契約
休暇を終え、王都に戻ったマヤを待っていたのは、駐屯地の変更命令だった。
「はい? 何ですか? この『プリンセスアドルフィーネ号』に騎体ごと異動しろって?」
「異動命令だろ? さっさと準備してくれや」
マクダニエルが機材を纏める指揮をしつつ、マヤに伝える。
「で、このプリンセスアドルフィーネ号ってなんですか?」
マヤは、命令書に書かれた一文を指し、マクダニエルに尋ねた。
「知らねぇのか? 王都湾入り口で座礁してた『ホーリーグレイル号』を修理して、再就役させたんだ、で、名前が変わったんだよ」
「へ~そうなんですね」
初耳の情報に、たいした興味も抱かずに納得する。
「なんでも、第三王女殿下の王室の経費から修理費を工面してもらったから、王女の名前に変えたんだと」
「なるほど」
「で、再就役に当たり、第三王女殿下御自ら、名誉艦長を勤められるそうだ」
「はあ」
マヤは今一、実感できず、気の無い返事をする。
「だから王女近習の嬢ちゃんとアインも、そっちに乗るんだよ」
「あたしは大元は陸軍所属ですよ?」
「知らねぇが、海軍の同階級扱いになるらしいぜ」
嬢ちゃんはこないだの戦闘で海軍連中からも評価されたらしいからな、とマクダニエルは続ける。
「近々、親善訪問に出るそうだから、準備しといたほうがいいぜ」
「ってことは、外国行くんですね……」
マヤはアインを見上げ、呟く。
「飛竜と殴り合いよりかは楽な仕事ですけど、アリシアの動きも気になりますね」
「流石に外国まで追ってくることは、そうねぇと思うがね」
「どうでしょうね」
マヤは追ってくる気はしていた。本当にマヤとアイン・ソフ・オウルに執着しているなら、常に隙を窺っていてもおかしくはない。
ふん、と軽く鼻息を鳴らす。
「整備の方はどうなるんです?」
「トールが、一応軍の予備役だからな、そっちへ回す」
トールが軍に所属していた経験がある、ということだ。かつての階級を復帰させ、軍に所属させることになる。
「後何人か、回せると思うが、御館様次第だな」
コッフォフェルト公の差配に委ねられていると、マクダニエルは言った。
「まあ、無茶なことは無かろうよ」
「そうだといいんですけどね」
マヤは嘆息混じりに呟く。何事か悩んだ後、マクダニエルに視線を向けた。
「ちょっとだけ、試したいことがあるんでアインを動かしていいですか?」
「構わねぇが、アインを艦載させなきゃならんから、時間はかけられねぇぞ」
後、壊すなよ、と注意される。
は~い、と答えたマヤはアインの操作席に収まると、魔導炉を主、副ともに起動させる。
操縦桿に備えられた、小さな魔導結晶に触れながら術式を組み魔導炉に送り込む。
アインの主魔導炉から魔力を汲み上げ、騎体各部に備えられている魔導結晶へと、どんどん注ぎ込んで行く。
魔導炉の出力が上がり、騎体が魔力光に包まれ始めた。
『おい! 嬢ちゃん何やってんだ!』
マクダニエルが異変を察知して通信を入れてくるが、無視をする。
「応えてアイン・ソフ・オウル。あたしの声が聞こえる?」
魔力の制御に集中しつつ、マヤは呼び掛ける。
(主よ、悪戯に魔力を汲み上げているのではないな)
アイン・ソフ・オウルから、微かに意思が感じられた。
「あたしを、あなたの本当の主にして」
マヤは決意のこもった声で呟く。
(……)
「先生に聞いたの。あなたのような魔導具の本当の主になるには、契約が必要だって」
マヤはそっと目を閉じ続ける。
「このまま、何もしないでアリシアに奪われていくのも、アイツがみんなを脅かすのもイヤ。せめて、あなたの力をマトモに扱えるようになりたいの」
(危険を伴う、そして、主も宿命を背負うことになる)
