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異世界探偵は神を追う  作者: 瑠衣 美豚
11/20

第11話 美食家のための前奏曲(プレリュード)

瑠衣 美豚です。

今回は、クローズドサークルの時間になります。

楽しく読んでいただけますと幸いです。

【ミッシュ視点】


古本屋で手に入れたあの奇妙な民話集。それがわたしたちを美食の都エリジアへと導いた。セオはあの民話の中にただのおとぎ話ではない、**過去に実際に起きた何らかの事件の「比喩」**が隠されていると睨んでいた。そしてその事件の匂いがこの華やかな美食の街からするのだと。


「……すごい。街全体がいい匂いがする」


エリジアはこれまでわたしたちが旅してきたどの街とも違っていた。石畳の道は塵一つなく磨き上げられ、建物の窓という窓には色とりどりの花が飾られている。そしてどこからともなく焼きたてのパンの香ばしい匂いや、甘いお菓子の香りが漂ってくるのだ。


「ああ。だが美しいバラには鋭い棘があるものだ」


セオはそんな華やかな街並みには目もくれず、一枚の羊皮紙を見ていた。それは神殿を通して取り寄せたこの街の権力者、バルトーク侯爵が今夜主催するという晩餐会の招待状だった。


「本当に行くの? こんなすごい人たちが集まる場所に」


わたしは招待客のリストを見て少しだけ気後れしていた。


「無論だ」


セオは当然のように言い切った。


「あの民話に隠された謎の中心にいるのは、間違いなくこのバルトーク侯爵だ。彼の美食家協会こそがこの街の光とそして闇の中心。……敵の本丸に乗り込むのに正面玄関ほど最適な場所はない」



その夜。晩餐会が開かれたのは湖に浮かぶ孤島の上に建てられた侯爵の別荘だった。島へ渡る手段は一日に二度だけ運行される一艘の連絡船のみ。まさに陸の孤島。豪華な大広間は、すでに着飾った客たちの笑い声が満ちていた。わたしたちは神殿からの特別派遣員という物々しい肩書のおかげで誰に咎められることもなくその輪の中に紛れ込むことができた。


「……なんだか嫌な感じがする」


わたしはセオの袖を引いた。集まっているのは皆、笑顔の奥に黒い感情を隠し持つ人々。

その匂いは甘く、しかし鼻の奥をじわじわと刺してくる。


「ああ。最高の舞台だ」


セオは逆に満足そうに目を細めている。


「閉ざされた空間。入り組んだ人間関係。そしてこれから起きるであろう悲劇。……探偵にとっては極上のフルコースだな」


わたしが呆れてため息をついているとわたしたちのそばに一人の紳士が近づいてきた。口元に皮肉な笑みを浮かべた初老の男性。


「これはこれは。見慣れないお顔ですな。あなた方が神殿からいらっしゃったという例の?」


「いかにも」


セオが答える。


「私はワイン商のガストンと申します。以後お見知り置きを」


彼の目は、セオを品定めするように動く。


「神殿の方々がこのような饗宴に何の御用ですかな? まさか我々の罪を懺悔させにでも来られたとか」


「ご冗談を」


セオは軽く笑みを返した。


「ただこの街に古くから伝わる『味』の歴史に興味がありましてね。……例えば百数十年前にこの地を支配したという『毒の公爵』ボルジアの伝説とか」


その名前にガストンの顔が一瞬だけこわばったのをわたしは見逃さなかった。


「……ふん。下らないおとぎ話ですな」

彼はそう吐き捨てるとそそくさとその場を去っていった。


「今の人……」


「ああ。バルトーク侯爵の長年のライバルでありそして親友でもあるワイン商のガストン殿だ。……面白い反応だったな」


セオは楽しそうに呟いた。

その時近くのソファで談笑していた二人の女性の会話がわたしの耳に入ってきた。一人は厳しい顔つきの初老の貴婦人。もう一人は若く美しいがどこか怯えたような表情の女性だった。


「――本当にお可哀想にイザベラ様。あんな強欲で嫉妬深い旦那様とご一緒とは」


厳しい顔つきの貴婦人――マダム・ロアンが扇子で口元を隠しながら言った。


「……そんなことはありませんわマダム。侯爵様は私にとても良くしてくださいます」


若く美しい女性――この屋敷の女主人、イザベラ夫人は微笑みながらも、その瞳にはかすかな揺らぎがあった。


「あらそうですこと? ですが噂では、侯爵様はあなたのその美しさに嫉妬してこの島から一歩も外へ出すことをお許しにならないとか。まるで籠の中の鳥ですわね」


その言葉の奥に、深い後悔の色がちらりと覗く。


「……ですが、それも仕方ありませんこと。人間は誰しも、生まれながらに罪を背負うもの。その罪の重さに耐え、日々を生きることこそが、我々に与えられた唯一の罰なのですから」


彼女はそう言って、どこか遠い目をした。その瞳の奥にわたしは一瞬だけ、彼女自身の深い、深い後悔の色を見たような気がした。


彼女こそがこの国で最も権威のある料理評論家。彼女の一振りのペンは、料理店を一夜にして天国にも地獄にも落とす力を持つ。


ふと、鼻先をかすめる香りがあった。甘く、それでいて微かにスパイシー。

心の奥をそっとかき乱すような、不思議な香り。香りの元をたどるとそれは料理評論家のマダム・ロアンが胸元に挿している一輪の深紅のコサージュから漂ってきていた。


「……良い香りでしょう、お嬢さん?」


わたしの視線に気づいたのかマダム・ロアンは扇子で口元を隠しながらにこりと微笑んだ。


「これは東方の珍しい香辛料でしてね。『夢見草』と呼ばれておりますの。ほんの少量でも口に含めばどんな退屈な料理もまるで天上のご馳走のように感じさせてくれる魔法のスパイスですのよ」


