第14話 最後の一口
瑠衣 美豚です。
これでこの事件は終わりです。
楽しく読んでいただけますと幸いです。
【ミッシュ視点】
「最初にジュリアンさんに遅効性の毒を飲ませたのは一体誰なの……?」
わたしのその素朴な疑問は、まるで完璧に積み上げられたトランプの塔の一番下を抜き取るかのように、セオが築き上げた完璧な推理を根底から揺るがした。
そうだ。マダム・ロアンはジュリアンを脅迫した。でも彼女が直接毒を渡したという証拠はどこにもない。彼女はただきっかけを作っただけ。大広間が再び沈黙と混乱に包まれる。四人の犯人。その誰もがジュリアンに遅効性の毒を飲ませる動機も機会もなかったように思える。では一体誰が……?
その時だった。セオはハッとしたように顔を上げた。そしてまるで信じられないものを見たかのように目を見開き、ある一点を見つめた。その視線の先にはただ静かに横たわるバルトーク侯爵の亡骸があるだけだった。
「……まさか」
セオの口から絞り出すような声が漏れた。
「……そうか。そういうことだったのか。……最初から犯人は四人ではなかった。この晩餐会の犯人は……たった一人しかいなかったんだ……」
彼はゆっくりと振り返り残された三人の容疑者――イザベラ夫人、ガストン、そしてマダム・ロアン――を見据えた。
「……皆様。どうか思い出していただきたい」
彼の声は震えていた。それは恐怖ではない。あまりにも悍ましくそして完璧な悪意の迷宮の、その出口を見つけてしまった探偵だけが感じる戦慄だった。
「今夜我々が口にした料理の中で。ただ一品だけ主催者である侯爵自身が皆様に自ら取り分けた料理があったはずです」
その言葉に三人の顔色が変わった。
「……ああそうだ」ガストンが呻く。「前菜のパテだ。あれだけは侯爵が『私の自信作だ』と言って我々一人一人に切り分けて……」
「ええ。そしてそのパテにこそあの**『遅効性の毒』**が混ぜられていたのです」
セオは断言した。
「ジュリアン氏を毒殺した真犯人。それは被害者であるはずのバルトーク侯爵、彼自身だったのですよ」
そのあまりに衝撃的な告発に誰もが言葉を失った。
その、あまりに衝撃的な告発に、誰もが言葉を失った。わたしも同じだった。頭が真っ白になる。
だが、セオの推理は、まだ止まっていなかった。わたしにはわかった。彼の表情が、まだ少しも晴れていないことに。まるで、最も難解な最後のピースがどうしてもはまらないパズルを前にしたかのように。彼の瞳は、虚空を彷徨いその唇がかすかに動いている。
(……侯爵は、どうやって、死んだ? 自殺……? いや、違う……)
彼の呟きが風に乗ってわたしの耳に届いた。その時、わたしは思い出した。わたしが最初に彼に報告したあの奇妙な感覚を。
「……あのね、セオ」
わたしは、彼の思考を助けるように、もう一度言った。
「侯爵は死ぬ瞬間、すごく、苦しんでいたのに……すごく、『幸せ』だった、みたいだったんだよ」
わたしのその言葉。それが最後の鍵だった。
セオの彷徨っていた視線がピタリと、止まった。そして、彼はまるで天啓で、受けたかのようにハッと、顔を上げた。その瞳には全ての謎が、解けた者だけが浮かべる畏怖とそして戦慄の色が宿っていた。
「……ああ、そうか」
セオは、全てを、理解したのだ。
「ば、馬鹿な!」
隊長が叫ぶ。
「では、侯爵はジュリアンを殺した後自分も自殺したとでも言うのか!?」
「いいえ違います」
セオは静かに首を横に振った。
「侯爵は知っていたのです。自分の妻イザベラと料理人ジュリアンが不義を働いていたことを。そしてジュリアンが過去にレシピを盗んだ罪人であることも、評論家のマダム・ロアンから聞き出していた」
彼はこの晩餐会そのものが侯爵によって仕組まれた、壮大な復讐劇であったことを暴き立てる。
「侯爵はまずジュリアンに毒を盛った。そしてその彼が死ぬ前に必ずや自分を裏切った妻イザベラの名前を書き残すであろうことも計算していた。……だが彼の計画には一つだけ計算外のことがあった」
それはワイン商ガストンの存在だった。
「あなたもまた侯爵を殺すためにこの晩餐会へやってきた。そして何も知らないあなたはジュリアンが侯爵を毒殺したと思い込み彼を殺害し偽りのダイイング・メッセージまで残してしまった。……あなたはただ利用されただけなのですよガストン殿。侯爵の復讐劇をより完璧なものにするための最後の駒としてね」
これで全ての謎が繋がった。だが、まだ最大の謎が残っている。
「……では探偵さん」
マダム・ロアンが静かに問う。
「その侯爵自身は一体誰に殺されたのですかな?」
「ええ。それこそがこの事件の最も美しくそして最も悍ましいトリックの核心です」
セオはあの厨房の手つかずのアイスクリームとそこにかかっていた赤い粉末のことを語り始めた。
「あの赤い粉末はただの香辛料ではありません。あれは『味覚を誤認させる魔法の粉』。食べたものの味を術者の望む全く別の味へと変化させる古代魔術の産物です」
そして彼はゆっくりと宣告した。
「侯爵を殺した真犯人。それは若き天才料理人ジュリアン、彼です」
「……なんですと!?」
