そういえば昔、レストランで働いていました。
むかし、あるレストランによく働く草介という者がおりました。
暇があれば掃除をしたり、早め早めに仕事を片付けて
アルバイトといえど手を抜かず真面目に取り組んでいたのです。
そんなある日…
お昼どきに、背中の曲がった白髪のお婆さんが一人で来店しました。
レストランは大体11時半すぎから、サラリーマンや近くに住む主婦たちで溢れかえります。
草介は、お婆さんに丁寧に声を掛けました。
「今、満席ですみません
こちらでお待ちください」
出入口の隅にある丸い椅子に案内すると、草介を見上げてにっこり微笑み、ゆっくりと腰を下ろしました。
他に待っているお客さんはいませんが、ちょうど満席になったばかりで待ち時間が長くなりそうです。
メニューを差し出し「お名前をお伺いしてもよろしいですか?」と言いました。
すると、お婆さんは「うんうん、いいよーいいよー」と答えます。
再度お名前を…と尋ねましたが、耳が遠いのか頷くだけでした。
お婆さんは、以前も来店していた気がしますが
なにせお客様が多いので名前まで覚えていられません。
確か、お孫さんとチョコレートパフェを食べていた気がします。
草介は仕方なくウェイティングシートに
【上様 1名】と書きました。
ピンポーンと連続して、店員を呼ぶベルが鳴りました。
天井に吊り下げられた掲示板を見ると、番号が点滅しています。
《66》……《66》……
《38》……《38》………
2つの卓番号がピコピコしています。
点滅する席を見ると、家族連れの母親とやたらと声の大きいおばちゃん3人組が、今か今かと待っています。
66卓へ向かう途中、1人席に座る男性に
「水、お願い」と言われました。
「すみません、お客様にセルフでお願いしてます」と丁寧に断りました。
男性は「あっそうか。ごめんね」と謝ってくれました。
とりあえず点滅する席へ急がないといけません。
一度呼んでも店員が来てくれない
だからもう一度ベルを押す。
番号がピコピコしているということは、お客様が
「さっさと来い」と言っているのと同じなのです。
途中、注文したそうな顔のお爺さんが視界に入りましたが、気付かないフリをして66卓へ辿り着きました。
こういうときは優先順位をつけて、そつなくこなすしかありません。
アルバイトの女の子が来るまで、あと少し気の利かない店員を演じようと思いました。
「お待たせしてすみません」
「ランチのAセットひとつ
ご飯大盛りで
あと、子供の皿もお願いします」
家族連れの女性は、草介の方を見てニコッとする
感じのよい人でしたが「Cセットでいいんでしょ?」
と向かいに座る旦那さんには、冷たい対応で笑ってしまいそうになりました。
気弱そうな中年の男性は頷きます。
「AセットとCセットですね!
少々お待ちくださいませ!」
草介は元気よく対応しました。
次に38卓へ向かいます。
おばちゃん達も、愛想良く対応してくれました。
たかがランチに入ったファミリーレストランの店員に笑顔を見せて優しくしてくれるとは…なんだか胸が熱くなりました。
しかも、全員Bセットという覚えやすさでした。
草介は、ハンディという注文をとる小さい機械の扱いが苦手なので、メモ帳に書いて口頭で調理場に伝えています。
調理長は昔気質のする年配の男性で「声がデカいからハンディより良いわ」と言ってくれました。
草介は、自分でも少しだけ世渡り上手だと思うのです。
声が小さい若者たちを尻目に、調理長から褒められているのは良い気分でした。
料理提供を促す「お願いしまーす!」の声が聞こえてきます。
この時間は、息つく暇もなくやることが流れてきます。
一気にお客さんが入ってくるので、料理もどんどん出来上がるのです。
温かい料理は冷めると苦情にも発展してしまいますから、草介は急いで運ぶことにしました。
料理の皿を2つ、器用に左手と左手の親指と手の平の付け根に乗せました。そして、右手に1枚。
ウエイターがよくやるスマートな運び方です。
なるべくどこにも視線を飛ばさないように、目的地のテーブルだけを見据えるようにするのがコツなのです。
あちこちチラチラ見ていると、お客さんと目が合ってしまい、今の優先順位を保てなくなります。
