図上演習
軍大学での学びは、学習というよりは研究に近い。
さらには、将来の参謀、指揮官を育てるための組織のため、個々の戦技などよりも戦術、戦略の教育が重視される。
「む、難しい……」
手始めとして、戦史研究から始まった講義内容にマヤはてこずっていた。ここでは彼女の卓越した魔導知識も膨大な魔力も、全く役には立たない。
「まだ、教養程度ですわよ」
「何があったかは、先生のところで勉強したからわかってるんですけど、それがどういう意図で行われたか、は考えたこと無かったですから」
目を見開いて資料を漁るマヤに、エリザベートは軽く溜め息をつく。
「貴女の場合、まず感覚的に理解した方が早いかもしれませんわ」
腕組みをして考え込んだエリザベートが、口を開いた。
「今日、講義が終わったら、わたくしの宿舎で復習いたしましょう」
「え、いいんですか?」
「大丈夫ですわ。ちょっと指揮官の気分を味わっていただきますから」
ニヤリ、とエリザベートは笑う。何か秘策有りと言わんばかりの表情である。
「お願いします!」
すかさず頭を下げるマヤに、楽しそうにエリザベートは微笑み返した。
「では、これをやってみますわ」
その日の午後、講義が終わり自分の宿舎にやってきたマヤを出迎えたエリザベートは、なにやら机の上に大きい図面を広げる。
「これは、地図?」
マヤが訝しむ。確かに地形が書き込まれ、都市や道路などの表記もあるが、何より特徴的なのはそれら全てが、ます目で区切られていることだ。
「百年前の大陸戦争の際の、ノルガルディア上陸作戦の舞台となった、ノルガルディアの地図ですわ」
エリザベートは説明しながら、なにやら駒のように細かく切られた厚紙を大量にマヤに渡す。
見れば、一つの駒が大隊を示す記載がしてある。
「貴女は防衛側の将軍。わたくしは攻撃側の指揮官として、図上演習を行いますわ」
「え?」
図上演習とは、地図上で実際の部隊に見立てた駒を配置し、どう戦うかを仮想的に再現して訓練とする手法である。エリザベートは過去の戦いで起こった上陸作戦を再現することで、マヤに指揮官としての経験をさせようとしていた。
「最初に配置できる戦力は、ここに書いてある通り、その後は順次増援として拠点から出現できますわ」
テキパキと駒を置いていくエリザベートに、呆気に取られていたマヤは我に返る。
「いきなり、無理ですよ!」
「大丈夫ですわ。所詮演習ですから、大負けしても何の損も有りませんわ」
「負けるの確定ですか!」
「指揮官の判断を体験することが目的ですの。勝ち負けは関係有りませんわ」
むう、と唸りマヤも準備を始める。
「これだけの戦力を把握して動かすんですか?」
膨大な量の自軍の駒を見て、マヤは驚くよりも呆れていた。
「戦場の一部を切り取った演習ですから、実際はもっと大量に考えないといけませんわ」
ひーっ、とマヤは悲鳴をあげる。しかし、自分が将来の指揮官として期待されている以上、出来るようにならねばならないことでもある。
「とにかく、やれるだけやってみます」
「各駒の移動力や戦闘力は書いてありますわ、それを相手に見えないように、上に目隠しになる空の駒を乗せて配置完了ですわ」
エリザベートは手早くルールを説明する。
「戦闘になった際は参加する部隊毎の戦力を計算して、どちらが有利かを算出しますわ」
じゃあ、始めましょうとエリザベートが微笑んだ。
「か、勝てない」
マヤは呆然と呟いた。防御側として、戦力では攻撃側より優越しているにも関わらず、部分部分で戦力を集中され防御陣を抜かれてしまう。
「貴女は全てを守ろうとしすぎですわ」
エリザベートが諭すように語る。
「そんなに薄く広く布陣してしまえば、食い破るのは難しいことではなくてよ」
「でも、抜かれたら都市が奪われてしまいますよ」
「後で取り返せばいいんですわ。まずは攻撃側の意図を読んで、その目論見を阻止しませんと」
守れるものも守れませんわ、とエリザベートは付け加える。
図上演習の状況は、ほぼ決まりつつあった。エリザベートの圧勝である。
「守るべきは都市ではなく、移動経路と要害地形。相手の目的を阻止するのではなく、相手を思う通りに動かせないこと、ですわ」
「なるほど……」
マヤは地図を見つめ、唸るように呟く。
「これが、指揮官としての見方……」
「現実よりずいぶん簡単にしてありますけれど、考え方の参考にはなりますでしょ」
しばらく黙り込んでいたマヤは、ふと顔を上げる。
「今度は攻撃側をやってみたいです」
「良いですけれど、時間をご覧なさい」
言われて、ふと時間を確認するマヤ。
「わ、すごい時間!」
とっくに日は暮れ、かなり遅い時間になっている。
「また、明日にしましょう」
エリザベートが笑いながら告げ、片付けを始める。
「はい、そうします」
少しめげつつ、マヤも駒をまとめ始めた。




