王邪龍
バレーヌ提督は、己の掌の上で幽かな光を放っている魔導結晶を見つめる。
「これは本来、王国を蹂躙してやるためのものだったのだがな」
「サヴォアを単騎で沈める相手です。出し惜しみはできません」
副官が慰めるように言葉を掛ける。
「同志国家主席も賛同なさるでしょう」
「どうだか。サヴォア喪失の責任を取るのは我々なのだからな」
バレーヌ提督は半ば諦めた様子で呟く。
「だが、そうであるがゆえに、王国艦隊はここで滅さねばならぬ」
ぐっと 魔導結晶を握り込んだバレーヌは、それを高々と掲げる。
「出でよ王邪龍。我らが敵を滅せよ!」
海原を行くベアルンのその舳先の海面に、巨大な魔法陣が形成される。
一拍空けて、その中からヌルリと巨大な物体が顔を覗かせた。
「ふふふ」
戦場を見下ろす空に、一人の少女の影がある。
「魔界の龍の王、王邪龍シュルクベアリ。その影を顕現させて上げたわ」
アリシアは楽しそうに笑った。
「貴女が私が求める力を持つなら、これくらいは倒せる筈よ」
ゆっくりと唇を舌で舐め、言葉をつむぐ。
「さあ、見せてみなさい。貴女の真の力を」
「なんなのよ、アレ」
マヤは絶句していた。
ベアルンから展開された魔方陣より湧き出した影は空中にたなびき、蛇のような体に小さな手足とコウモリのような羽根を生やした龍の姿を形作る。その長さ数千メルテは有った。胴体の直径も戦艦の艦体程もある。
「あんなもの、どうやって倒せっていうの?」
呆然と呟いたマヤは、その自身の言葉で我に返る。
「いや、倒さないと、絶対に!」
放置した場合、どれだけ被害が出るか分かったものではない。
「後、鋼巨人の槍は、使えて二回」
アイン・ソフ・オウルの魔力はまだ有るが、マヤの魔力の残りがもう少ない。術式を組み上げる際には、マヤの魔力が必要だ。迂闊に使いきれば、アイン・ソフ・オウルに同化してしまう危険性がある。他のことに魔力を使ってしまえば、二回使うことすら危うい。
「ジャックさんに教えて貰った、魔力塊に撃ち込む」
巨大な龍を見据え、魔力の流れを追う。
と、いきなり龍が黒い火炎を吐いた。その炎は一直線にアインに迫り、咄嗟に展開した障壁の魔法をいとも容易く撃ち破る。
ギリギリで炎を回避したアインの中で、マヤは焦燥に駆られていた。
障壁の魔法はアイン・ソフ・オウルの魔力を込めた、強力なものだ。実際、戦艦の砲撃にすら耐えた。それを容易く撃ち抜かれたのだ、焦るなと言う方が無理な話であろう。
「くそッ! まともに狙えない!」
次々と吐き出される炎を掻い潜りつつ、マヤは一人苦悩する。
「いかんな」
フィリップ提督が、思わず呟く。
「ミズキの動きが単調になっている」
「しかし、我々ではどうしようもないのでは?」
リーチ艦長が口を挟む。実際、彼らの頭上で行われている戦闘は、人知を越えつつある。共和国艦隊は巻き添えを恐れたか、退避しつつあった。王国連合艦隊も、龍との距離を取りつつある。
「本艦の魔導炉の核は神器級の魔導具、ホーリーグレイルだ。何か手は無いか?」
プリンセスアドルフィーネ号の前身、戦艦ホーリーグレイルはその核になっている魔導具により、当時、世界最強と言われた艦である。その有り余る出力は今も健在だ。
「一回、魔導騎兵を収容できれば、魔力伝達管を接続して魔力を回してやれますが」
艦の機関長が進言する。
「なるほど、しかし、そんな隙が有るか、だが」
フィリップは唸るように、考え込む。
「駆逐艦に煙幕を張らせましょう。本艦の装甲と出力なら障壁の魔法を併用すれば、あの炎にも少しは耐えられます」
「ミズキ程の障壁が張れるか?」
「本艦の魔導課の人員総出でやって見せます」
リーチ艦長と魔導長が提案した。
「対空榴弾を交互射撃で顔面に撃ち込んでやれば、龍も隙を見せるでしょう」
砲術長が自信を覗かせる。交互射撃は四門ある主砲塔の主砲を二門づつ交互に発砲することで、発砲間隔を短くする射撃方だ。
「よし、ではやろう! 艦隊指令部へ連絡! 本艦はこれより敵龍との戦闘に加入す!」
「はッ!」
「貫け!」
魔法の槍を左腕の射出槍に纏わせ、龍に撃ち込む、が、ギギィィッ! と耳障りな音を立てて撃ち込みが止められる。