ホールを軽やかにこなす為に、長い間働いて身に付けた必殺技なのです。
簡単そうでなかなか難しい仕事だと思っています。
誰にでも出来ると思われているのが、少し癪でした。
お客さんの席へ運ぶと、若い女性は「わーありがとうございます」と喜んでくれました。
ここのホットケーキは、生クリームがねっこりと…それは沢山乗っていて、甘い物がそんなに好きではない草介は見ているだけで胸焼けしてきそうでした。
あと少しでホール担当の女の子も来るはずですが
それまで、次々と出来上がってくる料理を運び続けます。
「すみません!」手を上げているおばさんが
こちらを見ています。
「はい、ただいま参ります」と返答し、40卓へ向かいました。
ただひたすらに…この繰り返しです。
注文を取り、しっかり記入します。
草介は忙しいのは好きでした。
やることが沢山あって生き生きしてくるのです。
「お願いしまーす!」調理場の女性の声に反応して
すぐに戻りました。
Aセット
Bセット
Cセット
色んなセットを待っているお客さんへ届けました。
いつの間にか出勤していたホールの女の子が、さっきの白髪のお婆さんを案内しているのが目に入ってきました。
よーく見ると…帰ったお客さんのお皿を片付けていないテーブルへ案内しているのです。
え…それはマズイだろう…と思いましたが、
責任者でも無い自分が厳しく注意するのも違う気がします。
ホールの女の子は、草介より年下で少し気弱そうな感じがするので、言いたくないなぁと思いました。
すると、女の子はお冷を取りに行ったので、その隙にササッとお婆さんの席まで行って、テーブルの上にある食べ終わったパスタのお皿をさり気なく片付けました。
お婆さんは、ニコニコと微笑んでいました。
胸がギュッとなります。
あのホールの女の子は、耳が遠い年寄りを馬鹿にしているのか。
何も言わないのを良いことにテキトーな扱いをしていることにイライラしました。
何事も無かったかのように、お冷やをテーブルの上に置いているのを見ると、更にイライラが増したのです。
あんな奴と同じ時給なのが許せない
草介はイラッとする気持ちを落ち着けるため
一旦レジまで戻りました。
店員が水分補給できるよう
レジ周りは広くとられています。
お店の配慮に感謝して、草介はレジの前でしゃがみます。
持ってきていたペットボトルの水をガブッと飲みました。
深呼吸をするとだいぶ落ち着いたのです。
ふと、レジの下にある割引券が目に入ります。
それは、次回から使用できるカフェの100円引きのクーポンでした。
草介はそれを一枚取ると丁寧に折ってポケットにしまいました。
「お願いしまーす」
また調理場の女性の声が聞こえました。
草介はペットボトルを片付けて、急ぎ足で受取り口に向かいました。
ホールの女の子は料理を受け取り、近くのテーブルへ運んでいきました。
後ろから「お会計いいかしら?」と声を掛けられました。
「勿論です」と答えると、丁度よく店長がスタッフルームから出てきました。
「私が」と、お帰りになるお客様をレジまで連れて行きました。
いつの間に出勤してきたのか…どうせまた裏でタバコでも吸っていたのだろう。
真面目な草介は、少しだけ皆の振る舞いにイラッとするときがあるのです。
タバコが苦手なお客様もいるだろうが…臭かったらどーするんだ。
テーブルを片付ける前に案内する馬鹿もいる始末…
まったくどうしようもない。
次にやるべきことを探して、目をキョロキョロ動かし仕事を探していると、お帰りになるお客様が一組……二組…と増えていきました。
草介は、店長に「お客様お帰りです!」と分かりやすいように声を掛けました。
それは「そのままレジにいてね」という意味でした。
帰ったテーブルを片付けに行き、慣れた手つきで美しい状態に戻していきます。
洗い物を厨房へ持っていくために振り返ると
レジには誰もいませんでした。
は?
思わず声が出そうでした。
お会計を待っているお客様がいるのです。
店長は?
さっきまでそこにいたというのに…。
ったくよぉ…
草介は洗い物を手に持ちながら、お客様へ声を掛けました。
「すみません!すぐに参ります」
焦りながら伝えると、男性は「あーいいんだよー急がなくて」と優しく言ってくれたのです。
ったく店長の奴!!
使えねぇな!
