夜中にふたりで
数日後。例の廃屋は夜の帷と虫の声に包まれていた。時刻は午後九時。上空には感激するほどでもない都会の星空。そして今夜も熱帯夜だ。
「ちょっとぉ、まってよ福ちゃん」
男の声だ。いかにも頼りないふにゃふにゃした声。必死に歩くその声の主よりだいぶ先行して福が歩いている。福さんや。
「ん?」
あのー。この男はお前とどう言う関係なんだ?
「ああ、こいつ? 恭二屋 太志って言って、一応、彼氏だよ」
し、しかしだな。身長こそ平均を上回って175cmほどあるが、横幅が広いおかげで長身には見えんし、おまけに運動とは無縁であることが一目で判る、なよっとした腕、ぼてっとした腹、ポチャっとした顔。黒縁めがねにナチュラルヘアー。つまり、一口で言うと『いけてないデブ』ではないか。
「そのとーり」
その通りって……素朴な疑問を口にしてよいかな?
「なによ」
なんでこんなのと付き合ってんの?
「こいつ元あたしのストーカーでさぁ。学校の行き帰りとかに壁の影から覗いてたりしてたんだよね」
はあ? ますます訳わからん。
「あたしそれに気付いてとっちめたんだけど、その時にこいつの家が金持ちだって分かって……」
で、付き合う事にしたのか……さいてー。
「なによー。世の中、全てギブアンドテイクでしょ」
じゃおまえは彼に何を与えてんだよ。
「かわいい女の子と付き合ってるって言う称号」
あほう。
ちなみに、こいつの身分はなんだ。見様によっては中年のサラリーマンにも見えるが……
「んー。たしか十九歳の大学一年生だよ。結構、いいとこの」
頭良さそうには見えないけどなぁ。
「体が弱くて本ばかり読んでたんだって。時々、呼び出してバックとか買って貰うんだけど、最近、図に乗ってんだよね」
図に乗ってる?
「こないだバック3個と引き換えにキスしたんだけど、そん時に胸触りやがって。むかついたから正拳で前歯三本へし折った」
こいつ、よくまだ福と付き合ってるな……ある意味、根性があるのかもしらん。
今日の福も前回と同様、ホットパンツにワークシャツである。夜なのでキャップは被っていないが、ハンドライトが握られた手には、やはり、フィンガーレスグローブがはめられている。
ところでそのグローブだがな。藪で手を切るのが嫌なだけなら軍手を使えば良いではないか。なんでケプラー製の防刃グローブなんだ?
「えへ。ばれた?」
作者を甘く見てはいけない。しかも、ナックル部分の皮下には鉄片が仕込まれているな。こんなもので殴られれば前歯三本くらい飛ぶわ。
「ファッションだよー。ファッション」
戦闘に特化したファッションだ。
大志はと言うとGパンにTシャツ。半そでのサマージャンパーは暑いので手に持っている。もう片方の手には電池式のランタン。足元は普通のスニーカーだ。大小の石がゴロゴロしているこのあたりでは、福が履くジャングルブーツのように足首が固定されないと歩きにくい。もともと福の方が足が速いのだが、そのせいもあって彼女より歩みが遅れ気味だ。
「おそーい。さっさと来てよねー。でぶチンなんだから、もう」
先行して歩く福がいらいらして毒づく。さっき、大志とキスしたと言ってたよなあ。福。
「うん」
AVスタッフは半殺しにしたみたいだけど、キスはいいんだ?
「キスなんて口くっつけるだけじゃない。あたし、口って食べる事と喋る事がメインだと思ってるから。そりゃ、他人の唾は汚いと思うけど、それでバックみっつなら儲け、儲け」
人類が紀元前から営んできた愛の儀式をたった10秒で否定しやがったな。涼にキスされた時はホッペで赤くなってたくせに。
「あれは……いきなりだったし。霊だったし、女の人だったから……」
なんだ。そーゆー趣味が……。
「ちげーよぅ! びっくりしただけだってば」
ふーん。じゃあ、キス以降はどうなんだ?
「キス以降……って、その、えっ、Hって事?」
そうだな。はっきり言うとペッティングとセック……
「エヘン。それはいや。そこから先は未来のだんなさまのものだもん」
バック3個で簡単に唇を許す軽薄さに比べて、この顔を赤らめる程の純情さは……。おまえの貞操観念はどうなっとんじゃ?
そろそろ廃屋の入り口が間近だ。
「ハァッ。ハァッ。ハァッ」
大志の荒い息遣いが暗闇の中に聞こえる。
「今日は。今日こそは」
蒸気した頬をつたう汗を拭き拭き、息を切らせながら大志が小声でつぶやく。福に夜誘われて今日は最後までいけそうな気がしているらしい。ものすごくあわれな勘違いである。




