お前が悪役令嬢だと王子が叫ぶ
ガリブルラ王立学園の卒業式当日。
神聖な空気の中、卒業証書の授与が終わりを告げ、第二王子のオーブリー・ガリブルラが壇上にあがった。
「私から皆に伝えておきたいことがある」
リアの席からでもわかる、オーブリーの白く長い指が金色の髪をかきあげる。卒業生の一部から「きゃー」という悲鳴にも似た声が聞こえた。美しい顔立ちは王妃譲りで、眩い金の髪と、澄み渡る夏の空の如き蒼の瞳は国王陛下そのものだ。
「リア・ボンズ」
突然の名指しに、リアの体は飛び跳ねた。
一斉に注がれる視線に、体中が針に刺されたような感覚を覚える。
「貴様は、我が愛しのヴァイオレットに嫌がらせを受けていると虚偽の申告をしたな?」
突然の暴言に、リアは全力で首を振った。
慌ててオーブリーの後方に控えている側近たちを見ると、全員が口を開けてオーブリーを見ていた。貴族然とした彼らのそんな表情は一度も見たことがない。
「ヴァイオレット」
甘やかな声でヴァイオレットの名を呼んだオーブリーは、壇上にあがってきた彼女の細い腰を抱き寄せる。艶やかな黒髪に金色の瞳の美女は、顔の半分を扇子で隠しながらリアを見ていた。
ヴァイオレットはその昔、大聖女と呼ばれた王妃の血を引くテナント公爵家の令嬢だ。
「未来の王妃となるそなたに、一点の曇りなきよう、いますぐ疑惑を晴らしてあげるからね」
「まぁ。ありがとうございます」
オーブリーを見上げるヴァイオレットは、瞳を瞬かせていた。
「リア・ボンズ。貴様への嫌がらせなど存在しない。全ては自作自演。自ら本を破り、池に落ち、階段を転がった。さながら喜劇役者のよう。残飯をかぶる様は見事であったが、その狂言も今日まで」
壇上からリアに向かって言い放つオーブリー。
「殿下っ、話が違います」
背後で控えていた宰相家子息のエッカルトが焦ったように声をあげた。
「エッカルト、この程度の策略も見抜けぬとは情けない。それでは私の側近として役に立たぬ」
「何を、おっしゃって」
「まぁいい。後で詳しく話してやる。この世界が『大聖女ガリブルラ王妃伝』の世界であり、そこに隠された真実の話をな――まずは真の断罪からだ」
高らかに宣言するオーブリーを、エッカルトは真っ青な顔で止めようとしていた。
「リア・ボンズ。私にヴァイオレットを断罪させ、自らが私の婚約者におさまる腹積もりだろう?」
(まさか!!)
リアの本が破られたり、池に突き落とされたり、階段から突き落とされたりしたのは事実だ。
ヴァイオレットの取り巻きに「あなたみたいなどぶネズミ、これでもお食べなさいな」と言われ、残飯を投げつけられたリアを助けてくれたのはオーブリーだった。
「聖女候補などと持ち上げられているが、貴様の能力など、せいぜい軟膏を作る程度。ヴァイオレットを陥れようとする腐った性根、とても聖女などと言えぬ」
オーブリーの隣に立つヴァイオレットの瞳が、嗤うように細められた。
「お前が悪役令嬢だ!!」
顎を反らしたオーブリーは顔を真っ赤に染めながらリアを指さして言った。
リアの髪に絡む残飯を取ってくれた優しいオーブリーはそこにはなく、リアは打ちひしがれたように首を垂れた。
「貴様は国外追放。断罪の中で最もぬるいもの。私からの温情だと理解しろ」
何を言われているのか理解ができないまま、罪だけが着せられていく。
体からは血の気が引き、胃の中のものがせりあがった。
(もう、無理……)
揺れ出した体を支えきれなくなったとき、ふわりと体が宙に浮いた。
「大丈夫?」
抱き上げられた温かさと落ち着く香りに、リアの思考は徐々に薄れていく。
(ここはとても華やかで優雅な世界――どぶネズミなんて呼ばれる私には似合わない世界――)
リアは十二歳まで孤児院で育った。
孤児院の奉仕活動の中で作ったリアの軟膏が、傷の治りが早いと評判になったのは、リアと両親が養子縁組の手続きを終えた直後ぐらいからだった。
父そっくりの琥珀色の瞳と、母そっくりの薄桃色の髪をしたリアは、両親にとって本物の娘のように見えたのだという。
二人がリアを選んだ理由は、「小さい子に優しくしていて偉かったから」とか「人が嫌がる掃除を率先してやっていたから」など色々あったようだが、そこに聖女の力は含まれてはいなかった。
それなのに、貴族たちは聖女の能力を金で買ったと両親のことを陰でさんざん罵った。
両親はリアを育ててくれたお礼として孤児院に寄付しただけで、リアのことを買ったわけではない。ましてや軟膏で儲けようなんて考えてもいなかった。
