第2部 1 女子記者③
編集部に戻った由美は、対談の文字起こしをアルバイトに依頼すると、すぐに脳科学者宛に御礼状を書く。それから、パソコンを起動し、メールをチェックする。
「ラジオ番組への出演依頼」
「ドキュメンタリー映画試写会への招待」
「シンポジウムへの出席依頼」
由美は一つひとつに目を通しながら、受けるものを、A5サイズの手帳に書き込んでいく。
こういった外部の仕事を受けていると、やはり突発的な事件の取材に行くことは難しい。
既に一ヶ月先までの毎日、何らかの予定が入った手帳。先月のページをめくっても、空白の日は一日もない。
新人の頃は小さな新聞記事を頼りに取材に出かけ、企画を出しては、通る前から、資料の本を買って、時間の限り読んでいた。
あの日々があったから今がある。
由美は手帳を閉じると、郵便物に目を通していく。
富山に住むという女子高生からファンレターが届いていた。
“いつか自分も中川さんのような記者になりたいです”
こんな手紙をもらうようになったのも、紛れもなく自らの選択の結果であった。
由美は便箋に激励を書いて封をする。必要な荷物を鞄に詰め、伊達眼鏡をかけると、御礼状と手紙を手に編集部を出る。
半蔵門線で渋谷方面に向かう。
人が多い場所で伊達眼鏡をかけるようになったのは、『オンナ達の末路』出版後、講演に呼ばれた関西の大学に向かう新幹線の車内で握手を求められたことがあったからだった。
以降も、地下鉄のホームで、デパートでと、立て続けに声を掛けられてから、気になる時は伊達眼鏡を掛けるようにしている。
由美は他誌の中吊りを見上げる。「芸能界一のおしどり夫婦」と呼ばれていた夫婦が、実は二人共不倫していたというスクープ記事が踊っている。
去年の今頃に起きた女性達による連続刺傷事件以降、似たような事件は起きていない。
あれだけ誌面を賑わせた“女性の復讐”や“女性の逆襲”といったワードもすっかり忘れられ、以前と変わらない平和な男女論が世に溢れている。
青山一丁目駅で電車を降りた由美は、高校時代のクラスメイトとの遅めのランチの約束のため、伝えられたイタリア料理店に向かう。
正直言って、憂鬱だった。
きっかけは、先週、プライベートの携帯電話にかかってきた電話だった。
――はい、佐伯です。
――佐伯さん? 久しぶり
女性の声だった。
――失礼ですが、どちら様ですか?
――高校で同じクラスだった柳沢だけど、覚えてない?
――ああ、柳沢さん……
かろうじて名前は覚えていた。顔はぼんやりだ。
――この前ファッション誌に出てたでしょ、それを見て懐かしくなって、昔教えてもらった番号にかけてみたの。番号変わってなくて良かった
ファッション誌に出たのは、対談の仕事だった。
対談相手は、最近プロ野球選手の旦那と離婚した同誌の元専属モデルの女性だった。離婚の原因は、旦那が複数の女性と不倫関係にあったためだった。
――名前は違ってたけど、「佐伯さん?」って思って、調べてみたら、やっぱりそうだったから
――うん、それでどうしたの?
――今度どこかで食事でもしない?
――せっかくだけど、忙しくて……
――私はいつでも大丈夫だから、いつならいい?
その口調に、「今断ってもすぐに掛けてくるな」ということを感じた由美は、手帳を確認してから、
――すごく中途半端な時間で、場所も限られちゃうけど大丈夫?
