調査6 カメラ
会議室の扉を開けて入ってきた男の手に、包丁があるのをまず見つけたのは私だった。
ビデオカメラを構えたままに、男の手を指差して、
「は、刃物、刃物持ってる!」
と叫んだ。それで、高橋ディレクターと宮野シンイチが私の後ろに下がる。二人は私を盾にするつもりであろう。かといって、私が後ろに下がろうとしても、二人して私を前に押し出そうとしてきた。それに会議室の隅まで下がったので、これ以上、私が下がる隙間はない。
男はじっと、私を含め会議室の中を視線を巡らす。
おかげで男の風貌がよくわかった。ぶかぶかでサイズの合っていないジーパンを履いて、同じくぶかぶかのパーカーを着ている。パーカーはベージュ色をしているのではあるが、それは長年着たことによる経年によって着色された汚れであると見て取れた。そして、そのパーカーの経年と同じほどに男は年老いていた。顔に刻まれた皺、髭や頭髪の白髪の混じり具合からおそらく60代くらいであろうと見て取れる。
「カメラは」
ゆっくりと男が口にしたのはそんな言葉である。
何が目的であるのか、明白な言葉である。
あの赤いワンピースの女が撮影できるカメラを目的としている。
ぬらりと光る包丁の刃先が、こちらへと向けられる。
「カメラは」
「なんだお前はよぉ!」
「カメラあ!!!」
高橋ディレクターの怒鳴り声に対して、それを上回るように男が怒鳴った。
それは私たち三人を委縮させるには十分な怒鳴り声だった。高橋ディレクターに怒鳴り返すと言うのだけでも効果はある。もっと言ってしまうと、包丁という刃物は十分にこの会議室を制するだけの暴力性があった。
包丁という暴力と、この男がその身に纏う暴力性の雰囲気がこの場においての強者だ。
「カメラを出せぇ!」
「ここにはない」
高橋ディレクターは、冷静に答えた。その声色には怯えを感じさせない、ただの理性が宿っていた。
が、それが意味するのは反撃のタイミングを逃さないというだけに過ぎない。冷静さを失えば全てが悪い方向に回ると考えたのだ。
「どこにある」
「渡せば」
話の主導権をこちらに移動させようと高橋ディレクターが考えながら話をしているのがわかる。
男は会議室の中へと足を踏み込んできた。
ごくりと高橋ディレクターが生唾を飲み込む。
「渡せば帰ってくれるのか」
「どこだ」
「じきに持ってくる」
そう言った。
その言葉に何かを返しそうになった。あっとしてそのような反応を見せたとしたら、男はどこか高橋ディレクターの言葉に何か疑いをもってしまうだろう。だからか、私は何も反応を出さないようにぐっとこらえた。ただ、このままに、どうなるかを見ているだけだ。
確かにカメラを持ってこの会議室に五条アシスタントがやってくる。しかし、それがいつになるかはわからない。それまでの間に、この男が暴れ出さないという確信はない。
「本当に持ってくるのか」
「本当だ。渡すのはいい。構わない」
包丁の刃先を揺らしながら、男は一歩、また、一歩と会議室を歩く。テーブルを挟んでいるとはいえ、緊張を解く事はできない。
「お前、何なんだよ」
高橋ディレクターは牛のごとく歩く男に聞いた。会話により時間稼ぎをしようとしたのだろう。こうやって五条アシスタントがカメラを持ってくる時間を稼ぎ、暴れ出すのを可能な限り抑え込もうとしたのだろう。そして、もう一つの目的として、男が何者かを探ろうとしたのだ。
が、男は何も答えるつもりはないのか、じっと、こちらを見る。
しかし、急に堰をきったかのように、包丁の切っ先を私たちに向けて、歯を剥き出しに、話し始めた。
「あんたたちは、おまえたちは、何もわかってない。何をしようとしてるのか。すべては、すべては」
「教えてくれ。お前の名前は」
「わかっているんだ。アクトプラズムが太陽電磁波を受けて、エネルギー変換されているんだ。それにより、あの家を含め、コスモスによる天体観測が願望実現装置を生み出して、全ての幸運を導き出し、電気羊が夢を見て、その電気羊の正体は」
「ちょ、ちょっと、待ってくれ。名前は」
「コウ!」
頭を掻きむしりながら、男は叫んだ。
「高いと書いて、コウ! それが俺だ。光の戦士、アクチュエータ高! 全てわかってるんだ!」