(悔しい、見返したい……)
いつしかそんな風に思うようになっていた。
そんなリアの元に、王宮の官吏が男爵家に来たのが十五歳のとき。
「正式に聖女に認定されたければ、学園へ入学し、王子に推薦されること」と言われ、頷いてしまった。
そうすれば国が認めた聖女になれる。
聖女の肩書きがあれば、両親への暴言はなくなると思ったから。
(国外追放になるぐらいなら、入学なんてしなければよかった……)
「もう……こんなところにいたくない」
「そう。じゃあ、俺の国に来る?」
「でも、おとうさんとおかあさんが心配で」
痛む胃を押さえながら目を開けると、恐ろしく高貴な出で立ちの男性に抱えられていた。
黒い睫毛は長く、リアを映す瞳は宝石のような美しい緑色だった。
「ご両親も一緒に来ればいいよ」
「……あなたは?」
「マーストリア王国、第二王子のラウノ。今日は父の代わりに出席していた」
「申し訳ありませんっ、高貴な方に」
「体調が悪いときに、そんなこと気にしなくていいよ」
「あの、救護室へ行けば、何とかなると思いますので」
「すごいよね、この国。倒れそうなレディがいても誰も手を差しのべないの」
「あの、救護室へ、そっちじゃないです」
「オーブリー殿下って、あんなアホだったっけ?」
「あの」
「あぁ、そういえば昨日どこかで頭を打ったって聞いたけど」
「えっ」
「まるで別人じゃない?」
「それは……はい、確かに」
「アウローラが言ってたこと、いよいよ無視できなくなったな」
「あの、どこへ?」
「馬車だけど」
「救護室は?」
「保護しないと大変なことになるから、急いでる」
「そう、ですか……」
ラウノの言葉にどう答えていいのかわからず、リアは曖昧な返事をした。
* * *
馬車にはアウローラという、ラウノの姉が乗っていた。
町娘に扮しているのか軽装で、黒髪に黒目の可愛らしい人だった。
「姉と言ってもラウノと私は同い年で十八歳よ。私は正室の子、ラウノは側室の子よ。それにしても生リアたんめっちゃ可愛いい!! 完璧なオーブリールートだったのに、よく連れてこれたね?」
「リア嬢が断罪されていた」
「噓でしょ!? だって、リアたん三つ編みじゃん!? レティーちゃん視点なら、もっとゴテゴテ着飾ってるはずなのに、この質素さ。見てよ、この慎ましいリアたんを。なんでリアたんのほうが断罪されてんの!?」
「それはこっちが聞きたい」
「密偵も残飯かぶってたって言ってたのに!! オーブリールートじゃなきゃ発生しないイベントだよ? あれでリアたんはオーブリーにキュンキュンするんだよ? 王子なのに残飯を素手で取ってくれるなんてって」
二人が一斉にリアを見た。話の内容はほとんど理解できなかったが、キュンキュンしたことはないので首を振った。
「身分が、違い過ぎまして」
「じゃぁ側近の誰かのことが好きとか?」
「皆さん親切でとても素晴らしい方たちでしたが、粗相をしていないか気になってしまい、全く」
リアがそう言うと、アウローラは顎に手を当ててしばらく考えたあと、リアを指さして顎を反らせて言った。
「お前が悪役令嬢だ!!」
会場でのオーブリーの冷たい視線を思い出し、反射でリアの身体が跳ねた。
そんなリアの肩をラウノが抱き寄せ、アウローラを叱責する。
「アウローラ、怖がらせてる」
「ごめん! もしかして、本当に言われた?」
震えながら頷くと、アウローラは大きな目をさらに開いていた。
「ほんとにレティーちゃん視点じゃん」
「だから連れてきたんだよ」
「ということは、オーブリーも王妃伝を知ってるってことだよね? なんでリアたん視点で進めないの? 転生前はレティーちゃん派だったってこと?」
「わからない。ただ、オーブリー殿下は昨日頭を打ったらしい。密偵が言ってた」
「まさか式の前日に思い出しちゃった系!? まだ混乱中ってやつ!?」
「そういえばアウローラが前世を思い出したのも頭を打った日だったよな」
「うん。大理石のぴっかぴかの床で転んで頭を打ったとき」
「あの時は打ちどころが悪くて気が振れたと思って皆で心配したんだよなぁ」
ラウノは混乱するリアに、アウローラが前世の記憶を持つ転生者という人で、この世界が『げーむ』という物語のような物の中に存在した世界だと教えてくれた。にわかには信じがたいが、アウローラが語るリアの身に起こったことの詳細さに半信半疑ながらも納得する部分はあった。
