第6話 午前零時のワルツ
瑠衣 美豚です。
前回の続きになります。
楽しく読んでいただけますと幸いです。
【ミッシュ視点】
丘の上にそびえ立つ、廃墟の城。かつて、この街の領主が住んでいたというその城は、今はもう、訪れる者もなく、ただ、静かに朽ちていくだけの、忘れられた場所だった。
月明かりだけが、崩れた壁や、蔦の絡まる窓枠を、青白く照らし出している。
わたしとセオは、城門をくぐり、その内部へと、慎重に足を踏み入れた。中は、ひどい有様だった。床には、分厚いホコリが積もり、壁には、色あせたタペストリーが、亡霊のように垂れ下がっている。
「……いる。この奥だ」
わたしは、息を詰めた。
ダンスホールで、あの少女が攫われた瞬間に、彼女の魂にまとわりついた、あの悍ましい歓喜の『音色』。
その残り香が、まるで霧のように、この古い城の中に満ちている。
使徒本人が、いるのではない。でも、彼の『獲物』が、この城のどこかにいる。そして、その魂の悲鳴が、わたしを呼んでいるのだ。
「……こっち」
わたしは、その悲しい音色の糸をたどるように、大広間へと向かう。そこは、かつて、華やかな舞踏会が開かれていたであろう、広いホールだった。天井は高く、床には、大理石が市松模様に敷き詰められている。
そして、その、ホールの真ん中。月明かりが差し込む、ちょうどその場所で二人の男女がゆっくりとワルツを踊っていた。
一人はあの銀髪の優雅な男。第3使徒、『偽善者』。そして、もう一人は、ダンスホールで攫われたあの泣いていた少女だった。
少女の瞳は虚ろで、まるで魂の抜かれた人形のようだ。そして、その足には血に濡れた包帯が痛々しく巻かれ、その上からあの小さな『硝子の靴』が無理やり履かされていた。
「――ようこそ、招かれざる客よ」
わたしたちの存在に気づくと、使徒は踊りをやめ、優雅に一礼した。
「我がささやかなる舞踏会へ。楽しんでいただけているかな?」
「茶番はそこまでだ」
セオが冷たく言い放つ。
「少女を解放しろ。お前のやっていることは救済などではない。ただの自己満足にまみれた醜悪な遊戯だ」
「醜悪? ああ、君にはそう見えるのだろうな」
使徒は心底楽しそうに肩をすくめた。
「だが、君にはわかるまい。絶望の淵にいるか弱い子羊に夢という名の『光』を与え、その光によって、より深い絶望へと突き落とす。その瞬間に魂が奏でる悲鳴の、なんと、美しいことか……!」
彼は狂っていた。人間の絶望を最高の芸術だと信じて疑っていない。
「私は救世主だよ、探偵」
使徒はうっとりと目を細めた。
「私はただ彼女たちの『夢』を叶えてあげているだけだ。この惨めな現実から、永遠の夢の世界へと導いてやっている。彼女たちは感謝こそすれ、私を恨むことなどありはしない」
その言葉にわたしは我慢ができなくなった。
「ふざけないで!」
わたしは叫んだ。
「あんたがやってることは、ただの弱い者いじめじゃない! 夢を利用して人の心を弄んで……! そんなの、絶対に許さない!」
「おお、勇ましいお嬢さんだ」
使徒はわたしを見ると面白そうに笑った。
「ならば、君も踊るかね? 私のこの手の中で」
その瞬間、使徒の背後から無数の黒い影の手が、まるで生き物のように伸びてきた。まずい、あれはただの魔法じゃない! 異能だ!
「ミッシュ、下手に動くな!」
セオの声が響く。
「奴の異能は『助ける』という行為そのものが、発動条件になっている可能性がある! 我々があの少女を『助けよう』とした瞬間、我々も奴の術中に嵌ってしまうぞ!」
そんな……! じゃあ、わたしたちは、ただ、見ていることしかできないっていうの?
「その通りだよ、探偵」
使徒は、せせら笑う。
「君たちは何もできない。ただ、無力に私の芸術が完成していく様を眺めていることしかね。さあ、もうすぐ午前零時だ。おとぎ話の終わりの時間だよ」
使徒はそう言うと、虚ろな目をした少女の額に、そっと指を触れた。少女の体から魂が、ゆっくりと抜け出していくのがわたしには見えた。このままでは彼女の魂が完全に奪われてしまう!
「……セオ、どうするの!?」
わたしは焦りながら彼に問う。
でも、セオは不思議なほど落ち着いていた。
彼は使徒ではなく、その背後――大広間の、壁際に並べられた、古い甲冑の置物たちをじっと見つめていた。
「……ミッシュ。聞こえるか」
彼はわたしにだけ聞こえる小声で言った。
「奴の言う通り、あの少女を『直接』助けることはできない。だが残された選択肢は一つだけだ」
彼の視線がわたしの腰にある剣へと注がれる。
「お前の**『理砕きの編鎖剣(ルール- ブレイカー)』。その真価を試す時だ。あの剣はただの物理的な刃ではない。使徒の異能を構成している『ルール』そのものを断ち切る概念的な刃。……だがそのためには、斬るべき『ルール』の正確な“正体”**を、術者であるお前自身が完全に理解する必要がある」
わたしは唾を飲み込み、決意を固めた。
「今から私が奴の異能の本当の発動条件を暴き立てる」
セオは静かに、しかし力強く言った。
「お前は私の言葉を一言も聞き漏らすな。そして、私が奴の**『異能の核』となる、ルールを口にしたその瞬間に**奴と少女を繋いでいる目には見えない魂の繋がり(リンク)を斬り裂け」
それはセオの完璧な推理とわたしの完璧なタイミングが、合わさらなければ決して成功しない神業のような離れ業だった。
「だが、お前が斬るべき『理の糸』は目には見えない。五感で捉えることは、できないだろう」
セオは、続ける。
「だから、心を閉ざすんだ、ミッシュ。いいか、よく聞け。人間の脳は、情報の大部分を視覚に頼っている。その、最大の情報源を強制的にシャットダウンすれば、脳はパニックを起こし、普段は眠っている別の感覚を、無理やりこじ開けようとする。それが、お前の魂に眠る『直感』だ。……私の言葉だけを、道標にしろ。そうすれば、お前には見えるはずだ」
無茶苦茶だ。でもセオは本気だった。
「……やってみる」
わたしは剣の柄を強く握りしめた。
「わたしの『直感』とあなたの『頭脳』。どっちが上か勝負だね」
わたしのらしくない強気な言葉に、セオは一瞬驚いたような顔をして、そして不敵な笑みを浮かべた。
「……面白い。その勝負、乗ってやろうじゃないか」
その言葉を合図にするように、彼は使徒へと向き直り、大声で叫んだ。
「おい、偽善者! お前の芸術とやらは実に下らないな! 所詮は弱い者しか相手にできない三流の舞台だ!」
「……何だと?」
使徒の意識が完全にセオへと向く。その鋭い憎悪の視線を一身に浴びながら、セオはただ冷静に次なる言葉の刃を研ぎ澄ませていく。
わたしは言われた通り深く息を吸い、全ての感覚を遮断した。
これから始まるのは物理的な戦いではない。
セオのたった一つの『言葉』を引き金とする、魂の戦いだ。
わたしたちの本当の反撃が始まる。
(第6話 了)
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本作は「ライトミステリー×アクション」をテーマに、世界の有名な歴史物語・戯曲や古典文学・童話・都市伝説を、二つ以上組み合わせて事件を描いています。
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