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姫ぎみと『鏡の中に棲む男』  作者: 寄賀あける


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 顔のない男は躊躇(ためら)うことなく部屋に入ってくる。ゆらゆらと、今にも倒れそうな頼りない歩みだが、早まることも遅れることもなく、一歩一歩進んでくる。詩人の前を通り過ぎるころには入り口にフィルも姿を見せ、恐る恐る部屋を覗き込んだ。


 なんなんだよ、ソイツは! アースに詰め寄りたいが、こちらから話しかけるまで声を出すなとアースに言われている。それに、この状況で下手なことを言えば、あの顔なし男がこっちに来るかもしれない。


 鏡の中にアイツを見た時、思わず腰を抜かしたが、見間違いかもしれないと思い直したフィルだった。だが、鏡の中から抜け出してくれば見間違いのはずもない。悲鳴を止めることができなかった。幸い、顔なし男はフィルに(いち)(べつ)もくれず(顔がないのだから実のところは判らないが)部屋を出て行く。顔なし男のあとを追ったのは怖いもの見たさからか、それとも別の何かか?


 詩人の横を通り、顔なし男はオリレーズの妻のいる方向に進んでいく。通り過ぎると同時にアースがどこからともなく剣を取り出し、顔なし男に向ける。ハッとしたオリレーズも剣を(さや)から抜き、男に向けながら妻を後ろ手に(かば)った。

「おのれ、化け物! わが妻に害をなさせはしない!」


 顔なし男は立ち止まり、咆哮を響かせる。(すすり)り泣きに聞こえなくもない。そしてその手にも剣が現れ構えると、やっぱり真直ぐ進んでいく。向かうのはオリレーズか、その妻か? オリレーズが妻を後方に押しやるように退(しりぞ)かせ、顔なし男の前に立つ。


 討ちあう剣は火花を散らし、耳障(みみざわ)りに響き合う。顔がないのになぜ見える? 疑問に思うオリレーズだが、相手に問おうとは思わない。口がないのだ、答えられやしない。あれ? それならさっきの彷徨は? ええい! そんなこと、どうだっていい! 今はコイツを倒すのが先決だ。ところが……相手の的確な攻撃に、どうにも勝機を見いだせない。体格は互角、剣の腕も互角、オリレーズが焦り始める。


 剣を出したものの動かないアース、入り口で見ているフィルは、なぜオリレーズの加勢をしないかと焦れる。どう見たって顔のない男などまともじゃない。人間じゃない。ここはオリレーズを助けるところだろうが!


 激しい討ちあいが続き、とうとうオリレーズが顔なし男の剣を飛ばす。ハッと息を止めて、オリレーズが剣を振り上げた。


「殺さないで!」

妻の叫び声、振り返り妻を見るオリレーズ、心の中で何度も木霊(こだま)する妻の声。殺さないで――


 オリレーズが妻を見つめ、その膝が崩れていく。妻よ、醜い俺よりも、顔のない男のほうがまだ()()なのか? だからこの男の命乞いをするのか?


 オリレーズの後ろでは、オリレーズに弾かれて、落とした剣を顔なし男がゆっくり拾う。そしてオリレーズに剣を向ける。


「危ない!」

男とオリレーズの間に妻が立ちふさがる。その妻の腕を引いて、オリレーズが慌てて庇う。男が剣を繰り出し、妻を突き飛ばしたオリレーズの身体を貫いた。


「きゃぁぁああ!!!」

妻の悲鳴、男はオリレーズから抜いた剣を投げ捨てた。倒れ込むオリレーズ、夫の身体に縋りつく妻、顔なし男は立ち尽くしているだけだ。

「オリレーズ、オリレーズ!」


 妻が懸命に夫の名を呼ぶ。

「お願です、目を開けて。優しい眼差しでわたしを見て」

「姫よ……俺に見られるなど、イヤではないのか?」

「なにを? 何を言うのです?」

「こんな醜い俺などより、顔のないあの男の命乞いをした」

「オリレーズに人を殺させたくなかったのです――あなたの優しさをよく知っています。あの者を(あや)めれば、あなたは後悔に苦しむでしょう」

「姫?」

「わたしのオリレーズ、お願だから思い出して。誰よりも優しいあなた。いつもわたしを見守り、手を引いてくれたあなた。わたしはあなたの妻になる日を幼い頃より夢見て待っていた」


 (すが)りついて泣きじゃくる妻の髪に恐る恐るオリレーズが触れる。ずっと触れたかった妻の美しい髪、夫となってからも拒まれることが怖くて手を伸ばすこともしなかった、その髪に触れる。今ならきっと許される――オリレーズの手が、いつか市場で買った髪飾りに気付く。

「この髪飾り……こんな粗末なもの――」

「いいえ、わたしに似合うだろうとあなたが選んだもの。これ以上わたしを引き立てる髪飾りはありません」

(あふ)れる涙を気にすることもなくオリレーズを見つめる妻、その妻からオリレーズも視線を外せない。


 その様子を見ていたアースが剣を顔なし男に向けて、円を書くように刃先をクルリと回した。すると男が投げ捨てた剣がスルスルとオリレーズの剣に吸い込まれていく。顔なし男がゆっくりとオリレーズの足元に近付くが、オリレーズも妻もそれに気が付かない。