草介は心の中で叫びました。
イライラしながら洗い物を厨房まで持っていき、
一度手を洗います。
そのままお会計するのはお客様に失礼なのです。
洗っている間に「レジ行きまーす」とホールの女の子の声がしました。
おっせぇよ…と心の中で悪態をつくと、ため息が出てしまいました。
「おぅでっかいため息ついてやがる
どーした?」と調理長が声を掛けてきました。
「あぁ〜アハハッなんでもないですよー」
「あんまり頑張りすぎるなよー」
調理長は帽子を直しながら、キッチンの奥へ戻っていきました。
一見怖そうに見えるのですが、本当は優しい人なのです。
調理長は、いつも賄いを大盛りにしてくれます。
少食の草介は食べきれないで困ってしまうのですが、こないだは飲み物も大きいマグカップに大量に入れてくれました。
気遣いがとても嬉しくて、ホールの忙しさも頑張れます。
よし!と気合いを入れ直し、
注文をとり
料理を運び
お会計をして
片付ける
ランチの忙しい時間は、あっという間に終わりました。
気付くとあの白髪のお婆さん一人だけになっていました。
草介はお婆さんの近くまで行くと「お茶いかがですか?」と話しかけました。
お婆さんはコクコクと頷きました。
無料のほうじ茶をポットからカップに注ぎ、お婆さんのところまで持っていきます。
すると「一緒にどーだい?」と言われてしまいました。
座るわけにもいかず「すみません…また今度」と丁寧に断りました。
お婆さんは残念そうな顔をしていました。
すると、後ろから「チョコレートパフェ下さい!」と
声がしました。
「え?あっ…はい!」
草介は突然話しかけられて驚きましたが、すぐお持ちします!と対応しました。
お孫さんが来たようです。
彼女はお婆さんを気遣ってか横に座っていました。
「パフェ楽しみだね」と優しく話し掛けています。
草介は、チョコレートパフェを作るため厨房に入りました。
デザートと飲み物はホールの担当なのです。
冷凍庫からアイスを取り出し、専用のアイスクリームディッシャーで掬い、生クリームをかけてコーンフレークも入れます。
少しだけ、生クリームとアイスの量を増やしました。
あのお婆さんが汚い席へ案内されていて気分が悪かったのです。
少しでも得をして欲しい…そんな気持ちでした。
さくらんぼを増やすのは無理なので、一つだけ乗せてチョコレートパフェは完成しました。
よし!
店長や他の店員がいないうちに、大盛りパフェをそそくさと運びます。
急いでテーブルへ行くと…
「あっ!きたよ、お婆ちゃん」
お孫さんがチョコレートパフェを見て微笑むと
お婆さんもコクコク頷きました。
「ごゆっくりどうぞ」
と声を掛けてから、そっとテーブルの隅に先ほどの割引券を置きました。
100円引きでも、ないよりは良いと思ったのです。
すると、それを見てお孫さんは言いました。
「一緒に食べようパパ」
「え?
……………
あぁ………………………そうだね」
草介は言いました。
「今日も真面目に働いていましたよ」
いつの間にか、後ろに立っていた男性が言いました。
「ありがとうございます。
パスタもたいへん美味しかったです」
お婆さんはハッキリした声で言いました。
「草介さん、ほんと気が利くから、この食堂も助かっているんですよ!
さすがレストランで働いていただけありますね!」
男性の隣にいる、ホールの女の子が言いました。
よく見ると名札には《介護士 水田》と、書いてあります。
「パパ、食べよう」
草介は優しく微笑むお孫さんを見つめてから、
向かいの椅子に座りました。
「………そうだね」
そういえば、むかしレストランで働いていた気がします。
「草介、大丈夫かい?」
お婆さんは、息子に話し掛けるように柔らかく問いかけました。
「いや、大丈夫さ、これくらい」
男性と女性は、厨房へ戻っていきました。
草介は家へ帰りたくなったので「そろそろ帰ろうかな」と言って立ち上がりました。
「うん、けど今日はここに泊まるんだよ」
綺麗なところだから大丈夫、部屋はすぐそこだから…
お孫さんは微笑みました。
「そうか」
草介は誰もいなくなった食堂を見回していました。
そして、
「それもいいね…」と言いました。
若年性認知症の草介が、介護施設の食堂で短時間だけ働く設定で書きました。




