第3話 喝采なき舞台
瑠衣 美豚です。
クライマックスになります。
楽しく読んでいただけますと幸いです。
【ミッシュ視点】
「次の術式はすでに発動している」
セオのその一言は、広場のざわめきをぴたりと止めた。謎解きの場で見せる遊び心は消え、代わりに緊迫した光が瞳に宿る。喉の奥がひりつき、呼吸が浅くなる。
「犯人は周到に準備を進めていた」
セオはスペードのエースのカードをピンセットで摘み上げたまま告げる。
「このカードに使われているインクは、アルマン氏の肖像画と同じ『記憶のインク』だ。そして、おそらく同じ呪いが込められている。急ぐぞ。ショーの幕が上がる前に」
◆
夜のエリジア・オペラハウスは、満場の観客の熱気で包まれていた。
今宵の主役は伝説の歌姫、ソフィア・ヴァレンティ。これが彼女の最後の舞台だ。
わたしとセオは警備隊の協力を得て、その内部に潜入していた。
「セオ、どうするの? こんなに人がたくさんいたら……」
バックステージの喧騒の中わたしは不安げに彼の袖を引く。
セオは冷静に周囲を見渡していた。
「落ち着けミッシュ。パニックは思考を鈍らせるだけだ。……犯人は必ずどこかからこの舞台全体を見下ろしているはずだ」
彼は独り言のように呟き、思考を巡らせている。犯人の本当の狙いは何なのだろう。彼があんなに焦るのは、よほどのことに違いない。
彼の視線がふと天井近くの特別貴賓席、ロイヤルボックスへ向いた。普段は王族だけが座ることのできる最高の席だが、今夜はなぜか誰も座っておらず、重厚なカーテンが固く引かれている。
「……あそこか」
セオが小さく呟いた。
「ミッシュ、お前は舞台袖で歌姫の護衛を。何か異変があればすぐに知らせろ。……私は少し挨拶をしてくる」
そう言うと彼は人の波に紛れるようにして貴賓席へと向かう大階段の方へと消えていった。一人残されたわたしは言われた通り舞台袖の暗がりからステージの様子を見守るしかなかった。
大丈夫かなセオ。無茶しないといいけど……。
やがて第一幕が終わり幕間の休憩時間。主役である歌姫ソフィアが華やかな衣装のまま楽屋へと戻ってきた。
「素晴らしいぞソフィア! 今夜の君こそエリジアの至宝だ!」
恰幅のいい紳士が彼女に駆け寄り、手を握って賞賛の言葉を並べている。
警備隊の人から聞いたところによれば、彼はこのオペラハウスの舞台監督で、ソフィアの長年の後援者だという。
「ありがとうございます監督。これも全てあなたのおかげですわ」
ソフィアはにこやかに微笑む。
その時だった。
わたしは見てしまった。
監督がソフィアの手を握ったその一瞬、
彼の指先から間違いなく、あの『記憶のインク』と同じ禍々しい魔力の匂いが、ソフィアの肌へと移っていくのを。
あれは呪いの『刻印』だった。
「……だめっ!」
わたしは思わず駆け出していたが、間に合わなかった。
「では、ソフィア。第二幕も君の最高の“顔”を、皆に見せておやり」
監督がにやりと笑ったその瞬間、ソフィアの美しい顔がまるで陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。
「きゃあああああっ!」
彼女は自らの顔に手をやり鏡に映る自分の「顔」を失った姿を見て短い悲鳴を上げその場に崩れ落ちた。
「……ふふ、ははは! 見たか! これが私の理論の証明だ!」
監督は高らかに笑い声をあげた。
「どんな美しい顔も、私の前では意味をなさない!」
その時だった。
「――その通り。あなたの狙いは最初から歌姫ではなかった」
声が響き特別貴賓席のカーテンが内側からさっと開けられた。そこに立っていたのはセオだった。その隣では縄で縛られた一人の男が気絶している。
「な……探偵!? なぜそこに……」
監督が驚愕の表情でセオを見上げる。
「あなたの狙いは歌姫ではない」
セオは手すりから身を乗り出すようにして言った。
「か弱い歌姫を心配そうに見つめているあの愚かな観客たち……その『顔』こそがあなたの本当の獲物だった。違いますかな、監督」
セオの言葉に、監督――『ジャック』はついに観念したかのように肩を落とした。
だが、違った。観念などしていなかった。彼の顔がゆっくりと上がる。その瞳には絶望ではなく追い詰められた獣のような凶暴な光が宿っていた。
「……ああ、その通りだ探偵! 私の仮説をここまで理解してくれるとは、実に嬉しいぞ!」
彼は高らかに笑うとその手を舞台照明を操作するための巨大な魔導水晶へと- かざした。
「だがカーテンコールにはまだ早い! これからがこの喜劇の本当のクライマックスだ!」
その瞬間魔導水晶が禍々しい紫色の光を放ち始めた。舞台照明が一斉に客席へと向けられる。まずいこのままでは観客全員が呪いにかかってしまう!
「ミッシュ来るな! 奴はこの劇場全体を巻き込む気だ!!」
セオの鋭い声が飛ぶ。犯人は狂ったように笑いながら魔導水晶にさらに魔力を注ぎ込む。どうしよう……! わたしがここで飛び出してもあの水晶を止められるか……!