アウローラが言うには、その『げーむ』はリアを主人公として進むもの、ヴァイオレットを主人公として進むもののどちらかを選べたのだという。
そして『お前が悪役令嬢だ!!』という台詞はヴァイオレット視点の名台詞と言われていたらしく、その時に流れる音楽が著名な作曲家(アウローラが言うには神)が作曲したこともあり、非常に高揚感がある場面らしい。
あの時、オーブリーが顔を真っ赤にしていたのは、脳内で音楽が流れていたせいだろうと言われた。
「声優陣が豪華だから人気あったんだけど、設定が甘いクソゲーでさぁ。主人公を選べるのはいいとしても、リアたんとレティーちゃんの性格が視点変更のときに激変しちゃって萎えるっていうか。リアたん派とレティーちゃん派でファンが骨肉の争いをしてさ。リアたん視点が王道のはずなんだけど、レティーちゃん視点の『ざまぁ』が凄く人気があって。音楽もレティーちゃん視点のほうが気合入ってたし。私みたいなリアたんファンにとっては悔しいわけよ。リアたん視点でのオーブリールートって王道でつまらないとか言われててさ。そもそも『大聖女ガリブルラ王妃伝』って名前なのに、レティーちゃんには聖なる力なんてないんだよ? それなのに主人公になっちゃうの、おかしくない?」
「アウローラ、問題はそこじゃない」
「あ、ごめん。んで、なんだっけ?」
「リア嬢が俺に『救護室へ』と言ったことだよ」
「マジか!? どうしよう、ギルバートルートが開いちゃった!!」
孤児育ちで逆境に強いと思っていたリアは、段々と自信がなくなってきていた。
「もしかして、ギルバートるーと、というのは、ギルバート殿下のことでしょうか?」
「そう。あいつヤンデレだから」
「やんでれ……」
ギルバートは第一王子でありながら、側室の子なので王位継承権は二位という複雑な立場だ。
「ギルバートに捕まると監禁されるよ」
「かん……きん……」
「そう。ラウノルートは隠しルートで、そもそも今回はルートが解放されてなくて、解放されてたら卒業式への招待状が届くんだけど、今回は無理やり卒業式に出席できるよう裏から手を回して出席したの。リアたんの幸せを見届けたかったし。ラウノには万が一のときのことを考えて、リアたんをいつでも助けられるように端っこに座っておいてって頼んでおいたの。それで倒れそうなリアたんをラウノが姫抱っこした時、リアたんの台詞を『救護室へ』に選択するとギルバートルートが開いちゃうんだけど……そうか、救護室って言っちゃったのかぁ。そのまま救護室に連れて行ったら、ギルバートがそこに現れてリアたんを連れ去って、そのまま自分の離宮に閉じ込めてリアたん溺愛っていう……ヤンデレが好きな人には人気あったけど、表向きは国外追放ってことになってるから、一生監禁されちゃうんだよ」
「それで先ほどラウノ殿下は大変なことになると仰ってたのですね」
ラウノを見上げると、頷いていた。
「ラウノルートは条件が厳しくてさ。油断するとすぐバッドエンドになっちゃうの。リアたん視点って、そもそもそういうのが多いんだよね。攻略の難しさと『ざまぁ』の平凡さで、正ヒロインのはずなのにイマイチ人気がなくてさ。やり込む人にとっては面白いんだけど、軽く楽しみたい、ざまぁでスカっとしたい系の人には」
「アウローラ」
「ごめん、また脱線しちゃった」
「もうゲームとは違う。相手がどう出てくるか予測がつかない」
「わかった。ホテルに戻って、しっかり迎え撃とう!!」
そうしてリアは、二人が滞在先にしている豪華なホテルに連れて来られた。
(流されるように付いて来ちゃったけど……)
わずかではあるが、利用しようとしているのではという疑念が残っていた。
「私の能力なんて些細なものなんです。利用価値はあまりないかと思うのですが」
「え? あぁ、傷を治すやつね」
敵を迎え撃つ衣装という名の真っ赤なドレスを身に着けたアウローラは、馬車での気さくな口調のまま、隙のない笑顔を作った。
「急に異世界の話をされた上に、こんなところまで連れて来られて不安だよね。勘違いされても仕方ないか」
「だからゲームの話は控えめにしろと言ったのに」
ラウノはリアの向かい側に座り、長い脚を組んで溜息をついていた。
「怪しさしか感じないだろうけど、私はリアたんの幸せを見たいだけだから」
「今の言葉に嘘はないと、俺が保証するよ。アウローラは変わってるけど、リア嬢が幸せなら無理に介入はさせないと言って、ずっと接触を渋られてたんだ」
「あの、そもそも私は元孤児だったので、他国の王子様との接触というのは無理がありますよね?」