興奮してきたのか高と名乗り、テーブルの天板を拳で叩いた。
びくりと、三人して震える。
このまま、放置したとして暴れ続けるのではないか。そういう懸念が浮かぶ。しかし、そのまま、放置するしかない。
五条アシスタントが早くカメラを持ってくるのを祈って待つしか、我々に選択肢はないのだ。
「ハトムギの毒消し効能を、アルミホイルが遮断するんだ。このアルミホイルが、マイクロチップからのオメガリオデジャネイロ効果を打ち消してくれるのは当然のことで、おかげで、南極大陸のカンガルーは今日も元気に因数分解する。その結果として、あのカメラは、あの女がやろうとしていることが」
「あのカメラに映るワンピースの女について何か知っているのか?」
「尾田あど! あの女じゃない! 尾田あどだ!」
高がそう言った時だった。
扉がノックされて、五条アシスタントが入ってきた。
「失礼しまーす」
と、なんとも暢気な声でカメラを手に持って、入ってきた。
あまりにも場違いな雰囲気を身に纏っていたが、会議室の緊迫した空気を感じ取り、愕然とした表情を浮かべる。
包丁の刃先が五条へと向いた。
「ちょ、ちょっと、なんですか、この状況」
「カメラあ!!!」
両手を上げて降参の姿勢を見せる五条であったが、高は叫ぶ。いかつい見た目の五条であったが高は臆する様子がない。
そう刃物を向けられて怒鳴られれば、元来、臆病な性格の五条はもはや抵抗する気力はない。
「五条、カメラを彼に渡してやれ」
努めて冷静に高橋ディレクターは、言った。
気分は猛獣を相手する調教師の気分かもしれない。右手を男の側に左手を五条の側へと向ける。言ってしまえば、一触即発の事態だ。どちらかがしくじれば、誰も無事で帰れない。ジュラシックパークの映画で似たようなシーンを見たことがある。両の手を広げて、場を制するシーンだ。
五条アシスタントは、何も反論をすることなく、カメラを会議室の机の上に置いた。
幸いだ。
五条アシスタントが持ってきたカメラは、似たような古さのカメラだ。今、私の後ろに隠れるように宮野シンイチが持っているカメラと、どちらが問題のカメラかと聞かれても似たような古さで、見分けがつかない。そこで一つの可能性に思い当たる。
あの女と言った高であるが、もしかするとカメラの形を知っているのではないか、という可能性だ。もしも、カメラがどのようなものか。細かく知っていたとしたら、五条アシスタントがカメラを検められた時に全てが水の泡と化す。
今、テーブルの上に置かれたカメラを高が手に取った。
「そのカメラは高さん、あなたにあげます」
高橋ディレクターは丁寧な物言いで伝えた。
それに対して、異議を挟む者はこの場においては存在しない。
まじまじと高はカメラを見ていたが、目当てのカメラであると、確信したのかそれをしっかりと強く握った。
「どけ」
次いで、包丁の切っ先を会議室の入り口付近に立つ五条へと向けて言い放つ。逆らうつもりもない五条アシスタントが会議室の出入り口から退くと、高は入ってきた時とは違う雰囲気でゆっくりと出て行った。しばらくの間、高が出て行った会議室の出入り口を何気なく見ていたが、宮野シンイチが腰を抜かすのに合わせて、皆が動き出す。
五条アシスタントはスマホを取り出して、「け、警察に通報しておきます」と弱々しく言い、後を追おうかと躊躇して足を止めた。まだ、すぐそこにいて、逆上されたくはないのだろう。誰だってそうだ。
「ビビったぁ」
五条アシスタントが警察に電話する様子を確認し、高橋ディレクターは机に突っ伏して、そう漏らした。
力なく椅子に座り、深く息を吐き出す。その息には疲労の色が含まれていた。
「なんなんだよ、マジで」
「勘弁してくださいよぉ」
宮野シンイチが椅子にへなへなと縋りつくように座りながら言った。
彼こそ本当に真の被害者の気がする。ひどい、巻き込まれというようなものだ。彼はカメラについても「もうともかくを言わない。だから、家に帰してくれ」と関心を失ったようだ。
「でも、これでよ」
疲れ切った顔で高橋ディレクターが机の上にある宮野シンイチのカメラに手を添えた。
「モノは両方手に入ったぜ」
悪い笑みが浮かんでいた。