彼女はそう言うと「ですが扱いが難しゅうございますから素人はお使いにならない方がよろしいですわ」と意味深な言葉を付け加えた。


その時のわたしはただ「へえ、そんな便利なものがあるんだ」と思っただけだった。その**「魔法のスパイス」**がこの後起きる恐ろしい悲劇の中心的な役割を果たすことになるとも知らずに。

とそこへ一人の若者が自信に満ちた足取りで近づいてきた。


「マダム・ロアン。今宵もお美しい。今夜の私の料理きっとあなたを満足させてみせますよ」


若き天才料理人ジュリアンだった。


「あらジュリアン。ずいぶんな自信ですわね」

マダム・ロアンは彼を冷ややかに一瞥した。

「ですがあなたのその若さだけが取り柄の小手先の料理がいつまで通用するか見物ですわ。真の芸術というものは人生の深みからしか生まれないものですから」


「……っ」


ジュリアンの自信に満ちた顔が一瞬だけ悔しさに歪む。


その一触即発のような空気の中ついに大広間の扉が厳かに開かれこの晩餐会の主催者がその巨体を現した。バルトーク侯爵だった。


「――皆様ようこそお集まりいただいた」


彼の声は低くそして蛇のようにねっとりとしていた。


「今宵は我が美食家協会の威信を懸けた最高の一夜。……ここにいる誰もが私の完璧な舞台のための重要な『食材』だ。せいぜい楽しんでいってもらいたい」


その不気味な宣言と共に晩餐会は始まった。わたしは思った。ここにいる誰もが何かを隠し何かを企んでいる。この晩餐会は悲劇のために用意された完璧な舞台なのだと。

そんな予感が胸の奥で警鐘を鳴らす。


そして、その予感は最悪の形で的中する。

食事が始まった。テーブルに並べられたのはまさに芸術品のような料理の数々。だが、わたしはほとんど喉を通らなかった。わたしはその晩餐会に渦巻く複雑な感情の匂いに少し気分が悪くなっていた。


悲劇は、メインディッシュのあとにやってきた。晩餐会の目玉――「賢者の涙」と名付けられた、秘蔵の最高級アイスクリーム。銀の盆に載せられたそれが運ばれ、侯爵がひと口味わった瞬間――。


「……っぐぅ……!」


バルトーク侯爵の喉から押し殺したような呻きがもれ、巨体が椅子ごと床へ崩れ落ちた。口からは泡が吹き出し、体は魚のように痙攣している。


「……毒だ!」


誰かが叫んだ。大広間は一瞬にしてパニックに陥った。

セオは誰よりも早く動いていた。彼は侯爵のそばに駆け寄るとその脈を取りそして静かに首を横に振った。


「……手遅れだ」


彼は次にテーブルの上に残されたアイスクリームを銀のスプーンで少量すくい取りその匂いを嗅いだ。そして顔をしかめる。


「これは……猛毒『氷の花』の毒。神経を麻痺させ心臓を止める。……だが無味無臭のはず。なぜ侯爵はこれほど苦しんだ?」


わたしも、漂う匂いを嗅ぎ取っていた。

毒特有の冷たい匂いではない。

甘く、そしてどこかで感じたことのある――恍惚とした死の匂い。


「ミッシュどうだ?」


セオの視線がわたしを射抜く。


「……わからない。でも侯爵は死ぬ瞬間すごく苦しんでいたはずなのに……すごく**『幸せ』**だったみたい……」


「……幸せだと?」


セオの目に鋭い光が宿った。

その時だった。


「きゃあああああっ!」


イザベラ夫人の悲鳴が響き渡った。


「た、大変です! 厨房で料理長のジュリアンさんが……!」


わたしたちが厨房に駆けつけるとそこには信じられない光景が広がっていた。若き天才料理人ジュリアンが血ままみれで倒れていたのだ。その胸には肉を切り分けるための大きなナイフが深々と突き刺さっている。そしてそのジュリアンの冷たくなった手が一つの文字を床に書き残していた。それは血で書かれた**『ガ』**という一文字だった。


「……ガ……。まさかワイン商のガストン殿が犯人だとでも言うのか!?」


隊長が叫ぶ。

だがセオはそのダイイング・メッセージには目もくれず厨房のある一点をじっと見つめていた。それは調理台の上に置かれていたまだ誰も手をつけていないもう一つのアイスクリームだった。侯爵のものと全く同じアイスクリーム。そしてそのアイスクリームが置かれた銀の皿の縁にごく微量の赤い粉末が付着していた。


「……なるほどな。そういうことか」


セオが静かに呟いた。


「これは二つの事件ではない。そして犯人は一人でもない。……これは二人の犯人が互いを殺し合った壮大な『共犯関係』の果てだ」


彼のその言葉の意味をわたしを含めその場にいた誰もが理解できずにいた。


(第11話 了)


お読みいただき、ありがとうございました。


本作は「ライトミステリー×アクション」をテーマに、世界の有名な歴史物語・戯曲や古典文学・童話・都市伝説を、二つ以上組み合わせて事件を描いています。

もし元になった物語が分かった方は、ぜひ感想欄で教えていただけると嬉しいです。


あと、遅くなりましたが、モチーフになったネタになります。


・1〜3話 顔のない事件

『ドリアン・グレイの肖像』『切り裂きジャック』


・4〜7話 第3使徒『偽善者』事件

『シンデレラ』『青ひげ』

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