「いや? 孤児院のバザーを見に行ってたから、声をかけようと思えばかけられたよ。でもそれでリア嬢の運命がどう変わってしまうかわからなかったから、陰から見守るだけにしたけど」
そう言ってラウノはメッセージカードをリアに見せた。
クローバー柄の綺麗なカードには『傷が綺麗に治りました。ありがとう。ラヴィー』と書かれていた。
慌てて顔を上げ、ラウノの顔を食い入るように見つめた。
「ラウノ殿下が、ラヴィーだったんですか?」
「うん。気持ち悪かったらごめんね」
「そんなことないです!!」
思わずカードを胸に当て、リアはギュっと目を瞑った。
両親の為に作っていたはずの軟膏の値段が吊り上がったとき、貴族たちは『やっぱりそれが目的だったのだろう』と、優しい両親を再び罵った。
良かれと思ってしていたことが、更に両親の悪評に繋がってしまった。どうせ何をしても悪評になるならもう作るのはやめよう、そう思った時に、このメッセージカードが送られてきたのだ。
辛い時、いつもカードを見ていたから、筆跡も内容も全て覚えている。ほのかに香るカードの香りは、ラウノの香りだったのだと今ならわかる。
(だから抱き上げられたとき、落ち着く香りって思ったんだ……)
「私が作る軟膏が誰かの役に立っているなら作り続けるべきだと、両親もこれを見て励ましてくれました。貴族たちの噂なんて些細なことだと、私たちの娘はこんなにも素晴らしいんだと自慢したいと言ってくれたんです」
目を開け、何度も読んだメッセージカードを宝物のように撫でた。
「リア嬢は、自分の傷を早く治すことはできないよね?」
「はい。残念ながら」
「軟膏の材料の薬草を煮出すときに、火傷することもあるはずだ。自分で自分の傷を治せるなら、傷ひとつないはずだからね」
リアは傷だらけの自分の手を見て苦笑した。
普通の貴族令嬢は白魚のような美しい手をしている。
「リア嬢がオーブリー殿下のことが好きで、幸せになれるなら見守ろうと思っていたんだけど……」
ラウノの話の途中、にわかに扉の前が騒がしくなった。護衛が誰かを止めているらしく、開けろと騒ぐ人の声と交じり喧噪となっていた。
「来たか」
ラウノが厳しい顔つきで扉の内側にいた護衛に頷く。
誘拐と思われないよう、王宮にはリアを保護しているという内容の手紙を送ったという。
開け放たれた扉から転がるように現れたのはオーブリーだった。
「オーブリー!?」
思わずといった感じでアウローラが呟く。
二人はギルバートが来るだろうと予測していた。
「リアたん、ごめん! レティーちゃん視点だと思ってた!!」
「いきなりそれ!? やっぱり転生者!? だったらリアたん視点て、わかるよね!?」
「だって、レティーちゃんが、蒼い耳飾りと首飾りをつけていたから」
「何ですって!?」
アウローラは立ち上がり、オーブリーに駆け寄ろうとした。
ラウノに腕を掴まれ、首を振られたことにより留まったけれど。
「リアたん視点なら赤のはずなのに!! だから僕はてっきりレティーちゃん視点だと」
「でもリアたんは三つ編みだよ!?」
「僕は目が悪いんだ。王子だから見目は大事で、眼鏡は掛けさせられないって言われてて、仕方なくそのまま過ごしてたんだ。だから僕の場所からだと三つ編みなのかどうかはわからなくて」
「こんな慎ましやかなのに!?」
「それも見えなかったんだよ」
がっくりうなだれるオーブリー。
アウローラは、リアを見たりオーブリーを見たりと忙しなかった。
「ねぇ、いつ前世を思い出したの?」
「昨日、図書館で調べ物をしていたら本棚が急に倒れてきて、咄嗟に避けたけど転んじゃって、そのとき強く頭を打って……」
「そっかぁ。やっぱり思い出したばっかりかぁ。まだ混乱してるよねぇ?」
「次の日が卒業式で、とにかく断罪しなきゃって、焦っちゃって」
「あぁ。うん。気の毒だけど勝算はなさそうだよ?」
アウローラはラウノを指さしながら言った。
「ラウノルート」
「そんなぁぁああああああ」
手と膝を突き、床に視線を落としたままオーブリーは動かなくなってしまった。
そんなオーブリーにラウノが近寄る。
「オーブリー殿下」
のろのろと顔を上げたオーブリーに、ラウノは優しく語りかけた。
「赤い装飾品を身につけてくるはずのヴァイオレット嬢が蒼をつけてきたということは、我々の他にもこの世界を知る誰かがいて、わざとそう仕向けたとは考えられませんか?」
「あぁ! 確かに!! 完っ全にリアたん視点だったのに、おかしいよね!?」
