体だけの関係は、大事なところが空っぽのように思う。
息が荒い。少し整えて、横になる。相手の息も少しずつ落ち着いてきた。もう、何度目だろうか。月に一度だったものが、多いときは週に二度、こうしてホテルに一泊する週末。何を話すこともなく、ただ体を重ねるだけの時間を過ごし、同じベッドで朝を迎える。初めて体を重ねた相手だが、それだけの関係だ。数年ぶりに再会し、その週末に一夜を共にした。それ以来、定期的に夜を過ごしている。満たされないものを、無理やり埋めている、いや、埋めているつもりになっているだけなのかもしれない。どこか空しいながらも、肌を合わせると、相手がいる温もりにどこか安心する自分がいて、この関係に甘んじている。彼女の方は、どう思っているか聞いたことはない。彼女の方から連絡が来ることが多いので、あまり聞こうとは思わない。それに、踏み込んだことを聞いて、関係がこじれるのは嫌だ。こじれるも何も、こんな浅い関係で何を思っているのか、と、額に手を当てたい気分になるが、失いたくはないのだ。
「来週も会う?」
彼女からお誘いがきた。珍しいことではなく、割りと毎回この言葉を聞く。ここでハッキリ返事をするかどうかは、あまり関係なくて、結局週末に改めて決めることが多い。だから、この言葉は、それとなく、この関係を続ける気持ちがあることの確認のようなものだと思っている。
「そうしたいね。」
いつものように返事をする。僕が断るわけはない。断れない。
週末、待ち合わせて、ホテルへ向かう。ホテルのランクにはこだわっていない。文句も言われたことはない。少しの食事を持ち込んで、互いに触れ合って一晩を過ごす。いつもの夜を過ごしている。その夜も、楽しむだけ楽しみ二人とも限界に達する。横になり、休んでいると、その日は、彼女から意外な一言を貰った。
「明日、デートしよ。」
予想もしなかったので、むせてしまった。たまには、普通にでかけるのも悪くないだろ、なんて言ってきて、なんだか楽しそうである。僕もそう思わないではないし、断る理由もなかったので、そうすることにした。
映画を見に行くことにした。ホテル以外の用事で会うのは初めてのことだ。夜が明けてから一緒にいるのも珍しい。大した会話もない。手を繋ぐこともない。なんだか居心地が悪いが、映画館へ向かう。人種差別がテーマの映画のようだ。時間がちょうどいいからというだけで選んだ映画だが、僕は、わりと嫌いではなさそうだ。黒人にボディーガード兼案内人として雇われた白人男性が、社会に当たり前となっている差別意識から少しずつ離れていくのがわかる。会話が打ち解けた様子になっていくところが、気分がいい。
ふと、彼女が席を立った。どうしたのだろう。とりあえず、後を追う。彼女は足を止めず、映画館の外まで出てしまった。せっかく楽しんでいたところに水をさされて、少々残念な気持ちだ。
「どうした?調子でも悪い?」
暴力シーンなど、刺激の強いものではないはずだが、何か琴線に触れたところでもあったのだろうか。
「なんか、思ってたのと違った。帰る。」
こちらに目もくれずにそう答えると、すたすたと歩きだした。仕方ない。映画のことは次の機会にして、見送りにいく。昨晩は、楽しそうにしていたのに、今はどこか不機嫌そうだ。電車に乗るところまで見送ろう。
「じゃあ、気をつけて。」
「うん。」
なんだか、目を合わせてくれない。ドアが閉まる。寂しいものだな。日中に出掛けるなんてなかったから、随分嬉しかったのだが、あんな顔をされては興も冷める。特にすることもないので、僕も帰路に着くことにした。
帰宅して、ベッドに転がっていると、まぶたが重くなってきて、寝入ってしまった。スマホを見ると、彼女から連絡がきている。
「しばらく、しなくていいや。」
なぜだ。何かあったのか。
もしかして、もう、会うつもりがないのか。もう、会えないのか。こんな言葉を貰って、改めて、彼女を求めていたことに気づかされた。会えないかもしれないと思うと、苦しい。
彼女は、抱きつかれるのが嫌いだ。暑苦しいと言う。撫でられるのも嫌いだ。気持ち悪いらしい。触るなと言う。
