第10話 林檎と古書と、最初の約束
瑠衣 美豚です。
日常会回になります。
楽しく読んでいただけますと幸いです。
【ミッシュ視点】
グレンフィオルでのあの使徒との激闘から一週間。セオの肩の傷もようやく癒えわたしたちは次の目的地を探すため、街道沿いの大きな中継都市エールブルグに滞在していた。これまでの街とは違う活気に満ちた明るい街。人々は笑顔で行き交いどこからか陽気な楽器の音が聞こえてくる。
「……平和だね」
宿屋の窓からそんな街の様子を眺めながらわたしはぽつりと呟いた。リブルニアの奇怪な事件。グレンフィオルでの死闘。あまりにも多くのことがありすぎてなんだか頭がパンクしそうだったから、こういう何もない一日がすごく貴重なものに思えた。
「何を呆けているミッシュ。行くぞ」
背後から声がした。振り返るとそこにはすっかりいつもの仏頂面に戻ったセオが立っていた。
「行くってどこへ?」
「情報収集だ。この街は人の往来が激しい。つまり様々な世界の『噂』が集まる情報の交差点でもある。……それに」
彼はちらりとわたしのお腹のあたりを見た。
「お前は燃費が悪いからな。腹が減っているんだろう」
ぐう、とわたしのお腹の虫がまるで返事をするかのように高らかに鳴いた。
(……しまった。また、癖で鳴ってしまった)
もう最悪。顔にかあっと熱が集まるのを感じた。
「べ、別に、お腹なんて空いてないし!」
「そうか。では市場で売っているという名物の蜂蜜漬けの焼き林檎は、私一人で二つ食べることになりそうだな」
「……食べる」
わたしの小さな呟きにセオは本のページをめくるふりをしながら、口の端だけでほんの少しだけ笑ったのをわたしは見逃さなかった。
◆
エールブルグの中央広場はたくさんの屋台で賑わっていた。お目当ての焼き林檎の屋台を見つけわたしは銀貨を二枚渡した。熱々で甘い蜜がとろりとかかった焼き林檎。一つをセオに差し出すと彼は迷惑そうな顔でそれを見た。
「甘いものは好かん」
「えー、美味しいのに。じゃあこれはわたしが二つとも……」
「……待て。お前一人ではどうせ食べきれんだろう。残すのは食材への冒涜だ。仕方ない、一つ受け取ってやる」
彼はそう言ってぶっきらぼうに林檎を受け取るとためらいがちに一口かじった。そして少しだけ目を見開いて黙々と食べ進め始めた。
……本当に素直じゃないんだから。
腹ごしらえを終えた後セオはまるで何かに引き寄せられるように、市場の隅にある一軒の古本屋へと入っていった。店内は古い紙とインクの匂いで満ちている。わたしは棚に並んだ難しそうな本を眺めながら彼に尋ねてみた。
「ねえセオ」
「何だ」
「セオはどうしてそんなにいつも本ばかり読んでるの? そんな難しい法律とか歴史の本」
彼は棚から一冊の革張りの本を引き抜きながら静かに答えた。
「……好きなのではない。これだけがこの不確かな世界で私が唯一信用できる『物差し』だからだ」
彼の声にはいつもの冷たさとは違う何か諦めにも似た響きがあった。
「人の感情は移ろい状況は嘘をつく。だが揺るぎない事実とそこから導き出される論理だけは決して嘘をつかない」
「ふーん……」
わたしには少し難しい話だった。
「でも事実だけじゃわからないこともあると思うな。人の心の痛みとか温かさとかそういうのは理屈じゃ測れないよ」
わたしの言葉にセオは一瞬動きを止めた。そしてわたしの方を見ずにぽつりと言った。
「……だからお前がいるんだろう」
「え……」
「私には見えないものをお前が見る。私には聞こえない声をお前が聞く。それが神が我々を組ませた理由だ。違うか?」
心臓がドキリと音を立てた。彼がわたしたちのことをそんな風に思っていてくれたなんて。なんだか顔が熱くなってくる。
「そ、そうよ! わたしがいないとセオなんてただの感じ悪い理屈っぽいにーちゃんだからね!」
わたしがわざと大きな声で言うとセオは「やかましい」とだけ言ってまた本に視線を戻してしまった。でもその横顔が少しだけほんの少しだけ優しく見えたのはきっと気のせいではないはずだ。
その時だった。古本屋の主人がセオが手に取った本を見て話しかけてきた。
「お客さんそれは珍しい民話集ですな。もう百年も前に滅びてしまったとある地方のお話ばかりを集めたものです」
「……ほう」
セオが興味深そうに相槌を打つ。
「ええ。例えばこんなお話がありますかな」
主人は芝居がかった口調で語り始めた。
「――昔々ある街にそれはそれは食いしん坊の王様がおりました。王様は毎日国中の美味しいものを食べ尽くしやがて飽きてしまいました。そして悪魔にこう願ったのです。『誰も食べたことのない究極のご馳走をわしに食わせてくれ』と。すると悪魔はにやりと笑い王様に一つのフォークを渡しました。そのフォークで刺したものはどんなものでも世界で一番のご馳走の味がするという魔法のフォークでした。王様は大喜びでパンを刺しては『これは竜のステーキの味がする!』と言い水を飲んでは『これは妖精の蜜の味がする!』と叫びました。ですがある日王様は間違えてそのフォークで自分自身の指を刺してしまったのです。さあ大変。王様の舌は自分自身の肉を『今まで食べたこともない最高のご馳走だ』と感じてしまいました。そして王様は来る日も来る日も自分自身の体を食べ続けやがて骨も残さず消えてしまいましたとさ。――おしまい」
気味の悪いお話。わたしは少し顔をしかめた。でもセオの目はまるで最高の謎に出会えたというようにキラキラと輝いていた。彼はその古びた民話集を買うと宿屋へと戻る道すがらわたしに言った。
「ミッシュ、次の目的地が決まった。どうやら我々は少し寄り道をする必要があるらしい」
彼は地図のある一点を指さした。それはわたしたちが今いるこのエールブルグからそう遠くない貴族たちの保養地として有名な小さな美食の街。
「――エリジア。次の舞台はここに決まりだ」
(第10話 了)
お読みいただき、ありがとうございました。
次回は事件が起こるかもしれないですね…