「アウローラは黙って」
ラウノは、会話に入ってきたアウローラを窘めた。アウローラは口に手を当ててコクコク頷いた。
「オーブリー殿下、もう少し状況を精査すべきでしたね」
「うん。反省してる。これから王宮に帰って、父上に全て話してリアたんと婚約できないかお願いしてみます」
「それはやめた方がいいでしょう」
「どうして? オーブリールートのイベントは発生してたのに」
「失礼ですが、殿下はリア嬢のことが本当にお好きなんでしょうか?」
「どういう意味? イベントが発生したってことは、僕にキュンキュンしたってことでしょ?」
「質問を変えます。転生前は何歳でしたか?」
「十四歳だけど、ちゃんとオーブリーとして十八年生きたよ? ラウノなんて、ぽっと出のキャラなんかよりよっぽどリアたんを知ってるし、オーブリールートは何回も攻略したよ?」
オーブリーの顔に悪意は浮かんでいない。
それだけに、リアの目には奇妙にしか映らなかった。
アウローラも眉を寄せてオーブリーを見つめている。
「殿下は、ヴァイオレット嬢と婚約していますが?」
「もちろん破棄するよ。リアたん視点のレティちゃんは意地悪だから嫌いだし」
「では、リア嬢視点だと気付いたのはいつですか?」
「いつって、式典の後、レティちゃんが兄上と何か話してたから変だなって思って。レティちゃんは兄上を王位継承権が低い側室の子って馬鹿にしてたはずなのに。変だなって思いながら王宮に帰ったら、兄上とレティちゃんが謝恩会でファーストダンスを踊るってことになってて、なんで僕とじゃないんだろうって。その時ラウノからの手紙が届いて、ラウノルートが開いちゃったのかなって焦って……ラウノルートはリアたん視点でしか開かないから、リアたん視点だったんだって……だからここに来ればリアたんに会えるって……ラウノルートはバッドエンドになりやすいから、リアたんを宜しくねって言って兄上も言ってくれて……兄上のルートは開かなかったんだなって思ってホッとして……」
だんだんと小声になったオーブリーは小さく震え始めた。
「兄上も……転生者?」
「もしくはヴァイオレット嬢か、二人とも、という可能性もあります」
悲痛な顔でそう告げたラウノは、床に膝をついたままのオーブリーを立ち上がらせた。
「ファーストダンスをお二人で、という話の流れから考えると、ギルバート殿下とヴァイオレット嬢は通じていたのではないでしょうか?」
「そんなっ!! 兄上は僕にずっと優しくて……そっか、兄上がレティちゃんを好きなら、二人は結婚すればいいんだ。僕は意地悪なレティちゃんは好きじゃないし、僕はリアたんと結婚すればいいし」
名案を思いついたとばかりに話すオーブリーに、リアは寒気がしていた。
「申し訳ありませんが、私はオーブリー殿下と結婚できません」
「なんで!? ラウノと馬車でキスした?」
「キス!?」
「イベントだよ。キスしたの!? してないの!?」
「してません!!」
「良かったー。じゃあ、まだ間に合うよね」
「……てなことを……」
「ん? なになに? 聞こえな……」
「勝手なこと言わないでください!!」
リアの大声に、無表情を決め込んでいた護衛とアウローラの侍女が驚いていたが、それどころではない。
「私を無視して話を進めないでください!! ヴァイオレット様が意地悪だから私と結婚するだとか、王族の結婚がそんなもので決められるはずないじゃないですか!! 前世が十四歳? 今、ここにいる殿下は、十八歳なんですよ!!」
「リアたん……どうしてそんな、怖い顔しないで」
「それから、オーブリー殿下はリアたんなんて呼びません。私の髪についた残飯を取ってくれたことはありましたが、それ以外では指一本、触れたことは無かったです。オーブリー殿下は誰にも優しく親切でしたし、どのご令嬢とも距離をあけておられました。どうか思い出してください。卒業式で本当は何をするつもりだったんですか!?」
リアの言葉にオーブリー殿下は目を見開き、頭を抱えだした。
「本当は……何を……?……っ、うっ、」
リアは急いで駆け寄ると、オーブリーが押さえている頭の辺りに手をかざした。
(私の能力なんてわずかだけど……それでも、少しでも癒せれば)
ラウノも心配そうに跪き、リアとオーブリーを見守っている。
時間にすれば、おそらくは数分。
再び顔を上げたオーブリーは、それまでの幼い顔つきから一変していた。
「リア嬢、ありがとう。心配をかけた。もう大丈夫だ」