 オリレーズに縋りつく妻の上に、男がふわりと倒れていき、妻をすり抜けオリレーズの身体に吸い込まれる。オリレーズの身体の傷が、顔なし男の身体で見る間に修復されていく。互いに見つめ合うのに忙しいオリレーズとその妻には、まったくその気配が読み取れない。見つめ合うのに満足したあと二人は、オリレーズに怪我がないことを知るだろう。剣に貫かれたはずの服にさえ、破れ目がないことに驚くだろう。


「オリレーズ、ここから先は自分でなんとかするのだな――フィル、行くぞ」

アースの呟きに呆けたように様子を見ていたフィルも自分を取り戻す。アースはさっさと部屋を出て、廊下を回るとオリレーズの部屋に入っていった。


 フィルが慌てて追うとアースはオリレーズの寝室で、あの鏡に剣を向けている。カッと剣が光り、鏡がパリンと音を立てバラバラと割れて崩れて落ちていく。


「その鏡は?」

訊いたって答えちゃくれないだろうと思いながらフィルが問う。そんなフィルをアースがチラリと見た。


「古い鏡だ――夢の悪魔でも棲み付いたのだろうよ」

「あの、顔なし男が悪魔? そう言えば、獣が威嚇するような声が奥方の部屋から聞こえたけど、あれは?」

「現実を見ようとしないオリレーズの〝現実〟だ。獣のような声が聞こえたのは、おまえの中にもドラゴンが棲んでいるからだろう」

「ドラゴン?」

その質問には答えずアースが部屋を出る。気が付くと剣は消え、アースが手に持つのは竪琴を入れているいつものサックだけだ。


 そのサックを肩に掛けながら

「はて……裏口はどこだ?」

と首を(かし)げる。クスリと笑うフィルだ。

「任せろ、着いて来い」

アースも少しフィルに笑顔を向けた。


 もしも裏口があったとしても、当然そこには守衛がいる。オリレーズが一緒にいないとなれば通してくれない可能性もある。適当な窓から庭に出て、フィルがアースに問いかける。

「木登りは得意かい?」

「やってみよう」

大丈夫だろうかと、フィルが心配する前で、割とスルスルと木に登り、塀の向こうの木に乗り移ったアースだ。


「判っているとは思うが街には戻るな」

地に降り立った途端、アースが言う。


「おまえ、(いのち)を狙われているぞ」

(いのち)まで取ろうと思っちゃいないと思うんだけどね。でも殺気は感じたな――まぁいいさ。あの街には用もない」

「やることはやった、と?」

アースが鼻で笑う。それがフィルの気に障った。


「俺がしたことは無駄かねぇ?」

「どうだかな。無駄であり、無駄ではない」

「わけの判らないことを言うのが得意だな」


「あの少女が救われるか否かは、これからのあの子次第だ。だがフィル、こんなことを何度繰り返そうとおまえが救われることはない」

クッとフィルがアースを見る。

「あんたに俺の何が判る?」

「何も判りはしない。答えは自分で見つけるしかない」


 コイツとまともに話そうって思うのは無謀だ、そう思って()()フィルが笑う。そんなふうに思うってことは、俺は自分がまともだと思っていやがる。少しも()()()じゃないくせに――


 フィルの胸に遠い思い出が蘇る。あれは十一の時、しばらく世話になった八百屋の親方が『まじめに働け、そうしたらおまえにだって店が持てる』と言った。フィルだってその気になって、懸命に働いたのに……造り酒屋の旦那の追手に見つかって、あの街にいられなくなった。


 別れ間際に親方がくれた言葉が心に浮かぶ。盗むな、自分を売るな、胸を張って生きていけ……そんな約束は、空の向こうにとっくに消えた。自分がなんのために生きているのかさえ見失う。貧しい子どもを一人でも助けられれば、少しはマシな人間になった気分になれる。


 でも――違う。そうじゃない。判っている。だけど自分じゃどうしようもない。


「探しても見つからない答えはどうしたら手に入る?」

「さぁな……」


 フィルをチラリと見てアースが歩き出した。

「アース、どこに行くんだ? ついていってもいいか?」

アースと一緒に居れば、答えが見えてくるような気がした。それ以上に、アースといればきっと退屈しないだろう。コイツはただの詩人じゃない。


 そんなフィルを振り返りもせずにアースが答える。

「おまえの道はおまえが決めろ。行きたい道を行けばいい。それがわたしを同じでも、文句は言えない――わたしは西だ、西に向かう」


 つまり、ついてってもいいってことか……そう言えば人を探していると言っていた。探される俺と探しているアース、面白い取り合わせじゃないか。


「待ってくれよ。どうせなら、何か話そうよ」

追いついたフィルが話しかけても、アースは知らんふりだ――アースの横顔を眺めながらフィルがニッコリする。これからの旅が楽しくなる予感に、つい微笑んだフィルだった。

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