魔力塊をようやく探り当て、鋼巨人の槍を撃ち込みはしたものの、龍の強靭な外殻に止められてしまった。
「くッ!」
咄嗟に反転、距離を取り龍の爪と牙から逃れたものの、これでマヤに打てる手は無くなったも同然だった。最大の貫通力を誇る攻撃を止められてしまっては、どうしようもない。
「どうしよう? どうすればいい?」
思わず弱音がこぼれる。
『ミズキ三等海尉! 聞こえるか! こちらプリンセスアドルフィーネ!』
怒鳴りつけるような魔導通信が入ったのは、その時だった。
「聞こえます!」
必死に回避運動を行いつつ、マヤは叫び返す。
『本艦の魔力を融通する。前部魔導騎兵甲板に着艦せよ!』
「そんな無茶な!」
ちらりと海面を見ると、駆逐艦数隻が、黒煙を吹き出しながら海面を疾走している。
その黒煙の中に、プリンセスアドルフィーネ号の巨体が微かに見えた。
ドン、と巨大な音と共に、龍の眼前で爆発が起き、黒煙が龍の視界を遮る。プリンセスアドルフィーネ号が発砲していた。
『早くしろ! そんなに持たない!』
「はい!」
他に手段など無いマヤは、素直に従う事にした。煙幕の中に突っ込み、滑り込むように甲板に着地する。強引な着艦に甲板が嫌な音を立てて軋んだ。
『格納庫へ収容。魔力伝達管接続する!』
アインが姿勢を正すのを待たずに、エレベーターが下がり始めた。
格納庫に入り、騎体を支持架に固定、魔力伝達管を接続する。
と、艦が大きく揺れた。
「大丈夫ですか!?」
『戦艦がこの程度で沈むか!』
明らかに強がっている通信士の言葉が、涙が出る程心強く感じる。
『君の覚悟は殿下から知らされている。我々は誰一人死ぬつもりはない!』
涙が一筋、マヤの頬を伝う。
『伝達管接続! 魔力供給開始!』
アインに大量の魔力が送られてくるのが、肌で感じられた。
「でも、ただ槍を撃ってもまた弾かれる。もっと重い攻撃ができないと……ッ!」
何かに気づいたマヤは、通信機に向かって叫ぶ。
「フィリップ司令とリーチ艦長に直接話を!」
『なんだね?』
落ち着いた声色のフィリップが、通信に出た。
「確かこの艦には衝角がありましたよね?」
勢い込んでマヤが尋ねる。
『確かに艦首に装備されている』
衝角というのは体当たりした際に、敵艦にダメージを与えるための強固な突起だ。体当たり戦術がまだ実用的だった時代なら装備されているが、この艦のそれは
象徴的な意味合いで残されていた。といっても、強度的には実用に耐えうるものだ。
「艦をお借りしてもよろしいでしょうか?」
『成功する目算が有るのかね?』
優しく、しかし、厳しくも問うフィリップ。この艦には二千人以上が乗艦している、その命を預かるものとして当然の質問だ。
「あたしを信じて貰えないでしょうか?」
マヤは内心、自分の狡さに嫌気が差す。合理的に問われていることを、相手の感情に頼った回答をしてしまったからだ。
『……分かった。君を信じよう』
「ありがとうございます」
フィリップの心遣いに、マヤは心の底から感謝した。
『本艦は対龍衝角戦に入る! 総員対衝撃防御!』
『操艦をミズキ三等海尉に回します!』
「ミズキ三等海尉、操艦頂きました!」
駆逐艦が退避し、煙幕が晴れていく。その中をプリンセスアドルフィーネの巨体が突っ切って、疾走する。
「艦体、浮上!」
有り余る魔力にものを言わせ、強引に魔力で巨艦を空中に浮かせる。
『魔法の心得のある乗組員は、全員手近な伝達管に魔力を込めろ。ミズキに魔力を回せ!』
リーチ艦長が指示を飛ばす。
海面の抵抗が無くなった戦艦は、それまでと見違えるほどの速度で空中を疾走した。
『主砲、撃ち続けろ!』
「鋼巨人の槍!」
プリンセスアドルフィーネ号の衝角に光が集まり、戦艦自体がひとつの槍となる。
龍が炎を吐いた。しかし、先ほどよりも強力な障壁が、炎を弾き返す。
光の槍と化した戦艦は、何とか躱そうとする龍へ回り込み、その高速を維持したまま龍の胴体へ突入した。
甲高い音を立てて、龍の胴体が消し飛ぶ。
真っ二つに別れた龍の身体は、やがて影となって消えていった。