「危険は承知。宿命も何も、魔王に呪いを掛けられてるのよ、もう他人事ではすまない」
(主の覚悟は理解した。契約を行う前に伝えるべきことがある)
アイン・ソフ・オウルは、ゆっくりと語りだした。
(主は子を成す身体ゆえ、魔力の集う場が胎となる。そこに契約を行い我が分け身を宿す)
アイン・ソフ・オウルは確認するように言葉を切った。
マヤは自分の下腹部に視線を落とす。
(我が分け身より、我が力を主の物として用いれよう。しかし、我が分け身は主の力を、僅かずつではあるが喰らう。力を喰らい切れば主の魂を喰らう。魂を喰らい切れば主は己を失い、我と一体となる)
そうなればアリシアの呪いが発動する、というわけね、とマヤは心の中で呟く。
(常であれば、我が分け身が喰らうより、主の生む力の方が多い。力の使い方に気を付けよ)
普段は気にしなくてもいいってことね、と安堵するマヤ。
(分け身が宿る場が胎であるため、月の巡りにて血と共に分け身も流れ出る。その度ごとに宿し直すことが必要となる。また、血が流れ出ている間は、分け身から我が力を使うことは叶わぬ)
あぁ、アレの時は駄目ってことね、とマヤは妙な納得の仕方をした。
(では、契約を行うか、否か?)
「勿論、行う!」
マヤは躊躇もなく答える。
「先生から聞いてる。覚悟は出来てる!」
(では、始めよう。我との繋がりを断たぬよう、気を緩めぬことだ)
途端に、アインの騎体全体に巡っていた魔力が、一気にマヤに流れ込んでくる。
「かっはッ!」
四方八方から、臓腑を熱した鉄棒で掻き回されるような感覚が襲う。
「うぐぅぁぁ!」
咄嗟に操縦桿に置いた手を離しかけるが、アイン・ソフ・オウルの言葉を思いだし、必死に握り込む。今、マヤとアイン・ソフ・オウルを繋げているのは、操縦桿の魔導結晶だ。これを離したら契約が失敗してしまう。
「ああぁぁぁ!」
脂汗が額を伝い、目に滲む。それでも手は離さない。
やがて腹部の熱感が、下腹部の一点に集中して行く。
「あ……ぁ……」
一点に集中した熱は、不意に存在を薄め、溶けるように胎内に消えた。
「ッあ、はぁ、はぁ」
ドサリとマヤは背もたれに身を預ける。
(契約は完了した。我が主よ、改めて共に)
アイン・ソフ・オウルの声が、ゆっくりと消えて行く。
『……ぃ、……ぁん』
誰かの声が遠くに聞こえる。
不意に、アインの操作席の扉が、外側から強制解放された。
「おい! 嬢ちゃん! 大丈夫か!」
血相を変えたマクダニエルが、操作席に身を乗り出してくる。
「おい! しっかりしろ! 何があった!」
心配そうなその顔をぼおっと見つめて、マヤはようやく意識がはっきりしてくる。
「……あ、マクダニエルさん」
掠れた声で、それだけを言うのがやっとだ。
「急に魔導炉の出力上げたと思ったら、あんだけあった魔力が一気に消えちまったんだ。一体なにがあった?」
「契約ですよ」
「なんだぁ?」
「アインと繋がったんです」
「よく分からんが、大丈夫なのか?」
マヤはゆっくりと身体を起こす。
「大丈夫です。何なら前より調子が良いくらいですよ」
「顔色からはとてもそうは思えんが……」
なおも心配するマクダニエルに、マヤは笑顔を向ける。
「アインを動かします。プリンセスアドルフィーネ号に移動させればいいんですよね?」
「まぁそうだが、 本当に大丈夫か?」
マクダニエルは、まだ心配していた。マヤは努めて笑顔を作る。
「大丈夫ですって、アインを出すので下がってください」
「わかったよ、とにかく無理はするなよ」
渋々、マクダニエルは引き下がった。
「では、出します!」
ややあって、マヤはアインを王都湾上空へと飛翔させていた。




