討伐隊
『報告書と要請書は確かに受領した』
通信機の向こうで、本部の役人は告げる。
『決定は後日通知する』
覚悟しておけ、と言わんばかりの態度である。
「よろしくお願いします」
心の中でベッと舌を出しつつマヤも答える。
結局、書類を仕上げたのは着任してから10日も経ってからであった。
そこから本部の通信使に依頼し、書類を持っていって貰って、着任から2週間以上過ぎた今日、ようやく受領して貰えた。
結局、被害はゼロで出すことにした。ただ、様式の中に「予見される被害想定」が有ったため、街道が使えなくなると、冬季村の住人全員が危機に陥ると書いておいた。
「受け取って貰えた~」
一仕事終えた顔で、マヤは伸びをする。
「これで、後は決定を待つだけね」
しかし、マヤは知らない。この手の書類は出したら終わりではないと言うことを。
翌日、本部より通信が入る。
『報告書の様式4、第2表の縦の合計と様式5、第1表の横の合計は同じになるはずだが、違うのは何故かね?』
出し抜けに聞かれる。
「は? えぇっと?」
慌てて控えの書類を捲り確認する。
「すみません、様式5の方の計算誤りです」
『ではそうすると、様式5、第1表と第3表の辻褄が合わないが?』
「……第3表も間違えてました」
『早急に訂正したまえ』
「……申し訳ありません」
いっそ泣きたい位になるマヤ。
『それから、要請書の様式2と3、様式が本年度から変更になっている。最新版で出し直すように』
止めとばかりに指摘が飛んで来る。
「訂正したものを、お送りします」
最早半泣きである。
『時間がない、今日の正午までに訂正して提出したまえ。魔導通信の書類転送を使ってよい』
使えんとは言わせんぞ、との圧力を言外に込めて役人は言う。
魔導通信の書類転送は、その名のとおり、魔導通信を用いて書類のやり取りをするものである。
ただの会話より遥かに魔力消費が高く、制御するための術式も難易度が高い。
「分かりました、至急提出します」
とは言え、マヤにとってはそれほど困難なものではない。試験でほぼ完璧と言われた評価は伊達ではないのだ。
どちらかと言えば、今日の昼までと言う方が辛い。計算し直して書類書き直しは結構な手間だ。
通信を切ったマヤは、あ~、と天井を見上げる。自分の不甲斐なさが情けない。
別に嫌がらせされているわけではないのが、余計に心に重くのし掛かる。
「まあ、やるしかないか」
弱々しく呟くと、書類に取りかかった。
ゴルト村へ討伐隊の派遣を決定する旨の通知が来たとき、マヤは心底喜んだ。
これまでの苦労が全部報われた気がする。
今ならあの本部の役人にも、心からありがとうと言えそうだった。
そして、討伐隊が到着する日まで、マヤの心は晴れやかだった。そう、到着する日までは。
その日、マヤは雑務をこなしつつ、討伐隊の到着を待っていた。と、駐在所の扉が軽くノックされる。
「はい! は~い!」
満面の笑みで扉がを開けたマヤの眼前に、一人の少女が立っていた。年の頃はマヤと同じ16,7に見える。豊かな金髪を結い上げ、おそらく魔法具であろう長剣と鎧、そして、盾を身に付けたその少女は、少女から女性に変わっていく瞬間の魅力を無自覚に発散させながら、口を開く。
「ゴルト村の駐在所はこちらかしら?」
「はい、私が派遣駐在員のマヤ・ミズキです」
マヤが答えると、その少女は笑みを大きくしながら手を差し出す。
「ギルド討伐隊、エリザベート・コッフォフェルトですわ」
手を握り返しながら、マヤは訊ねる。
「討伐隊の方ですね。他の方はどちらに?」
その問いに、少女はきょとんとした。
「お聞きにならなかったかしら? 私が『討伐隊』ですわ」
胸を張り、堂々と答える少女。
「……はい?」
マヤの目が点になった。
「たかが、狩り蜥蜴か走り蜥蜴の一匹、わたくし一人で充分ですわ」
自信満々に答える少女。
狩り蜥蜴とは体長1.5メルテほどの二足歩行の蜥蜴である。狩り蜥蜴は集団で狩りをすることが多く、たまに群れをなさないはぐれ雄がいたりする。走り蜥蜴はこちらも同じくらいの大きさの群れで生活する蜥蜴で、やはり二足歩行で主に植物を食べる。
「あの、暴れ竜なんですけど……」
マヤは頭が真っ白になりつつも、ようやく言葉を発する。
「暴れ竜にたった一人で遭遇して、無事なわけ有りませんわ、狩り蜥蜴の見間違いではなくて?」
悪意の無い笑顔を見せ、少女は続ける。
「そもそも、暴れ竜の一撃を、魔法具もない状態の障壁の魔法で止められるわけが有りませんわ」
