第2話 見えない糸と、第二の顔
瑠衣 美豚です。
前回の続きになります。
楽しく読んでいただけますと幸いです。
【ミッシュ視点】
セオの低い声が、静まり返った書斎の空気に水滴のように落ちた。
その響きは冷たく、薄暗い水底で広がる波紋のように部屋全体を凍らせる。
『私を捕まえられるものなら、捕まえてみろ』
彼の顔は笑っていた。だがそれは喜びとは違う。
歪んだ光を帯びた瞳は、まるで神に贈られた禁じられた玩具を手にした子供のそれ。いや――狂気の神が自ら操る傀儡師の顔だった。
この異常な事件を、彼は心の底から歓迎している。
「す、数式……? 探偵殿、あなたは何を……」
警備隊の隊長がうろたえ、声を震わせる。
セオは答えず、銀のピンセットで摘んだカードをじっと見つめていた。
「これは招待状であり、挑戦状。そして呪いの媒介のひとつだ」
低い独白が、砕けた鏡の破片の上を転がる。
彼は再び視線を部屋全体へと走らせた。
「だが、これだけでは説明がつかない。このまとわりつくような“気配”……カード一枚で広げるには効率が悪すぎる。別に、もっと巧妙な術式があるはずだ」
その目が、獲物を探す獣のようにゆっくりと動く。
わたしは胸の奥がざわめき、思わず声をかけた。
「……セオ」
「どうした」
「……あのシャンデリア。冷たい“目”が、ずっと私たちを見下ろしてる気がする」
その一言で、彼の視線が弾かれたように天井へ向かう。
そして、まるで埃が光を帯びて形を結んだような、微細で幾何学的な銀色の糸が天井一面に張り巡らされているのを見つけた。
「……なるほど。灯台下暗し、か」
「……ミッシュ。時々、お前の目は私の目より多くを見ているな」
満足げに頷くと、セオは隊長に短く命じた。
「隊長。あのシャンデリアを今すぐ降ろせ。ただし銀糸には絶対触れるな。あれが呪いの“回路”だ」
半信半疑の隊員たちが滑車を操作する。
ギシギシと軋む音。徐々に降りてくる巨大なシャンデリアが、私たちの視界に迫る。
そして――その異様さに息を呑んだ。
光を放つはずの魔石は一つもない。代わりに、燭台の窪みに小さな**「ガラスの眼球」**がはめ込まれていた。
数十の眼球が、濡れた光を宿して私たちを凝視している。
「……禁制品、『千里眼の呪具』か。犯人は、この部屋を舞台に、遠くから鑑賞していたわけだ」
セオの声は淡々としていたが、その奥に微かな嫌悪が混じっていた。
彼は銀糸の先を辿り、肖像画へと視線を移す。
「肖像画の触媒と、この“目”が繋がっている……観客であり、舞台照明係でもあったというわけだ」
第一の術式は解けた。
だがセオの表情は曇ったままだ。
「まだある。なぜアルマン氏だったのか。なぜ、わざわざ私にこの論文を送りつけてきた?」
彼はわたしを見た。
「ミッシュ。カードから……犯人の感情は嗅ぎ取れるか?」
「……ええと……」
呼吸を整え、指先に神経を集中させる。
部屋の虚ろな匂いの奥――そこに、別の熱が混じっていた。
「……ある。歪んだ喜びと……狂おしいほどの“憧れ”」
「……憧れ、か」
その瞬間、セオの瞳が光を帯びる。
「なるほど。奴が欲しかったのは――」
――その時。
詰所の隊員が駆け込み、荒い息で叫んだ。
「隊長! 中央広場の女神像の手に、奇妙なカードが刺さっていました!」
一瞬で空気が変わった。
現場に駆けつけると、噴水の縁には人だかりができ、女神像の白い手に一枚のカードが突き刺さっていた。
スペードのエース――裏面には、あの冷たい筆跡。
『親愛なる探偵へ。最初の謎解き、お見事。だが準備運動はここまで。
今宵、月が最も高く昇る刻――この街で最も美しい顔を持つ歌姫の舞台で会おう』
歌姫――今夜が引退公演のオペラ歌手か。
セオはカードを鼻先に近づけ、インクの匂いを嗅ぐ。その表情が、僅かに強張った。
「……まずい」
声には、これまで聞いたことのない焦りが滲んでいた。
「これは予告状じゃない。このカードそのものが第二の触媒だ。術式は……もう動いている!」
(第2話 了)
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本作は「ライトミステリー×アクション」をテーマに、世界の有名な歴史物語・戯曲や古典文学・童話・都市伝説を、二つ以上組み合わせて事件を描いています。
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