第7話 硝子は砕けるために
瑠衣 美豚です。
この事件のクライマックスになります。
楽しく読んでいただけますと幸いです。
【ミッシュ視点】
「だまらっしゃい!」
ついに使徒がキレた。
彼の背後から無数の黒い影の手が鞭のようにしなり、セオへと襲いかかる。
セオはそれをまるで予測していたかのように、ひらりひらりとかわしていく。大理石の柱を盾にし床に倒れた瓦礫を蹴り上げて目くらましにする。
わたしはその激しい攻防の音を、まるで遠い世界の出来事のように聞きながら、ただひたすらに精神を集中させていた。
言われた通り目も耳も全ての感覚を閉ざしている。
わたしの真っ暗な精神の世界に響くのは、ただセオの声だけ。
(まだだ……まだその時じゃない……)
本当にできるのかな、わたしなんかに。もし失敗したら? もし斬るべき糸を見誤ったら? その時はあの少女だけじゃなくわたしの魂まで……。
ダメだ、弱気になるな! セオが信じてくれてる。わたしはただ彼の言葉だけを信じるんだ!
「お前のやっていることは芸術などではない!」
セオの声が響く。
彼はただ逃げているだけではなかった。彼は知っていたのだ、自分にはミッシュのような戦う才能はないということを。だから彼は別の技術を徹底的に磨き上げていた。
どんな絶望的な状況でも生き残るための『観察眼』と、そしてコンマ一秒の『隙』を作り出すための命知らずの『覚悟』を。
彼はこの命がけの鬼ごっこの中で、使徒の異能の本質をその綻びを探しているのだ。
わたしに最高のパスを出すための完璧なタイミングを、ただひたすらに計りながら。
どれくらいの時間が経っただろう。
一秒が一時間にも感じられるような濃密な攻防。
そしてついにセオの探していた、たった一つの『綻び』がその姿を現した。
「――おい偽善者。お前のその悍ましい異能、その本当の正体を暴いてやろう」
セオの声のトーンが変わった。
確信に満ちた声。
(……来る!)
わたしは剣の柄を強く握りしめた。
「お前の異能の本当の発動条件、それは『助け』などという生易しいものではない。**『お前が相手の“絶望”を喰らった時』**だ!」
セオのその言葉がわたしの閉ざされた心の中に、雷鳴のように響き渡った。
『絶望』。それこそがこの異能の核となるルール。
その瞬間わたしには見えた。
真っ暗な精神の世界の中にたった一本だけ赤黒く輝く、禍々しい『糸』が使徒とあの少女の魂とを繋いでいるのが。
これだ。これこそがわたしが斬るべき異能の『理』そのもの。
「そしてその行為はお前に重大な『制約』を課す!」
セオの第二の暴露が続く。
「魂を喰らうには対象と魂のレベルで深くリンクする必要がある! それこそがお前の致命的な綻びだ!」
見える糸がよりはっきりと見える。
わたしは閉じていた目蓋の裏で、そのたった一本の赤い糸だけを捉えた。
そして全ての力を剣先に集中させる
(いけっ……!)
現実の世界でわたしは剣を大きく振りかぶっていた。
その切っ先はどこにも向けられてはいない。ただ虚空を見据えているだけ。
(『理砕きの編鎖剣』!)
わたしがその剣を虚空に向かって振り下ろしたのと、精神の世界でわたしの魂の刃があの赤黒い理の糸を断ち切ったのは、ほぼ同時だった。
ぶつり、と。
何かが断ち切れる音がした。
「――ぐ……あああああああああっ!」
使徒の体が大きく痙攣した。
少女に繋がっていた魂の繋がりが完全に断ち切られたのだ。
少女の瞳にゆっくりと生気が戻ってくる。
そして使徒は自らの暴走した異能の力に、内側から喰い破られその場にくずおれた。
黒い影の手が霧のように消え去っていく。
(……やった!)
わたしが安堵の息をついたその時だった。
最後の力を振り絞り使徒がわたしに向かって何かを投げつけてきた。
それは彼自身の心臓を抉り出したかのような、凝縮された魔力の塊だった。
まずい、避けられない!
