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第2部 6 おしまい①

『青の女性』発売日前日、週刊プレス編集部の電話は朝から鳴りっぱなしだった。

 きっかけは早朝に投稿された“中川佳織の捏造記事で一家の生活は破滅した”とするツイートだった。

“二年前にあきる野市で起きた幼児行方不明事件で取材を受けた”

“実際の記事は、こちらが取材で話した内容と全く異なり、まるで私達に非があるような内容だった”

“記事のせいで父親は職を失い、母は自殺した”

 事件の被害者家族の長男とする人物による一連のツイートは、投稿直後からリツイートを繰り返しながら拡散された。そこには、“中川佳織って、佐伯和昌の娘だろ”という情報や、“所詮女子記者”“親の七光り”“別の記事で取材受けたけど、最低な記事だった”といった真偽不明な情報まで付け加えられていた。

“週刊プレスの中川佳織は、捏造記事で被害者家族を破滅させたマスゴミの屑”

 それがネット上の結論となり、“抗議の電話はこちらへ”と、週刊プレス編集部の電話番号を筆頭に、潮談館の書籍編集部、書籍営業部などの電話番号が列挙された。

 騒動について、由美は朝起きてすぐ、平井からの連絡で知った。

 急いで準備を済ませた由美はタクシーで会社に向かう。

 車内で一連のツイートを確認しながら、当時のことを思い出す。

 取材の印象を一言で表すと、信頼ならない家族だった。

 自宅に招き入れられて、まず感じたのが部屋の汚さだ。「ゴミ屋敷」と言っていいレベルで、至る所に物が散乱していた。母親は、「娘が行方不明になってからのここ数日でこうなった」と弁解していたが、もう何年も育児放棄に近い状態だったことが明らかだった。

 由美は薄暗いダイニングで話を聞いた。当時、父親はもう何年も定職に就いていないと口にしていた。そして、事件については、行方不明になった娘を心配する様子は見せながらも、ただひたすら見当違いと思われる持論を話すばかり……。にも関わらず、謝礼だけはきっちりと要求された。その後、近隣住民にも取材を重ねたが、出るのは悪い話と怪しい話ばかりで、良い評判は全くなかった。

 結局、由美は家族の証言ではなく、被害者家族そのものに関する記事を書いた。そして、そういった記事を書いたのは、『週刊プレス』だけではなかった。

 それなのに、全く検証もされず、今この瞬間も中川佳織の悪名だけが拡がっていく状況に、絶望的な気持ちになる。

 週刊プレス編集部に入った由美が見た光景は、その気持ちを一層強くするものだった。

 編集部にいる誰もが交代で電話を取っては、すぐに受話器を下ろすか、名前すら名乗らない相手が口にする悪罵あくばを聞かされる。

 たまに本当に掛かってくる記者宛の電話も、繋ごうと思った相手は別の電話に対応している。

「電話は取らないように」と平井から言われていた由美は、同僚達がうんざりとした表情で応対する様子を眺めることしかできない。

 編集部の空気が淀んでいく。

 それは間接的な形で、由美に対する非難になる。

 いたたまれなかった。

 先輩記者の笹塚も電話を取り、受話器を耳に当てている。うんざりした様子で相手の話を聞き流しながら、こちらが口を開こうとしたタイミングで電話を切られたらしく、舌打ちをして、叩きつけるように受話器を戻す。

 正午過ぎ、富沢が編集部に戻ってきた。

 すぐに「全員聞いてくれ」と声をかける。

「みんな朝から電話対応ご苦労様」

 そう言って、頭を下げた富沢は「とうとう『週刊プレス』も炎上してしまった」と豪快に笑った。

「今、法務や会社のお偉いさんと話をしてきたが、みんなビビってた。なので、一喝してきた。『あんたらそれでも出版社の人間か』と。デマは表現じゃない。匿名戦隊勘違い正義野郎が拡散するデマに惑わされないのが報道であり言論だ。その程度のことを見抜けない人間は、この編集部には一人もいない。そうだろう?」

 部内に立ちこめていた暗雲を一瞬で晴らす激励だった。

「電話対応は班毎に交代で休憩を取りながら。みんなよろしく頼む」

 それから、由美は富沢に呼ばれ、別室に移動した。

 会議室に入った富沢は、椅子に座ると、目元を押さえ、一瞬疲れた様子を見せた。

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 由美は立ったまま頭を下げる。

「おいおい、さっきも言ったとおり、中川が謝ることじゃない」

「でも、うちの編集部だけでなく、他の部署にも電話がいってるんですよね」

「それはそうだが、社員の個人情報として処理しているから問題ない」

「はい」

「中川」

 富沢に呼ばれ、由美は顔を上げる。

「お前にはその方が良いと思うから単刀直入に言う。まずは会社の方針として、今回の件に関して、何かを発表するということはしない。理由は、具体的な脅迫にまで繋がっていないこと。それと、今回の騒動が、事実に基づかない情報に、一部の人間が盛り上がっているだけであり、今後収束に向かうと予測されること。以上が理由だ」

「でも、このままだと――」

 由美が口を開きかけた所で、富沢が割って入る。

「わかっている。俺もその話はした。『ひいてはうちの雑誌の部数に関わるし、他の記者の仕事にも差し支える』と」

 由美は頷く。

「でも、これに対しては静観するしかない理由もわかるか?」

「どうしてですか?」

「例えば、今回の件に関して、『週刊プレス』のトップページにコメントを出すとする。そのことが意味するのは、デマによるお祭り騒ぎをマスコミが事件として認定したということであり、炎上に参加した人間に勝利の杯を授けることでもある。それだけはやっちゃいけない」

 もっともな意見だった。それでも、由美の中には疑念が残る。

「たしかにそうかもしれない……が、私はどうなるのか?」

 黙り込む由美に、富沢は言葉を続ける。

「それから、中川の担当する対談コーナーとシリーズ連載は、次号から一時休止になる」

 覚悟はしていた。なので、驚きはない。

 だが、それと受けた衝撃は別だ。

 これまで積み上げてきた信頼も、今回の騒動で消し飛んでしまった。

 富沢は慰めの言葉はかけず、会議室は落ちきった砂時計のように静かだった。

 この状況を気休めの言葉でごまかしても仕方なく、また由美自身望んでいないことを認識した上での無言の励まし――それこそが最も由美を慰めた。


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