優しく言って聞かせるような口調で、少女は語る。
「貴女が生きてらっしゃること自体が、暴れ竜ではないことの証明ですわ」
マヤは目の前が真っ暗になった。と同時に真っ白だった頭の中がカッと赤くなる。
ふざけるな! と言おうとして、かろうじて思いとどまる。どこかで、暴れ竜から狩り蜥蜴程度へと話が矮小化されていたのだ。考えてみるまでもなく、本部の役人から既に怪しかった。
少女の勘違いは本人のせいではない可能性が高い、ここで感情的になると不味い気がした。
「あたし、2回ほど死にかけましたげど……」
ようやくそれだけを口にする。
「ですから、それは暴れ竜などでは無かったのですわ」
マヤの中で何かがキレる音がした。
「いいでしょう! 見せてあげます!」
そう叫ぶと、机から魔導結晶を数個ひっ掴み少女の手を引いてどんどんと歩き始める。
「あ、ちょっと、どちらへ!?」
「いいから着いてきて下さい」
戸惑う少女を半ば引き摺るように、マヤは山へと向かった。
山を登り、林が途切れる高さまでやってきたマヤは、ようやく足を止める。
「一体何なんですの?」
エリザベートは訳も分からず連れてこられ、さすがに困惑顔であった。
「これから貴女に魔法を掛けます。害の有るものではないので、抗わないで」
マヤは落ち着いた声で話す。暴れ竜のテリトリーはこの林の無くなる辺りから上と、これまでの遭遇と村人の足跡の目撃例からマヤは予想していた。
マヤが最初に遭遇した場所も、街道が峠を越えるためこの辺りの高さにま上がっている。
そのため否が応でも冷静に成らざるを得ない。
「この鎧には抗魔法が掛けられていますわ。生半可な魔法では効きませんことよ」
得意気に語るエリザベートだが、マヤにとっては、抗魔法を操作して魔法を掛けること自体、そんなに難しいことではない。
「大丈夫です、ちょっと失礼」
そう言って彼女の鎧の襟元に埋め込まれた魔導結晶に指を添える。
「わたくしの鎧に気安く触れるなど……」
怒りかけたエリザベートだが、マヤの真剣な眼差しを見て、押し黙る。
「随分丁寧に魔法が仕掛けてありますね……」
マヤが感心したように洩らした。
「大体分かりました、ではこれ、持っててください」
そう言ってエリザベートに持ってきた魔導結晶を渡す。
「ええ、よろしいですわ」
素直に受け取るエリザベート。
「では……」
マヤは渡した魔導結晶と自分の持っている魔導結晶、両方に左右の指を添えて、魔力を流し術式を展開する。
不意に二人の姿が掻き消えた。
『これは、不可視の魔法?』
エリザベートが驚いて声を上げるが、その声は全く周囲には響かなかった。
『不可知です。さすがに会話できないのでは困るので、魔導通信も併用しています』
不可視の魔法では姿が見えなくなるだけであるが、今回、マヤが使ったのは不可知の魔法、姿も発する音も臭いも、気配すら隠す魔法である。
この難易度になってくると、マヤも魔導結晶の補助無しでは難しい。
魔力も足りないため、周囲の魔素も魔導結晶を通して取り込んで使っている。
(先生はこの魔法使ってても、見つけてくるんだよなぁ)
かつての特訓を思いだし、ふと懐かしくなる。
『行きます。手を繋いで』
二人はしっかりと手を握り、歩き始めた。
息を殺して雪山を彷徨くことしばらく、ようやくマヤは目的のものを見つけた。
巨大な足跡だ。三本指が前方に開いた特徴的な足跡が、雪面にくっきりと残っている。
『これが証拠です』
マヤの言葉に、エリザベートは声も出ない。
足跡を追い、視線を動かすと、
『で、あっちの尾根のとこに居ますね、暴れ竜』
彼方の尾根に確かに暴れ竜の巨体が見える。
どうやら、雪山羊を捕食しているようだ。大きな頭部を盛んに動かし、哀れな犠牲者を嚥下している。
繋いだ手から、エリザベートが震えているのが伝わってきた。
『ご理解頂けましたか?』
少しばかり溜飲を下げながら、マヤが意地悪く聞く。
『わたくし達、気付かれてはいないですわよね?』
エリザベートは尋ね返すが、完全に怖じ気づいた声だ。
『今は感づかれてはないと思いますけど、魔法が解けたらこの距離でも見つかりますね』
魔導結晶、落とさないで下さいね、とマヤに告げられ、見えていないにもかかわらず、必死で頷くエリザベート。
『そろそろ、戻りましょうか?』
もう、充分と判断したマヤは声を掛ける。
『え、えぇ…』
ようやく、と言った感じでエリザベートは答えた。
新キャラ登場です。キャラ立ていかがでしょうか?