その時、セオの冷静な声が、わたしの頭の中にだけ響いた。まるで糸電話のように。
(……ミッシュ。聞こえるか。奴の狙いは観客ではない。私だ。奴は私がこの術式をどう止めるかその『謎解き』を見たいのさ)
セオは貴賓席の手すりを軽々と乗り越えると舞台の照明機材を吊るしている太いロープへと飛び移った。
その動きはまるで黒猫のようにしなやかだった。
「なっ……!?」
犯人の目が驚きに見開かれる。
「言ったはずだ。あなたの仕掛けた謎は全て解き明かすと」
セオはロープを伝いながら彼の頭上へと回り込んでいく。
「あなたの術式の最大の弱点。それはこれほどの大掛かりな魔法をあなた一人の魔力で制御しきれるはずがないということだ。あなたは必ず物理的な『補助装置』をどこかに隠している!」
彼の視線がオペラハウスの巨大な天井。そのちょうど真ん中にある不自然にデザインの違う**巨大な『ガラスの眼球』**を捉えた。あれが第二の『術式』の心臓部!
(だからお前は、奴があの水晶から手を離したその一瞬を見逃すな)
セオの声が再び響く。
「――ミッシュ今だ!」
彼が叫んだのと犯人がその存在に気づき迎撃しようと魔導水晶から一瞬だけ手を離したのはほぼ同時だった。
その0.1秒にも満たない一瞬の隙。
(いけっ……!)
一条の光のように銀色の鎖がわたしの手から飛来する。
(わたしの相棒――『理砕きの編鎖剣』!)
それは犯人本人ではなく彼が立っていた床――そこにチョークでうっすらと描かれていた補助魔法陣を寸分の狂いもなく貫いた。魔法陣が光を発して砕け散る。
「ぐ……あああああっ!?」
力の供給を断たれた犯人が短い悲鳴を上げた。舞台照明の禍々しい光が潮が引くように消えていく。
次の瞬間、天井から黒い影が、音もなく舞い降りた。セオだった。彼は、犯人の背後に、完璧に着地する。
力の供給を断たれ、もはや何の抵抗もできない犯人は、ただ震える肩を抱き、その場にへたり込んだ。
「……なぜだ……。私の、完璧な実験が……。君になら、わかるはずだ……。この、私の知性の輝きが……!」
犯人は、まるで最後の救いを求めるかのように、同じ天才であるはずのセオに、すがるような視線を向けた。
だが。セオは、そんな彼に、一瞥もくれなかった。
彼は犯人の横を、ただ静かに通り過ぎる。そして床に落ちていた、一枚のオペラのプログラム冊子を拾い上げた。彼は、その冊子をパラパラとめくると、まるでレストランでメニューでも読むかのように、淡々とした声で呟いた。
「……ミッシュ。腹が減ったな。この街で一番美味い店は、どこだ?」
「え……?」
わたしの間の抜けた声と、そして犯人の愕然とした表情。その二つを完全に無視して、セオはくるりと踵を返し、この狂った舞台から出て行こうとする。
「ま、待て……! 私を無視するな! 私の話を聞け……!」
犯人の哀れな叫び声が、背後から聞こえてくる。
彼のプライドを粉々にしたのは、セオのどんな痛烈な言葉でもなかった。それは、自分と同じ高みにいると信じていた、天才からの絶対的な「無関心」。自分が命を懸けて作り上げた最高の舞台も、彼にとっては、ただの空腹を覚えるまでの、退屈な暇つぶしにすらならなかったという、残酷な事実。
それこそが、この哀れな模倣犯に与えられた、最も相応しい結末だったのかもしれない。
わたしは傷ついた歌姫と、もはや抜け殻のようになってしまった犯人の姿を見比べ、そして慌ててセオの後を追いかけた。わたしたちの本当の意味で最初の空振り事件が、こうして幕を閉じた。
◆
事件の後わたしはセオにずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「ねえどうして犯人が監督だってわかったの?」
セオは押収されたオペラのプログラム冊子を指で弾いた。
「簡単なことだ。最初のカードのインクと予告状のカードのインクそしてこの劇場のプログラムのインク。その全てに使われていた希少な『記憶のインク』の成分が完全に一致したからだ。……犯人は自分の実験に酔いしれるあまりサインを残しすぎたのさ」
彼はそう言うとプログラムの片隅に印刷された小さな紋様を指さした。
「そして、この紋様。犯人のアトリエから見つかった、研究日誌にも、同じものが、描かれていた。……どうやら、この模倣犯に、最初の知恵を授けた、別の『脚本家』がいるらしい」
彼の視線は、もう、この事件の先にある、もっと大きな、底知れない闇を、見据えているようだった。
(第3話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
本作は「ライトミステリー×アクション」をテーマに、世界の有名な歴史物語・戯曲や古典文学・童話・都市伝説を、二つ以上組み合わせて事件を描いています。
もし元になった物語が分かった方は、ぜひ感想欄で教えていただけると嬉しいです。
これで最初の事件は解決になります。
みなさま、この話のモチーフになった物語はお分かりになりましたでしょうか?