雨雨雨雨雨
雨が降っている。
俺はアルバイト先からの帰り道を、傘を差して歩いてた。
横断歩道の前に来て立ち止まり、信号が青になるのを待つ。何台もの車が目の前を通り過ぎていく。
いつの間にか、横断歩道の向こう側に、一人の老人が立っていた。
さっきまで誰も立っていなかったので、俺は少し驚いた。この爺さんはどこから来たのだろうか。向こう側の歩道から来たのであれば、視界に入って気づくはずなのだが……。
そう思っていると、老人がこちらに歩いてきた。信号はまだ赤だ。
俺は咄嗟に「危ない」と叫ぼうとした。だが、なぜか口が開かなかった。全身が金縛りにかかったように動かない。
老人は一歩一歩こちらに近づいてくる。その顔には生気が無かった。顔色は悪く、目は淀んでいる。
俺は直感した。この人はもう、死んでいるのだと。
俺に何をするつもりだろうか。逃げ出したくてたまらなかったが、近づいてくる老人を凝視することしかできない。もう少しで俺の所に来る。
その時、車が俺の前をさっと走り抜けた。老人がいたはずだが、ぶつかるような音は一切しなかった。
そこで金縛りが解けた。辺りを見渡すが、老人はどこにもいない。やはり、幽霊だったのだ。
信号が青になり、横断歩道を渡る。歩きながら思った。幽霊は本当にこの世に存在するのだ、と。もし、あの時車が通らなかったら、俺はどうなっていたのだろう。取り憑かれでもしたのだろうか……。
とにかく助かって良かった。でも、もうこの道は怖くて使えないな。
そう思った時、おかしな事に気づいた。
おそらくあれは、あそこで車に轢かれて死んだ老人の幽霊だろう。地縛霊という奴だ。しかし、それならあの道で既に見かけていないとおかしい。
俺がアルバイトを始めたのは一ヶ月ほど前のことで、この道を利用したのは一度や二度ではない。当然、あの横断歩道を何度も渡っているわけだが、あの幽霊を見たのは今回が初めてだった。
どうして今日に限って現れたのだろう。老人が死んだのはつい最近なのだろうか。でも、ここで事故があったなんて話は聞いていないが……。
俺はいろいろと考えを巡らせてみたが、納得がいく答えは思い付かなかった。
翌日、俺はまた昨日と同じ道を歩いていた。怖かったので別の道を選ぼうかとも思ったが、そうすると自宅まで遠回りをしなければならず不便だった。
不思議な物で、一日もすれば昨日の恐怖など殆ど忘れていた。それどころか、またあの幽霊が出てくるのか確かめたいという好奇心すら湧いていた。
横断歩道の前に立つ。だが、あの幽霊は現れない。そのまま信号が青になり、無事に渡ることができた。
いつも通りだ。よく分からないが、あれは偶然だったのだろう。
結局、俺はまたこの道を何度も利用するようになった。
***
雨が降っている。
俺は傘を差しながら、横断歩道の前で信号が青になるのを待っていた。
何台もの車が目の前を通り過ぎていく。
すると、いつの間にか横断歩道の向こう側に、一人の老人が立っていた。あの時の幽霊だ。
またか、と俺は思った。そして、幽霊が出てくる法則性に気づいた。今日は雨が降っている。あの時もそうだった。どうやら幽霊は雨が降っている時にだけ現れるらしい。
あの時と同じように、幽霊がこちらに近づいてくる。
この幽霊は何がしたいのだろうか。もしかしたら、ただ横断歩道を渡りたいだけなのかもしれない。そうすれば成仏できるのではないだろうか。
そう思うと、幽霊が可哀想になってくる。俺は幽霊が横断歩道を渡り切れるように願うことにした。
幸い、今日は車通りが少ない。無事に渡り切れそうだ。
早く、早く、と心の中で念じる。そのとき、遠くからトラックの走行音が聞こえてきた。
急げ。俺は心の中で老人に呼びかけた。もうすぐ渡り切れる。
老人は俺に手が届くくらいの距離まで来た。
あと一歩だ。
そう思った時、老人が俺の腕を掴み、車道の方に引っ張った。
体が前方に倒れ込む。トラックのけたたましいクラクションが聞こえた。
***
雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
俺はひどく混乱した。これはいったいどういうことだ。確かに俺はトラックに轢かれたはずだ。夢でも見ていたのだろうか。それともあれは、あの幽霊が見せた幻覚だったのだろうか。だが、トラックにぶつかった衝撃と痛みをはっきりと覚えている。
幽霊はもうどこにもいなかった。やはり幻覚なのか。
そう思ったとき、足が勝手に動き、横断歩道を渡り出した。信号は赤だ。必死に足を止めようとするが、言うことをきかない。これではまた轢かれてしまう。
横から車が来た。目をつむろうとするがそれもできない。
車のバンパーがぶつかり、衝撃と痛みに襲われた。
