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異世界探偵は神を追う  作者: 瑠衣 美豚
16/20

第16話 チェス盤と、珈琲の香り

瑠衣 美豚です。

楽しく読んでいただけますと幸いです。

【セオ視点】


夜。宿屋の一室。揺れるランプの光が、壁に置かれたチェス盤の影を、長く伸ばしていた。ミッシュは、もう隣の部屋で眠っている。あの、安楽椅子探偵ゲームの後、彼女はよほど満足したのか、上機嫌な鼻歌混じりで、自分の部屋へと戻っていった。

……全く、単純な女だ。


私は一人、チェス盤を前に、思考に耽っていた。相手は、いない。ただ、盤上に再現するのは、先ほどの、あの馬車の中での、くだらない推理ゲーム。白の駒が、私の論理。黒の駒が、ミッシュの、非論理的な直感。

一手、一手、指し進めていく。


私の論理は、完璧だった。風の属性魔法による音響トリック。土の属性魔法による幻覚花粉の散布。動機は、土地の乗っ取り。何一つ、矛盾はない。美しく、完成された詰みの一手だ。

だが。ミッシュは、その完璧な盤面の外側から、全く別の駒を置いてきた。

『匂い』。

そんな、曖昧で、証明不可能な、非論理的な駒を。そして、そのたった一つの駒が、私の築き上げた完璧な論理の城を、根底から揺るがした。


(……ありえない推理だ。証拠が、足りなすぎる)


私は、彼女にそう言い放った。それは、本心だ。だが、同時に、心の奥底で、もう一人の私が囁いていた。


(――だが、もしそれが、真実だとしたら?)


もし本当に、犯人の動機が「悪意」ではなく、「歪んだ善意」だったとしたら。それは、私の思考のデータベースには存在しない、イレギュラーなバグだ。そして、そのバグの存在を私に教えたのは、ミッシュの、あの非論理的な『感覚』だった。

私は、知らず知らずのうちに、舌打ちをしていた。苛立ち。


それは、ミッシュに対するものではない。この、私自身の思考の限界に対する、苛立ちだった。

エリジアでの、あの美食家の事件。あの時も、そうだった。私は一度、完璧な推理を組み立てたつもりでいた。だが、その推理には、致命的な欠陥ホールがあった。そして、その欠陥を私に気づかせたのも、また、ミッシュの、あの素朴で、しかし核心を突いた一言だった。


(……私は、いつからこんなに鈍くなった?)


生前の私ならば。視野六 法夢であった私ならば。こんな、単純な見落としはしなかったはずだ。

いや、違う。そうではない。


私は、気づいてしまったのだ。この異世界に来てから、私が対峙している「謎」は、もはや、私がかつて解き明かしてきた謎とは、その「質」が根本的に異なっている、という事実に。私がいた世界の謎は、全て論理の上に成り立っていた。金、色恋、怨恨。全ての動機は、必ずそのどれかに分類できた。だが、この世界は違う。魔法があり、神がいて、使徒がいる。

そして、人の心は、私が知るよりも、もっと複雑で、もっと非合理的な「想い」で動いている。


私の「物差し」は、この世界では、もはや万能ではないのだ。その事実が、私のプライドを深く傷つけ、そして同時に、私の乾ききった心を、歓喜させていた。

コンコン、と。

控えめなノックの音がして、ミッシュが部屋に入ってきた。その手には、二つのカップが乗せられている。


「……セオ、まだ起きてたの?」


彼女は、そう言いながら、一つのカップを私の前に置いた。湯気の立つ、黒い液体。珈琲だ。

「眠れないのかなって、思って。……わたしが淹れると、いつも苦くなっちゃうんだけど」


「……余計な世話だ」


私は、そう言いながらも、そのカップを手に取った。鼻をくすぐる、香ばしい香り。一口飲むと、彼女の言う通り、それはひどく苦かった。

だが、不思議と、不快ではなかった。むしろ、その苦さが、私の混乱した頭を、少しだけスッキリさせてくれるような気がした。


「……ミッシュ」


私は、チェス盤を見つめたまま、尋ねた。


「お前は、なぜわかるんだ? 人の心の、『匂い』とやらが」


「え? うーん……」


彼女は、少し困ったように、首を傾げた。


「……なんでかな。理屈は、よくわからない。でも、わかるの。この人は今悲しいんだな、とか。この人は何か嘘をついているな、とか。……ただ、そう感じるだけ」


「……そうか」


ただ、感じるだけ。なんと、非論理的で、曖昧な答えだろう。だが、今の私には、その答えこそが、何よりも輝かしい真実のように思えた。

私の、論理だけでは足りない。この世界の深淵に潜む本当の謎を解き明かすには。論理と事実の、その先にある、人の心の奥底を照らし出す光が、必要だ。


「……悪くない」


私は、ぽつりと呟いた。


「え、何が?」


「……この珈琲のことだ」


私は、そう言って、二口目の苦い液体を、ゆっくりと喉に流し込んだ。その苦さの奥に、ほんの僅かに感じられた温かい甘さの正体を、私はまだ知らない。いや、知らないフリを、しているだけなのかもしれない。


(第16話 了)

お読みいただき、ありがとうございました。


本作は「ライトミステリー×アクション」をテーマに、世界の有名な歴史物語・戯曲や古典文学・童話・都市伝説を、二つ以上組み合わせて事件を描いています。

もし元になった物語が分かった方は、ぜひ感想欄で教えていただけると嬉しいです。

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