技があったら世界記録だせるわね」
「悪霊になれなかったら、あのおやじ、どうなんの?」
なんの感情の起伏もこもらぬ声で、福が涼に聞く。
「そおねぇ……。自殺してるから当分成仏はできないでしょうし。悪霊じゃないし……。指導霊? ボディビル専門の」
いやな指導霊だな。夜中に枕元に立たれて『ボディビルやらないッスかー?』とか言われた日には……。
「ま、どっちにしろ『変な霊』だわね。ま、良かったわ。あたしもこれでこの仕事から解放されたし」
そう言うと涼はスウッと消えてしまった。
「あ、福ちゃん」
いつの間にか曲が終わり、福に気が付いた大志が近づいてきた。近くで見ると以前に比べすっかり胸板が厚くなり、上目遣いの自信なさげな目付きも、まっすぐ人を見る精悍なまなざしに変わっている。
「福ちゃん。来てくれたんだ」
「いや……来たって言うか。通りがかり?」
こんな辺鄙な場所を、偶然、通りがかる奴はいないだろう。
「言ってくれれば車で迎えに行ったのに」
どうやら大志達は、最初にこの建物の周りを整理し、車で通えるようにしたらしい。
「僕……君には感謝しているんだ。こんなすばらしい世界とコーチを紹介してくれて」
「紹介したわけじゃねーし」
厄介払いしようとしただけだし。
「今じゃ、こんなに仲間も増えて。そうだ、福ちゃんも一緒にやらない?」
「え? 筋トレは好きだけど……その体はちょっと……」
この声を聞きつけ、松千代がこちらに暑苦しい笑顔を向けながら言う。
「筋トレが好き。明日からは女性ビルダーも一緒……ッスかな?」
……非常に早いことを逃げていくウサギにたとえて脱兎のごとくと言う。しかしこの時の福はウサギをはるかに超え、鹿、狼、虎をも凌駕し、動物界最速のチーターにせまる勢いで逃げ出して行った。