だがその魔力の塊がわたしに届くことはなかった。
わたしの前に黒いコートが翻る。
セオがわたしの盾になっていた。
「――ぐっ……!」
セオの肩口を魔力の塊が抉り、鮮血が舞う。
「セオ!」
「……油断するな、ミッシュ」
彼は痛みに顔を歪めながらも冷静だった。
「怪物は死に際に最も牙を剥くものだ」
彼はよろめきながらも一歩前に出た。そしてもはや虫の息となった使徒の、その目の前に立つ。
「お前のその歪んだ芸術も所詮はインクと紙の上だけで完結する、ただのお遊びだということだ」
セオは使徒の外套の内ポケットから抜き取った、彼自身の銀の万年筆をその胸に突き立てた。それは戦闘技術ではない。ただ目的のためには自らが傷つくことすらも厭わないという、狂気的なまでの覚悟の現れだった。使徒の体が大きくのけぞり今度こそ完全にその動きを止めた。
「……。私の……完璧な……物語が……」
セオはそんな彼を冷たく見下ろした。
「ああ、そうだ。お前の物語は完璧だ。――ただ主役の名前を間違えていただけだ」
「……なに……?」
「お前は王子様などではない。ただ少女の絶望だけを喰らう醜い怪物だ。……そして怪物にハッピーエンドは似合わない」
彼のその言葉はまるで絶対零度の氷のようだった。わたしは傷ついた彼の肩と崩れ落ちる使徒の姿を、ただ黙って見つめていた。わたしたちの本当の意味で最初の仕事がこうして終わった。
◆
第3使徒『偽善者』の歪んだ舞蹈会はこうして幕を閉じた。
翌日。
街には少しずつ日常が戻り始めていた。
保護された少女もまだ心に深い傷を負ってはいるけれど、命に別状はないらしい。
わたしと肩に包帯を巻いたセオは、警備隊の詰所で最後の報告を済ませていた。
「いやあこの度は本当にありがとうございました!」
あの人の良さそうな隊長さんが満面の笑みで、わたしたちに深々と頭を下げる。
「それで一つおかしなことがありましてな」
隊長は声をひそめ例の使徒の所持品から見つかった、革張りの手帳について語り始めた。そしてその最後のページに明らかに別の何者かによって書かれた、不気味な『詩』のようなものが存在していたことを。
『――舞台は整った。役者も揃った。さあ始めようか。世界という盤上でのチェスを』
その一文を読んだ瞬間、隣に立つセオの空気が変わったのをわたしは感じた。
彼の顔には驚きも困惑もなかった。
まるでずっと解けなかったパズルの最後のピースが、思いがけない場所から見つかったかのような。
そんな静かなそして底なしの知的好奇心に満ちた表情。
「……なるほどな」
彼の口から低い声が漏れた。
「……どうやら、この盤面の上には、もう一人指し手がいたらしい」
「この神探しというゲームはただ盤上の駒(使徒)を取り合うだけの、単純な陣取り合戦ではないということか」
彼の瞳にはもうこの街の事件は映っていなかった。
そこに宿っていたのは自分と同じ盤面を全く別の遥か高みから見下ろしている、まだ顔も名前も知らない未知の好敵手の存在を明確に確信したことへの、純粋なそしてどこまでも歪んだ**『歓喜』**だった。
わたしたちの本当の戦いはまだ始まったばかりなのだと、わたしは改めて思い知らされた。
(第7話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
この事件はここで解決になります。
本作は「ライトミステリー×アクション」をテーマに、世界の有名な歴史物語・戯曲や古典文学・童話・都市伝説を、二つ以上組み合わせて事件を描いています。
もし元になった物語が分かった方は、ぜひ感想欄で教えていただけると嬉しいです。
使徒の能力が分かりずらいと思うので、詳しい情報を記載しておきます。
第3使徒『偽善者』
異能名:『喝采なき救済劇』
【基本概要】
この異能は、対象を直接攻撃するものではない。使徒が**「救世主」を演じ、対象者に偽りの「救済」を与え、そして、その救済によって対象者がより深い「絶望」**に突き落とされた、その瞬間にその魂を刈り取るという、極めて精神的な異能。
彼は、物理的な殺人者できない。彼は、**人の心を殺す「魂の詐欺師」**
【発動までの三つのステップ】
ステップ①:『対象の選定』
* 条件:
* 使徒は、まず、心に何らかの強い「渇望」や「コンプレックス」を抱え、人生に絶望している人間を探している。
* 彼らが抱える絶望が、深ければ深いほど、この異能の効果は絶大なものとなる。
ステップ②:『偽りの福音』
* 条件:
* 使徒は、対象者の前に「救世主(王子様など)」として現れ、その**渇望を叶えるかのような、「偽りの救済」**を提示する。
* 効果:
* この「偽りの救済」は、対象者自身の意志でそれを受け入れ、そして、何らかの「代償」を払わせる必要がある。
* ただ、一方的に与えられる救いでは、魂とのリンクが生まれない。
ステップ③:『絶望による魂の刈り取り(ハーヴェスト)』
* 条件:
* 「代償」を払い、「救済」を受け入れた対象者が、その救済そのものが偽りであったと気づき、究極の「絶望」を感じた瞬間。
* 効果:
* 異能が、完全に発動する。
* 対象者の魂は、その持ち主から完全に切り離され、使徒のものとなる。
* 魂を失った肉体は、生命活動を停止し、あたかもショック死したかのように、静かに死に至る。