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第1部 6 私の物語④

 席に戻った由美は、メールをチェックしてから、“現代の女性像”を意識しながら、『オンナの末路』の原稿を読み直す。

 レズビアンのカップルだった女性は、パートナーの女性が男性との交際を始めたことから別れを切り出された。諦めきれなかった女性はストーカーとなり、デート中の二人を殺そうとするも、男性を守ろうとした元パートナーを殺めてしまった。

 幼い頃から、「将来はオリンピック代表」と言われていた女性スイマーは、同じ大学に通う男子学生と交際を始めた。そのことがコーチである父親にバレた際、自らの才能に限界を感じていた彼女は「水泳を止めたい」と伝えた。しかし、父親からは「お前にいくらかけたと思っているんだ。もし止めると言うなら、これまでお前にかけた分を全額弁償しろ」と言われ、彼女は父親を殺そうとした。

 他にも、どうしても万引きを止められなかった女性から、結婚詐欺によって騙し取ったお金で美容整形を繰り返した女性まで、様々な事件を取り上げてきたが、改めて色恋沙汰が原因となっている事件の多さに驚く。

 由美の頭に“脱色していく女性たち”という言葉が浮かんだ。

 この言葉には、直感的に二つの意味があった。

 一つは、文字通り、抜け落ちていく色――色恋沙汰のもつれ。

 もう一つは、逸脱する色――色が殺意へと変質する。

 その結果が、彼女達の起こした事件であり、その末路が、拘置所で面会した彼女達の姿となるのだろうか。

 すっぴんで、大抵はスウェットやジャージを着ており、実年齢と比較しても一層老けて見える。特に、拘置所に入ってすぐの時期は、姿勢も悪くうつむきがちで、まるで鼻をかんだ後のティッシュのようだ。

 彼女達のような存在がいる一方で、「何もないこの国」からは、生彩そのものが失われている気がする。昨年起きた東北の大震災の取材で訪れた津波に呑まれた街――泥、瓦礫がれき粉塵ふんじん――今、この国の多くの人の心を覆っているのは、そんな光景ではないか。

 こんなことを考えてしまう時点で、今回の話に自分がどれだけ興奮しているかわかる。滅多にない機会。だが、少し冷静になった方が良いと思い、由美は原稿を鞄にしまう。

「テレビのチャンネル、東京テレビに合わせろ!」という富沢の声と、由美の携帯電話が震えたのは同時だった。

 富沢の声を聞いて続々とテレビ前に集まる記者の様子が気になったが、由美は――お待たせしました、週刊プレスの中川です、と言って電話を取る。

 無言。

――もしもし?

 呼びかけながら、席を立ち、窓際まで移動する。

――……川下です

 ブラインドの隙間から外を見ながら、ようやく聞き取れた川下容疑者の父親の声は、取材時と変わらずボソボソしている。

――先日はありがとうございました

 由美は落ち着いた声で答える。雑誌の発売日に取材対象者から掛かってくる電話の内容は、だいたい察しがつく。

――どういうことですか

 父親も冷静に話そうとしているが、怒気が滲み出ている。

――記事のことですか?

 由美が訊ねる。

――そうです。あの記事はなんですか!

 父親が怒りを爆発させる。

――あなたは私に『真実を伝えたい』と手紙を書いてきた。私はその言葉を信じて取材を受けた。それなのに、あなたの記事は、より娘を貶めるものになっている

 由美は川下容疑者の父親が話すような内容の手紙を書いたつもりはなかった。が、父親としては、娘と同年代の女性記者が話を聞いてくれる、イコール、その記事は娘にとって好意的なものになる、と考えていたのだろう。

――おっしゃりたいことはわかりますが、こちらはお父様以外の人達からも話を聞いて、記事を書きます。私としては、それが真実に一番近くなると思っています

――だとしてもあの記事はあんまりだ。あれでは娘がただの鬼畜にしか映らない

――ですが、実際、娘の南さんが息子の勤君を死亡させたことは事実です。こちらとしてもそれを抜きにして記事を書くことはできません

 由美の毅然とした態度に気圧されたのか、父親の声は小さくなる。

――それでも、もう少し書き方があったのでは……

――それは、娘さんを擁護するような内容ということですか? 申し訳ありませんが、それは私の仕事ではなく、これから南さん自身がすべきこと、と思います

 父親は黙り込む。

――よろしいですか?

 由美が訊ねる。

 反応はない。

――それでは失礼します

 電話を切った由美はため息をつく。こういった電話は年中かかってくるが、説明の際に「真実」という言葉を口にする度、いつも後ろめたいものを感じる。

 今の『週刊プレス』は、編集長である富沢の方針で、裏付けの取れていない飛ばし記事はまず掲載されない。その方針は、部内でも徹底されていて、記者達はかなり厳密に取材を行う。

 そのプロセスが正しければ、取材によって、真実に近づいていると言えるのかもしれない。だが、由美自身、自らの書いた記事が真実かと問われても、わからないとしか答えられない。

 それは、内容の問題ではなく、結局、自分の信じたいものしか信じないという人間の習性の問題……と、ここまで考えたところで、室内に向き直る。

 テレビに映っていたのは、豊洲にあるテーマパーク、東京ドリームランドの空撮映像だった。

 リポーターが伝える。

「現在、私は東京ドリームランドの上空に来ています。来場者が係員に誘導され、園外へと出て行く様子が確認できます。メインマスコットのガウル君が刺された園の中央に位置する広場では、警察による現場検証が行われています」

 由美は直感した。恐らくこの事件の犯人も女性だろう、と。

 カメラがスタジオに切り替わり、女性アナウンサーが、犯人と思われる人物から届いたとされる犯行声明を読み上げる。


 私たちは現実を取り戻さなければなりません。

 本来、現実というのはどこかゴツゴツしたものであるはずなのに、人々は、まるでテーマパークのマスコットのような軽薄さで振る舞っています。

 私はその理由が、人々が自らに流れる血を忘れたことにあると思います。

 夢の世界は血の存在しない無痛の世界。

 私たちは血の通った現実を、脈打つ自我を取り戻さなければなりません。

 これはそのための供犠きょうぎなのです。

 かつて世界は女性のものでした。

 それを男性は文明によって管理しました。

 文明が進むということは、人々が平等になるということ。

 平等になるということは、困難が克服されるということ。

 その結果、誰もが、簡単に人を殺すことができる社会となりました。

 にも関わらず、闘争も抵抗も放棄し、0と1で膨れ上がった空想的現実と戯れることを良しとした世界。

 繰り返します。

 今こそ血を思い出す時。人々よ現実を取り戻せ。


 女性アナウンサーは困惑した表情を浮かべている。

 もし許されるなら、彼女は「これは私の考えではありません!」と叫びたかったのではないだろうか。

 実際、その理屈は、自傷行為を止めることのできない人々と、誰でもよかったと言って危害を加える通り魔を足したようなものだ。

「自分は不幸だ。苦しんでいる」という被害者意識から生まれる無礼な加害者。

 この犯人は、自らの事件こそが社会から脈動を奪うことに気づいていない。

 今後、犯人がどのようにして園内に刃物を持ち込んだかが明らかとなり、テーマパークやスポーツイベントの検査体制が強化されることになる。その結果、迷惑を被るのは、そんな考えとは無縁な人々で、一つの事件のために世の中はますます住みにくくなっていく。

 ニュースが一回りして、また最初から事件の概要を伝え始めた。

 テレビの前に集まっていた記者達が席に戻っていく。由美もまた自席に戻り、明日の中山との面会の為の準備を始める。


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