僕は、抱き締めながら、全身に触れたい。でも、嫌だと言うからがまんしてきた。
連絡も来ないのだろうか。
「わかった。」
一言だけの返事をした。
次は、いつなのだろう。次は、あるのだろうか。気になってしまう。けれど、聞けない。そういうつもりがないから、ああいうことを言ったのだろうし、わざわざ聞けない。
2ヶ月くらい経った。その間、何も音沙汰なく、こちらからも連絡していない。何か話題を、と思っても、何も思い当たらなかった。それに、こちらから連絡すると、催促しているようだと思ってしまって、一言も送れなかった。このまま、自然消滅するのだろうか。そう思うと、さすがに嫌だ。無視されるかもしれないが、連絡してみようか。ただ待っているだけというのも、苦しいものだから、はっきりするなら、そうなったほうがいい。気持ちを切り替えるきっかけが欲しい。
「元気?」
我ながらなんて不器用なのか。いや、そもそも、お互いの話を、ほぼしたことがない。互いに踏み込まないようにしていたから、これくらいしか思い浮かばない。送ったあとに、何だか恥ずかしくなってきて、スマホをしまった。気にしないように、カバンに押し込む。その行動もまた、恥ずかしく、どれだけ意識しているのかと、顔をしかめた。
まあ、返事は来ないもので、さらに何か送ろうか、いや、返事のないのが返事だろう。もやもやする。なんともあっけなく終わったものだ。連絡先を消してしまおうか。何度もメッセージを開いては閉じる。何もないのに連絡先を残しておいて何になるのだろう。何も送らないのにメッセージを開いて何になるのだろう。なのに、何度も繰り返している。鳴らない通知を待ちながら時間を過ごしている。
ちょっと体を許したからって調子に乗らないで。
そんなことを言われたこともあった。手を繋ごうとしたら、断られたときのことだ。暗がりで顔はよく見えなかった。体を重ねるということは、ある程度、親密であることの証だと思っていた自分には衝撃の強い言葉で、ガラスが砕けるような心持ちになった。お互いの肌に触れ合って、温かで満たされた気持ちに、大変なものをぶつけられた。彼女にとっては、どうでもいいことなのだろうか。あまりに、さっぱりとしていて、理解できなかった。しかし、誘いが来ると、断れない。時間が経っても、彼女の中では、大した関係じゃないのだろうか。そんな話をすることもなく過ごしてきた。そんな話をしたくなかった。甘んじている。分かってはいる。分かっているはずなんだ。何がしたかったのだろう。
ひと月もすると、空いた時間も、だんだんと慣れてきた。本を読み、SNSに感想を投稿する趣味を持った。最初は一言だったが、長く書けるわけではないけども、素直に感じたことを言葉にできるようになってきた。自分の感情と向き合う時間を持てた。共感するところも、新しさを感じる言葉も、人生哲学というものを感じる。人を懐かしむことも、悲しみ、寂しさ、温もり、励み、たくさんの感じ方があるもので、心は複雑な色合いをしていると、自分を振り返る。感情には、案外、自分で名前をつけてしまうものなのかもしれない。呼び名は世の中に与えられるけれど、それには収まりきらないものもあって、人の言う悲しみと自分の悲しみとは、やはり違うものなんだろう。細やかな感覚に名前を見つけて、自分を知っていくことが、欠かせないと思った。
彼女とのことは、理想に浸っていたところがあったせいで、離れがたかったのかもしれない。何かの特別さ、神聖さみたいなものを、あの人に押し付けていたように思う。二人でないと成立しない行為だが、それに特別な意味がもともとあるわけじゃなくて、二人にとって特別なものにするから特別なのだろう。
時間を貰えて本当によかった。
「じゃあ、金曜日に。」
久しぶりにホテルで過ごす約束をする。きっと、前のように、お互いを慰み物にするだけの時間になる。それが分かっているだけ、前よりましかもしれない。結局、断れないが、断る理由がないだけと思う。形だけでも、求められているつもりでも、そう感じたいときがあるものなのだろう。
それでいいのだから、それでいいのだ。お互いに。