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姫ぎみと『鏡の中に棲む男』  作者: 寄賀あける


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 部屋に近づくにつれ、動悸(どうき)が早くなる。緊張が、否が応でも増してくる。これは苦しみなのか、それとも喜びなのか? 今となってはオリレーズ自身にも判らなくなっている。


 最初は間違いなく喜びだった……


 いや、今となっては苦しみだ、あのかたは、あの優しい微笑みを見せてくれなくなった。あの微笑みを見るのが俺の喜びだったものを。


 そしてオリレーズは思う。全て俺のせいだ、と。


 まだ子どもの頃に親同士が決めた婚姻だった。子どものころから、この姫がやがて己の妻になると知っていた。決められたこと、定められたことと、拒むことなど考えたこともなかった。拒まれることも思いつかなかった。


 幼い頃は王宮の庭で、同じ年頃の重臣の子どもたちが集まって一緒に遊んだものだった。少しばかり年上のオリレーズを『お兄さま』と呼び、いつも追いかけてきていた。本当の兄である現国王が『兄は僕なのに』と焼きもちを妬くと『兄上は兄上』と明るく笑った。


 遊び仲間では一番年下の姫は、常に皆より遅れた。それを待ち、手を引くのがオリレーズの役目になっていた。『兄上よりもお兄さまが好き』と、屈託なく笑う姫だった。


 だが、いつしか一緒に遊ぶようなことはなくなり、別の事でオリレーズは忙しくなる。学問や武術、将来国王の役に立つ臣下となるべく精進を始める時期が来たからだ。


 それがいよいよ婚儀を行おうというころ、久しぶりに会った姫は、これがあのあどけない少女かと見紛(みまご)うほど美しく、オリレーズの心をときめかせた。


 この美しい、清らかな女性が自分の妻。優しく微笑むこの女性が己の妻……オリレーズは一目で恋に落ちていた。だが、それを認めなかった。


 ただでさえ、前国王の姫であり現国王の妹ぎみなのだ。


 己はその姫ぎみを守るために選ばれたに過ぎない。慕わしいと思うのは、その任の重さからくるものだ、ときめくのは大切に思う心からだ、と自分に言い聞かす。そして思った。果たして姫は、俺が夫で不満はなかったか?


 鏡を眺め、オリレーズは自分を呪った。


 ごつい輪郭、酷く曲がった鷲鼻、申し訳程度の目、分厚い唇、そして縮れた髪。(およ)そ、あの姫に似つかわしいとは言えない容姿。


 騎士として誰にも負けないと自負している。機転が利き、学があり、多少融通は利かないものの、それも実直で堅実な人柄の表れと周囲の評判も良い。


 だがオリレーズは知っていた。宮廷に出入りする婦人たちが陰でオリレーズの容姿を笑っていることを。


「お家柄も申し分なく、『我が友』と呼ぶほど国王から信頼されている。じきにお父さまの後を継いで大臣になられることでしょうよ。でも、あのご面相じゃね」


 おまえたちなどこちらから願い下げだと言いたいところだが、自分の顔を見れば『もっともなことだ』と半ば諦め、半ば受け入れ、自分の勤めは顔でするものではない、気にすることもないと思い切ったつもりだった。


 それが、婚儀が近づくにつれ、姫はどう思っているのだろうと気になり始める。こんな顔の男などいやがっているのではないだろうか?……いいや、いやがっている。いやに決まっている。


 国王が決めた相手だから仕方なく妻になるのだ。オリレーズの中で、それは確信になっていた。


 婚礼の日取りが決まった日、少しは二人で打ち解けた話をしたらどうだ、と言われ、オリレーズは姫と庭を散策した。姫は楽しそうに庭の花々を眺めていた。


「相変わらず、花がお好きですね」

幼い頃、花摘みを付き合ったことを思い出してオリレーズが言った。


「ええ、綺麗な花は大好きよ。異国にはへんてこな花もあるのですって」

姫がクスクス笑う。


「へんてこな花はお嫌ですか?」

「わたくし、綺麗なものが好きですもの。誰でもそうかと思っていたけれど、違うのかしら?」

「いいえ、姫がそうおっしゃるなら、そうなのでしょう」


 そう答えながらオリレーズは、やはり姫は俺がイヤなのだと思っていた。へんてこな顔の俺を嫌っているのだ、と確信した。


 姫がいやがって取りやめになるかもしれないと思っていたのに、予定通り婚礼は執り行われた。あの日から、どれほどの時が過ぎただろう?


 夫婦の誓いは立てたものの、夫婦の契りは未だに交わしていない。別の部屋で毎夜を過ごしている。


 目的の部屋に入ると、置かれた花鉢から様々な花の芳香が漂ってきた。飾り戸棚には(きら)めく宝石がこれでもかと並べられ、壁には隙間もないほどの絵画が並び、多様な彫像がそこかしこに置かれている。どれも、妻を喜ばせようとオリレーズが買い集めたものだ。


 妻は刺繍(ししゅう)をしていた。手にした布と針をテーブルに置いて、オリレーズを見る。


「昨日、話した詩人だが……今日も連れ帰ることはできなんだ。明日こそ必ず美しいと評判の詩人の歌声をお聞かせしよう」

オリレーズは、できるだけ優しい声色になるよう気を使って妻に話しかける。妻は黙ってオリレーズを見るばかりだ。


「うん、その、これなんだが……」

と、オリレーズが懐から取り出したものを妻に見せる。


「姫の髪に、その、似合うと思って買ってきた。街の市場で見つけたものだ」

傍らの飾り戸棚にそっと置く。


「粗末なものだ。とても国王の妹ぎみが使うようなものではない。だが、その……構わん、捨ててくれ」

吐き出すようにオリレーズは言うと、妻の部屋を去った。

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