「オーブリー殿下ですか!?」
「あぁ。ようやく本来の自分を思い出せたよ。頭の中がスッキリした。あなたのその力は得難いものだな。時間がない。これから王宮に向かおうと思う。殿下たちにも協力をお願いしたい」
* * *
リアをエスコートしながら登場したオーブリーに、学園の生徒たちは動きを止めた。
今まさに、卒業式後の謝恩会が始まろうとしていたときである。
二人は中央でファーストダンスを踊ろうとしていたギルバートとヴァイオレットに近付く。
「リア嬢を救えたんだ? よかったね」
ギルバートは、余裕の笑みを浮かべていた。
「いいえ。リア嬢を救ったのではなく、私がリア嬢の聖なる力に救ってもらったのです」
「軟膏でも塗ってもらったのかな?」
「まさか。彼女の力は本物ですよ」
「何をいまさら。軟膏を作る程度だとリア嬢を大々的に罵ったのは、オーブリーだろう?」
「酷いこと言うよね」と、リアに向かってギルバートは囁く。
オーブリーはギルバートの挑発には乗らず、会場にいる生徒たちを見渡した。
「ここにいる皆に伝えておきたい。私は昨日、突然倒れてきた本棚を避けきれず、頭を強く打ってしまい、一時的に精神が混乱していた……」
生徒たちは、戸惑いながらもオーブリーの言葉に耳を傾ける。
「私は先ほどまで夢の中にいた……夢の私は、リア嬢に対し、数々の暴言を吐いていた……」
オーブリーは唇をかみしめ、そんな自分が許せないという顔をして続ける。
「本当の私は頭の片隅にいて、リア嬢に暴言を吐く自分を止めようと、何度も何度も閉ざされた扉を叩いていた。けれども扉は重く、夢の私はリア嬢に対し、国外追放とまで口にしてしまい……」
オーブリーは瞳にうっすら涙を浮かべてリアを見つめる。
「リア嬢は、重い扉を聖なる力で開き、項垂れる私を救ってくれた……なんと得難い力だろう……事実無根の罪で断罪した、醜い私を許してくれた」
オーブリーの腕の上にあるリアの手に、自分の手を重ねる。
その姿を見た生徒たちからは囁きが漏れた。
オーブリー殿下がおっしゃるなら――
さぞお辛かったでしょう――
おかしいと思ったんだ――
本棚が倒れるなんて――
リア嬢の力は本物だ――
「私はここで、リア・ボンズ男爵令嬢を聖女に推薦することを宣言する。リア嬢の後見人となり、リア嬢を支えることを誓う。そしてもう一度、謝罪させてほしい。本当に、申し訳なかった」
「もう、大丈夫ですから。頭をお上げください、殿下……」
深々と頭を下げるオーブリ―に、リアは首を振って止めようとする。
そこに苛立ったようなギルバートが声がかかった。
「茶番はやめろ!!」
「茶番ではありません。証人もいます」
「証人?」
ギルバートが片眉を上げて鼻で笑うと、彼の前にアウローラとラウノが現れた。
「マーストリア王国、第一王女のアウローラ殿下と、第二王子のラウノ殿下です。ラウノ殿下はマーストリア王の名代として卒業式にも参列されていました。私の暴言によって傷ついたリア嬢を救ってくださった恩人です」
二人は揃ってギルバートに礼をとる。
「お初にお目にかかります、ギルバート殿下」
ラウノの美貌と艶めいた声に、令嬢たちからため息が漏れた。
「私たちは混乱したオーブリー殿下と、殿下を癒すリア嬢を、確かにこの目で見ました」
その言葉に、今まで無表情を貫いていたヴァイオレットの顔が一瞬歪む。
間をあけずにオーブリーが聞いた。
「兄上、昨晩十時ごろ、どこにいらっしゃいましたか?」
「俺を疑うのか?」
「いいえ、確認です」
「自室にいたが?」
「それは変ですね」
「なに?」
「兄上が部屋にいなかったこと、真夜中に図書室から出てきたことを証言した者がおります」
「まさか。さては俺が側室の子で邪魔だからと、罪をなすりつけるつもりだな!?」
「いいえ、それは違います……エッカルト」
「はい」
背後に控えていたエッカルトが紙の束をオーブリーに手渡す。
「ここに、兄上とヴァイオレット嬢が交わした手紙の全てがあります」
会場がざわめき、ギルバートとヴァイオレットの表情が一変する。
「ある日を境に急激に接近し、王と王妃になるという約束をし、私の暗殺を計画していましたね?」
ギルバートとヴァイオレットは憎々しげにオーブリーを見た。
「私は警戒心が強く、なかなか一人にはならない。側近が毒見したもの以外は口にしない。焦った兄上は『このままでは卒業式で、リア嬢が聖女に推薦され、彼女を貶めたヴァイオレットを断罪するだろう』と綴っています」
