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第2部 7 残酷な幸福③

「佐伯由美さんですね」

 問診票から顔を上げた男性医師が訊ねる。

「はい」

「市販の妊娠検査薬で陽性が出たと」

「ええ」

「最後に月経が来たのはいつですか?」

「6週間前です」

「なるほど」という声と共に、看護師がこの後の検診の準備を始める。

 尿検査を済ませた後、看護師の指示に従って下着を脱ぎ、内診台に座る。

 診察室は静かだ。静けさは冷静で清潔だ。

 由美の前にカーテンが引かれ、リクライニングが後方に倒れると同時に、両足が開く。

 診察の様子がわからないようにするためと、頭ではわかっていても、羞恥せずにはいられない。

「リラックスしてください」

 カーテンの向こうから医師の声が聞こえる。

 すぐに医師の指が入ってくる。

 由美は、天井を見つめ、心を無にすることで、一秒でも早くこの時間が終わることを願うが、様々な検査器具が出入りする度、眩しすぎる苦痛に引き戻される。

「お疲れ様でした」

 再度、医師の声が聞こえ、リクライニングが戻される。

 由美はため息をついてから、内診台を降りる。

 何事もなかったかのように由美の向かいに座った医師が、「妊娠してます。5週目です」と伝える。

 由美には、その言葉が主文のように聞こえた。

「特に異常ありませんね」

 続けて、今後の生活上の注意点を説明するが、由美は頷きながらも、ほとんど耳に入ってこなかった。

「何か質問ありますか?」

「まだ相手の男性と話をしてないので、産むかどうかわかりません」

 由美の言葉に、医師は驚いた様子もなく、先程と変わらぬ口調で、今度は中絶する場合の注意点を伝える。

 説明が終わった所で、別の看護師に呼ばれ、医師が席を外す。

 由美は、今聞いた内容について、スカートの裾を直しながら考えると、診察室内にいる若い看護師に「あの」と呼びかける。

「はい」

「あなたは子どもを堕ろすことに対して、どう思ってる?」

 少し考える様子の彼女に、「率直な意見を聞かせて」と促す。

「学校で、日本では4人に1人が中絶すると聞いてましたが、その時はあまり実感がなくて……。でも、働くようになると嘘じゃないんだなってわかりました」

 そこで、彼女は一度言葉を止めると、顔を上げ、由美の目を見る。

「でも、二年も働くと慣れました。妊娠を告げられた時の様々な反応を見てきましたから。長い不妊治療を経ての妊娠に泣いて喜ぶ人もいれば、即座に『堕ろすにはどうすればいいですか』と訊ねる人、ショックで虚脱状態になる人……。子どもができることが、全ての人にとって幸せとは限らない。関係を繋ぎ止めるだけのかすがいでしかない夫婦もいますし、相手から慰謝料を巻き上げるための道具でしかない人もいました。『どのような生命であれ重く尊い』なんて言葉は絵空事と思います。出生前診断で異常が見つかった際の豹変ぶりとかを見ていると」

 言い終えたところで、医師が戻ってくる。

 椅子に座った医師は、引き出しから中絶同意書を取り出すと、封筒に入れて由美に渡す。

「もし中絶を希望される場合は、こちらにパートナーの署名をもらってきてください。それと、ご存知かもしれませんが、妊娠12週以降になると、死産となりますので、もちろんよく考えて決めていただきたいですが、できるだけ早期にご決断ください」

 由美は封筒を鞄にしまい、席を立つ。

 先程の看護師が診察室の扉を開けてくれる。

 由美は軽くお辞儀をしながらドアをくぐる。

 彼女の表情は、最後まで崩れることはなかった。


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