と訊ね、16時過ぎに表参道周辺という条件で約束した。
店のドアを開け、受付のボーイに名前を告げる。案内された席には柳沢以外に、もう一人女性が座っていた。
「佐伯さん、ひさしぶり」
柳沢が声を掛ける。
「ひさしぶり」と答えながら、由美はボーイの引いた席に座り、伊達眼鏡をしまう。
「忙しいのにありがとう」
「こちらこそ、時間と場所を限定してしまってごめんなさい。それで、あの……」
由美が柳沢の隣に座る女性に視線を向ける。
「立川さんよ、覚えてない?」
「ああ」
すぐにはわからなかった。一年の時クラスメイトだった気がするが、柳沢は由美と同じ外部進学組だが、立川は内部進学組ではなかったか。
「ひさしぶり」
立川が面白くなさそうに声を掛ける。
「先に始めててごめんなさい。何か飲む? この店はワインがおいしいんだけど」
柳沢がメニューを渡す。そう話す二人のグラスには赤ワインが注がれていた。
「ごめん。また仕事に戻らないといけないから」
「すごーい、働く女性って感じね」
立川が抑揚無く話す。えぐみを含んだ話し方だった。
由美は愛想笑いを浮かべながら、ウエイターを呼び、サーモンのサラダとゴルゴンゾーラのパスタを注文する。
「佐伯さん、変わった感じがする」
間を埋めるように柳沢が話す。
「そうかな。『変わった』って言ったって、高校の時以外知らないでしょ」
「雰囲気がね。活き活きしてる」
「ありがとう」
由美はグラスの水を飲む。
「仕事は大変?」
「普通よ」
「でも、週刊誌記者って激務って聞いたけど」
「仕事に応じた働き方があるから」
「実際どのくらい大変なの?」
「少し休みが不規則なくらい」
「今日はここに来る前にどんな仕事してたの?」
「まあ、仕事の話はいいじゃない」
由美は話を切る。興味本位で色々と訊いてくる柳沢に苛々していた。
「それにしても、どうしてまた連絡を?」
由美の質問に対して、柳沢は先日の電話と同じ内容を繰り返す。
その間に、由美は運ばれてきたサーモンのサラダに手をつける。
柳沢の話が終わる。
「二人はどういった関係?」
由美の質問に、柳沢は立川の顔を見てから、「私たち同じマンションのご近所さんなの」と説明する。
「へー、そうなの」
「私も立川さんも結婚してて」
由美はサーモンを飲み込んでから、「おめでとう」と伝える。
それから、去年行われたという同窓会の話を聞く。
クラスメイトの中には、柳沢や立川のように結婚した人間もいれば、起業したり、商社勤めで海外赴任したり、それぞれの生活を送っているらしい。
「そこで、私たち実はご近所さんだったってわかったの」
「そうなんだ」
由美は、ゴルゴンゾーラのパスタを食べながら答える。
「佐伯さんはどうして来なかったの? みんな佐伯さんに会うのを楽しみにしてたのに」
ありえなかった。どうして明らかに嘘とわかることを伝えるのか。
「案内が実家に届いてたんだと思う。それに、もし届いてたとしても出席できたかどうか」
「それは仕事で?」
「そう」
「やっぱり大変なんじゃない」
柳沢が声をあげる。
「ねえ、芸能人やスポーツ選手とかにも会ったりするんでしょ?」
「仕事でね」
「佐伯さんは記者になりたかったわけ?」
「まあ、そう」
「いいなー、佐伯さんは夢が叶って」
由美はパスタを食べながら、柳沢の口にした言葉について考える。
「じゃあ、柳沢さんの夢は?」
「そのためにどんな努力を?」
そう質問したい思いをぐっと堪える。
取材のためにどれだけ準備をするか。初対面の相手からどんな言葉を引き出すか。仕事の結果でまた声をかけてもらえるか。
読者が3分で読み終える記事に書かれた、被害者家族の一言を引き出すために、何年も通い続ける記者もいる。
パスタを食べ終えた由美は、食後のコーヒーを頼む。
「今日の記念に写真撮ってもいい?」
柳沢が訊ねる。
「写真はちょっと」
「どうして?」
「SNSとかに載せられると困るから」
由美は説明する。
柳沢はしぶしぶ納得すると、「じゃあサインしてくれる?」と、『オンナ達の末路』を取り出す。
恐らく一度も開いていない本にサインをした由美は「私、そろそろ行かないと」と言って、伝票を手に取る。
「ここまでの分は出しとくから」
「そんな、悪い」と言う柳沢を、「短い時間しかお付き合いできなかったお詫びだから」と制す。
「じゃあまた」
会計を済ませ、駅に向かう。
短い時間だったが、精神的にどっと疲れた。