ギルバートはギリギリと歯ぎしりを始めた。
「ヴァイオレット嬢」
「はい」
「手紙の返信に『図書館の本棚が倒れることもありましょう』と書かれている」
「覚えがありませんわ。仮に、それをわたくしが書いたとして、何か罪に問われますの?」
「私が図書館でのみ、一人になることを知っている人はごく僅か。幼いころ、婚約者となった貴女に一度だけ話したことがある」
「そんなこと、覚えておりませんわ」
「そう……とても、残念だよ」
オーブリーは悲しげな表情を見せた。
「婚約は破棄され、貴女は修道院へ送られる。公爵令嬢には厳しい場所だ」
「そんな場所へ行くぐらいなら、絞首刑のほうがマシよ」
そう言って横を向いたヴァイオレットはギルバートを睨む。
「やっぱクソゲーじゃん!! 何が『このままだと王妃になれない』よ。あんたなんかにそそのかされなければ、普通に王妃になれたんじゃん!!」
「取り巻きを使ってリアを虐めてたお前が王妃になれるわけないだろ!!」
「あれはヴァイオレットがやったことで、あたしは関係ない!!」
「お前がヴァイオレットだっつーの!!」
「うるさい、バーカ!! 無能!!」
「尻軽!!」
「キモヲタ!!」
「なんだと!?」
気付けば騎士が、罵りあうギルバートとヴァイオレットを取り囲んでいた。
「オーブリー!! お、俺はどうなる!? 死刑になんて、ならないよな!? 腐っても王子だもんな!?」
「それは私が判断することではありません」
「なんでだよ!! お前だって転生者じゃん!! 日本なんて平和だっただろ!? なにマジになってんの!? もっとテキトーに遊べよ!! クソゲーだぞ!?」
「兄上が何をおっしゃってるのか理解できません」
わめくギルバートとヴァイオレットを騎士たちが連れていく。
二人の豹変ぶりに混乱する生徒たちに向かって、オーブリーが優しく語りかけた。
「せっかくのハレの日に騒がせて申し訳なかった。私の卒業式での失態については、後ほど陛下から罰を受けるつもりだ。ここからの時間が皆にとって素晴らしいものになることを願う」
そう言って笑ったオーブリーは、これまでより少し幼く見えた。
それに気付いた人はどのくらいいただろうかと、リアは思う。
「ラウノ殿下」
「はい」
「リア嬢をよろしくお願いします」
「喜んで、拝命いたします」
オーブリーからリアを託されたラウノは極上の笑みを浮かべている。
リアが動くと、淡いグリーンのドレスが揺れた。
アウローラに「ラウノルートは淡いグリーンだから」と言われながら着せてもらったドレスだ。
「アウローラ嬢、私と踊っていただけますか?」
手を差し伸べたオーブリーにアウローラが美しい笑みで応える。
軽やかな音楽が流れ始め、四人は揃ってステップを踏み出す。
生徒達のざわめきは賞賛へと変わっていった。
会場入りする少し前の話――
ラウノたちの滞在しているホテルから謝恩会の会場である王宮まで、馬車で三十分程度。
エッカルトには、リアによって元のオーブリーとしての記憶が戻ったこと、謝恩会で断罪する旨を記した手紙を早馬で届けてある。
アウローラとラウノにも、証人として付いてきて欲しいとオーブリーが願い、四人は会場へと向かっていた。
「――というわけで、兄上とヴァイオレット嬢の計画は、常に監視されてきたんです。彼らの周りに間者を潜り込ませていたので、二人の計画は筒抜けでした。兄上は気が小さいことで有名でしたので、決定的な事が起きるまでは泳がせるという方針だったのです。私は婚約破棄のあと、どの国の王女と繋がりを持てば国に有益か、そればかりに気を取られていて油断していました。兄上たちの手紙の内容は、前世の記憶がないころの私には夢物語としか思えなかったですし」
「なるほど、詳細はわかりました。一つ、確認しておきたいのですが。殿下は今後も、リア嬢に婚約を申し込むつもりはない、ということでよろしいですか?」
「はい。リア嬢にとって、王宮は気詰まりでしょうし、これから妃教育を受けるのは厳しいかと。自由もなくなりますしね。私は他国の王女との婚約が好ましいと思っていて、その点は父上とも意見が一致するのではないかと」
「なるほど……リア嬢、大丈夫?」
黙ったままのリアを心配そうにのぞき込みながら、ラウノが言った。
「大丈夫です。少し混乱していただけで、しっかり思い出した上で、理解しましたので」
「思い出した?」
「はい」
リアは顔をあげるとオーブリーを睨んだ。
「オーブリー殿下って、ウチの弟の翔太だよね!?」