「ジュリアン氏は侯爵に殺される運命を知っていた。だから彼は最後の抵抗を試みた。彼は自らが食べるはずだったアイスクリームにあの赤い粉末を振りかけた。そしてこう祈ったのです。『もし俺が死んだらこのアイスクリームは世界で一番甘く美味しい味がするように』と」
「そして、そのアイスクリームをこともなげに『これはあなたへのデザートです』と言って侯爵に献上した。侯爵は何も疑わずそれを食べたでしょう。自分がすでに殺したはずの男からの最後の一皿を」
「彼は死んだ。自らの舌が感じている**『最高の幸福』の味とそして自分の体が蝕まれていく『死の苦しみ』**のそのギャップに耐えきれず心臓が破裂したのです」
被害者が加害者であり加害者が被害者。そしてそのどちらもがすでにこの世にはいない。残されたのはただそれぞれの欲望と嫉嫉に踊らされた哀れな共犯者たちだけ。
セオは、静かに、テーブルの上に残された、献立表を手に取った。
彼は、その白い紙面を、ゆっくりと見つめる。
「……この晩餐会は、まさに、究極の料理だったな」
彼の声は、冷たかった。
「だが、メニューを、間違えている」
「……何?」
「今宵のメインディッシュは、『食』ではなかった。それは、人間の底なしの欲望が、皿の上で醜く互いを食い合う、『人食いの宴』だ。……そして、そこには、誰もが満足するような、最後の一口など、存在しない」
セオは、そう言い放つと、献立表をテーブルに静かに置き、この悍ましい晩餐会の舞台に、そっと背を向けた。
◆
あの血塗られた晩餐会から一夜が明けた。湖上の別荘にはもう昨夜の狂気はどこにもなく、ただ静かな朝の光が差し込んでいるだけだった。事件の関係者たちは皆警備隊によって拘束されたと聞いた。それぞれがそれぞれの罪を背負い裁かれていくのだろう。
「……後味が悪いかミッシュ」
セオが窓の外を眺めながら静かに言った。
「……うん。なんだか誰も救われなかった気がして」
「そうだな」
彼は静かに頷いた。
「だがこれもまた一つの結末だ。人間の愚かさが生み出したありふれた悲劇の一つに過ぎない。……我々はただそこに書かれていた物語を読み解いただけだ」
彼の言葉はいつも冷たくてそして正しい。でもその正しさが時々どうしようもなく悲しく聞こえることがあるのを彼は知らない。わたしたちは街を出る準備をしていた。結局今回も使徒は現れなかった。「空振り」だ。だがセオの表情は決して晴れやかではなかった。彼は謎が解けたという満足感よりもむしろ解け残りそして新たに生まれてしまった別の巨大な謎の存在に気づき、その深淵を覗き込んでいるようだった。
「……セオ? まだ何か気になることでもあるの?」
わたしがそう尋ねると彼はゆっくりとこちらを振り返った。
「ああ。……いくつかな」
彼は指を一本立てた。
「まず一つ。評論家のマダム・ロアン。彼女はどうやってジュリアンが過去にレシピを盗んだという、誰にも知られていないはずの秘密を突き止めたのか」
「それは……彼女が優秀な評論家だから……?」
「その通り。彼女は優秀だ。だからこそおかしい」
セオは二本目の指を立てる。
「そして二つ目。ワイン商のガストン。彼は侯爵を殺すためにあの晩餐会へやってきた。だが彼の計画はあまりにも杜撰で衝動的だった。彼ほどの老獪な商人がなぜあんな見え透いた偽装工作しか思いつかなかったのか」
そして彼は最後の三本目の指を立てた。
その瞳はもはやこの部屋ではなくもっと遥か遠くを見つめていた。
「そして三つ目。これが最も重要だ」
「なぜこの四人の人間がまるで駒が揃うかのようにあの一夜あの場所に集まってしまったのか。誰か一人が欠けていてもこの奇妙な悲劇は決して成立しなかった。……あまりにも出来すぎているとは思わないか?」
わたしは息を呑んだ。セオの言う通りだった。それはまるで……。
「ああ。まるで誰か別の存在がこの舞台に必要な役者たちを裏でそっと集めそして彼らの心に僅かな『悪意の種』を植え付けたかのようだ」
セオは静かに言った。
「マダム・ロアンには**『知的好奇心』という名の種を。ガストンには『焦り』という名の種を。イザベラには『好機』という名の種を。そしてジュリアンには『絶望』**という名の種を」
「犯人たちは皆自分の意志で動いていたと信じ込んでいる。だがその意志そのものが何者かによって巧妙に誘導されていたとしたら?」
それはもはや推理ではなかった。この事件の盤面全体を神の視点から俯瞰した者だけがたどり着ける一つの戦慄すべき仮説。
「……なるほどな」
セオの口元にあの歪んだ歓喜の笑みが浮かんだ。
「どうやら我々が追っている相手はただの模倣犯や使徒ではないらしい」
「そいつは事件を起こさせ、物語を作らせ、そして我々にそれを解かせる。その全てを楽しんでいる、**究極の、『観客』**だ」
わたしたちの神探しの旅はいつの間にかたどり着いていたのだ。神々すらも駒として弄ぶまだ顔も名前も知らない最悪の敵の、その巨大な掌の上へと
(第14話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
本作は「ライトミステリー×アクション」をテーマに、世界の有名な歴史物語・戯曲や古典文学・童話・都市伝説を、二つ以上組み合わせて事件を描いています。
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