***
雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
まただ。俺は確か車に轢かれたはずだ。これも夢なのだろうか。
俺の足が勝手に動き、前に進み出した。止まろうとするが、やはり無駄だった。
今回は前と違って車通りが少ないらしく、車の走行音が聞こえなかった。これなら渡り切ることができそうだ。どうやら同じ日を繰り返しているわけではないらしい。辺りの明るさからすると、時刻は同じくらいだろうが。
渡りきれば、この悪夢は終わるかもしれない。
早く、早く、と頭の中で念じる。
右の方から走行音が聞こえてきた。
早く着け、早く!
最後の白線を踏んだ。そこから一歩前に進み、俺は横断歩道を渡り切った。
***
雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
なんでだよ!
そう叫びたかったが、顔の筋肉はぴくりとも動かなかった。
また足が勝手に動き出す。
すぐに左から車が来て衝突した。
***
雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
もう、うんざりだ。死んでから何日経ったのだろう。そして、これから何回死に続けなければならないのだろう。
足が勝手に動き出す。
前方に人はいない。これではまた渡り切っても元の状態に戻るだけだ。
俺はあの老人のことを思い出した。おそらくあの人も同じ経験をしたのだ。何度も何度も。どれだけ繰り返したのかは分からないが、最後に自分がやって来て、入れ替わることができた。
どうして俺はあの時、違う道を選ばなかったのか!
歯がみしたい気持ちになるが、後悔しても遅い。
右から車が来た。
***
雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
向こう側を見ると、同い年くらいの男が買い物袋を持って立っていた。
あの男と入れ替わろう。
自分の意志かのように足が動いた。
男に近づいていく。
だが、あと半分のところまで歩いて、車にぶつかった。
***
雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
前方を見るが、誰もいない。
俺は横断歩道を渡り切った。
***
雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
前方を見ると、中年の男が立っている。
俺は横断歩道を渡り切れなかった。
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雨が降っている。
渡り切れなかった。
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雨が降っている。
渡り切れなかった。
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雨が降っている。
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雨が降っている。
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雨が降っている。
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雨が降っている。
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雨が降っている。
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雨が降っている。
俺は傘を差して、横断歩道の前に立っていた。
もう何度同じ事を繰り返したのか分からない。どうせ今回もダメだろう。
足が勝手に動く。向こう側に誰かが立っている。誰だろうがもうどうでもいい。
右からトラックの走行音が聞こえてくる。どうせこれに轢かれるのだろう。
そう思っていたが、手前の車線は渡り切ることができ、トラックの轟音が背後を通り過ぎた。
またトラックの走行音が聞こえてくる。今度は左からだ。
だが、まだ距離は遠い。渡り切れるかもしれない。
向こう側を見ると、傘を差した十歳くらいの女の子がこちらを見ていた。可哀想だと思ったが、そんなことはどうでもいい。あと四歩でたどり着ける。
一歩。
二歩。
トラックがもうすぐ来る。
三歩。
四歩。
女の子の前にたどり着く。だが、足と違って腕は勝手に動いてくれなかった。迷っている暇はない。俺は自分の意志で女の子の腕を掴み、車道に引っ張った。
トラックのけたたましいクラクションが聞こえた。