「っ!! も、もしかして、お姉ちゃん……っ!?」
「そう。姉の早紀だよ。さっき、殿下の頭に手をかざしたとき、頭の中の映像がめっちゃ見えたの。それで私まで思い出しちゃったよ、前世の記憶ってやつ。翔太はパソコン部で流行ってた王妃伝ばっかやってたよね!? リアたーんとかレティちゃーんとか言いながら。ラウノの声が私の好きな声優だったから、ラウノルートやってるときは、私の顔をチラチラ見てきてムカついたわー。翔太の口癖は『だが、しかし』とか『ゆえに』とか、王妃伝の中で出てくる単語ばっかり。あと好物はたこ焼き。ネギとソースが嫌いだからネギとソース抜き。マヨネーズかけすぎてお母さんに怒られてた。ついでに小5までおねしょしてた」
「うわ、マジで姉ちゃんだ……めっちゃ気まずいじゃん。断罪のあと一曲踊るつもりだったのに」
「絶対に嫌!!」
「僕もやだよ!!」
急な姉弟喧嘩にラウノは驚き、アウローラは面白がった。
「もしかしてこの世界って、転生者ばっかりだったりして!?」
「まさか」
「あり得るかも!?」
「だったらすごいなぁー!! ねぇ、じゃあさ、翔太くんは私と踊ろうよ!!」
「え、いいの?」
「アウローラ殿下、やめたほうがいいですよ。翔太は思春期のエロガキですよ?」
「大丈夫大丈夫。私の記憶も中学までしかないし。ついでに私と婚約してくれたら嬉しいんだけど。王女のくせに、婚約者がいなくて肩身が狭いの。父も私の庶民臭さに、嫁ぎ先を決めかねてるし。王妃伝の話とかこっそりできるの楽しそうだしさ」
「本当!? マーストリアとは仲良くしておきたいし、僕も助かるけど」
「いやいやいや、やめたほうがいいですって」
「ついでに、リアたんとラウノも婚約すればいいじゃん。それこそ父は大喜びだと思うよ。聖女だからガリブルラからは出られないってことにして、ラウノもこっちに来れば政争に巻き込まれずに済むし。この子、マーストリアではしょっちゅう毒を盛られるの。見ててキツイんだよね。なんで毒見をすり抜けるのか不思議でしょうがないし」
「毒!?」
リアの視線に、ラウノは頷いて笑っている。
「それにさぁ、ずっとリアたんのこと好きで、ウジウジウジウジしてたんだよー? 軟膏を作る健気な少女萌えって感じで。でもオーブリーと幸せになれるなら応援するとか言っちゃって」
アウローラの発言にラウノが真っ赤な顔で横を向いた。
「私とラウノ殿下の婚約は無理があると思います。それこそ翔太の姉だったことを思い出しちゃいましたし」
「気にしなくていいよー。その美貌と能力、プライスレス。ガリブルラにとってもマーストリアにとっても有益だと思うなぁ。お隣の国同士、仲良くしておいたほうが得策じゃない?」
「孤児院出身の男爵令嬢ですよ?」
「大丈夫だよ。オーブリーはリアたんの聖なる力は本物って宣言するんでしょ? そしたら男爵令嬢とかどーでもよくなるし」
オーブリーは翔太の顔を瞬時にオーブリーの顔に変えて頷いた。
この短時間で切り替えができるようになったらしい。
「孤児院出身の聖女と隣国の王子の結婚。まさにシンデレラストーリー!! 最高!! あと、ゲームの最後にチラッとしか見られなかった謝恩会が生で見られるの、めっちゃ嬉しい!! 謝恩会って響きも懐かしい!!」
アウローラはすでに、リアの言葉など聞こえない世界に行ってしまった。
「あの……ラウノ殿下は嫌ですよね? 中身がこんな私と結婚なんて……」
リアが恐る恐るラウノの顔色をうかがうと、ラウノは攻略対象らしい笑顔を浮かべて首を振った。
「アウローラで慣れているから問題ない。むしろ好都合かな?」
「えぇぇぇ……それどういう意味で?」
リアの問いに魔性の笑みを浮かべるラウノ。
それを見たリアの背に、冷たい汗が流れる。
「あ、リアたんも思い出したならわかるよねー? ラウノって、こう見えてすっごい嫉妬深いから気を付けてね。ゲームでもさぁ、他の男に親切にしただけでバッドエンドになるから、ギルバートよりたちが悪いって評判で、そのせいで、かっこいいのにあんまり人気なくてさぁ」
「アウローラ、うるさい」
「おー怖っ」
「着いたぞ」
ラウノの言葉に、四人は外向きの顔を作る。
(嫉妬深いのはちょっと怖いけど、めっちゃ声がいい~!!)
思わず身悶えするリアの耳元に唇を寄せてラウノが囁く。
「覚悟しておいてね?」
(キェエーーーー!! 何をですかーーーーーーー!!!!)
リアは言葉にならない悲鳴を叫びながらも、優雅に馬車を降りたのであった。




