老師
悔しかった。ただひたすらに悔しかった。そして悍ましくもあった。しかし、何より許せないのは、明らかに悦んだ自分の身体だった。
マヤは貯まっていた休暇を纏めて申請し、一時的に任を離れた。王都を離れることは、エルザを始め何人も反対したが、珍しくマヤは自分の我が儘を押し通す。
そして、今、マヤは自分の生まれ故郷の村に訪れていた。まず、両親に休暇の報告をし挨拶をすませ、そして、村外れの一軒家までやってきていた。
表札のかかっていない、そのドアをノックする。
「先生、マヤです!」
再びノックする。
「先生!」
「五月蝿いわい、そう騒がんでも聞こえとる」
声と共に、唐突に扉が開かれた。
「久しいな、マヤ。どうじゃ仕事は?」
現れた老人は、マヤを見つめ懐かしそうに声を上げる。
「その事で、少しお話をお聞きしたいのですが」
マヤが伏し目がちで、控えめに答えた。
「悩み事かの?」
「まあ、そんなところです」
「ふむん。まあ、上がりなさい」
「お邪魔します」
マヤは遠慮なく、師の家に上がる。かつての特訓が脳裏に甦る、それほどに室内は当時のままだった。
「あ、お土産です。王都名物ユニコーン饅頭」
「おぉ、マヤが土産を持ってくるようになるとはの。これを食べるのも何年振りか」
老人は目を細め、嬉しそうに受けとった。土産そのものより、かつての教え子が土産を持ってきたことの方が嬉しそうな様子だ。
「茶を点てるかの」
濃茶が良かったかの?と聞く師に頷くマヤ。
土産をつまみ、茶を楽しんだ後で師は口を開く。
「相談はなんじゃったかの?」
マヤは老人を見つめ、真面目な声で問う。
「魔王の呪いを解く方法は有りますか?」
「無いわい」
間髪入れず即答された。
「そもそも、魔王を名乗る相手に、呪いをかけられるような隙を見せた時点で、死んでおっても不思議ではないわい」
命があっただけで儲けもんだわい、と老人は口にする。
「どうしよう先生!あたし、このままだとあいつのモノになっちゃう!」
切羽詰まった表情で叫び出すマヤを、そっと肩に手を置き宥める老人。
「まあ、待て。順を追って話してみんか」
幾分か落ち着きを取り戻し、マヤは今までの経緯を語った。
「ふむん。欲望の魔王ウェグヴィエラとはの。また大物に目をつけられたもんじゃの」
「大物、ですか?」
マヤが訝しげに尋ねる。
「72柱おると言われる魔王の中でも、最上位に位置する魔王じゃ。匹敵する力を持つものは他に僅かしかおらん」
老人は断定的に口にした。
「その呪いを解くとなれば、仮初めにでも滅ぼさなければならんわい」
「滅ぼす、ですか?」
「魔王はこの世に置いては、その全力を出すことはできぬ。この世の姿は現身で在るがゆえにな」
魔王の本体は魔界から出られぬからの、と老人はゆっくりと語った。
「なればこそ、その現身だけでも討ち滅ぼすことができれば、その力は一時的には失われるのじゃ」
「現身であの力なんですか!?」
「仮にも魔王じゃぞ、お前が生きておれるのも、そやつの気まぐれに過ぎんのじゃ」
老人は嘆息混じりに伝える。
「嫌なら、アイン・ソフ・オウルを使いこなすことじゃ。あれは神代の宝具、無限光、人に与えられし神の刃、人の愛にて悪を絶つ剣じゃ」
だから、絶対に魔王に渡してはならぬ、と老人は真剣な口調で続けた。
「使いこなすことが、あたしにできますか?」
「知らん」
老人はすがるように聞くマヤを、あっさりと突き放す。
「少なくとも、自分の欲望を認められず、老いた師にすがるようでは使いこなせんわい」
老人は矍鑠と笑う。
「自分の欲も汚さも認め、その上で正道を行く、その覚悟がなければ、使えるものも使えん」
お主にできるか? とかつての教え子に問いかける。
「分かりません。でも、このまま良いようにされたくはありません」
「では、やるしかないの」
マヤは手元の茶碗をじっと見つめた。
「分かりました。やってみます。見ててください」
「その意気じゃの。お前はわしの自慢の教え子じゃ。頑張るんじゃぞ」
老人は満足そうに微笑む。
「ところで、こんなことにも詳しい先生は、一体何者なんです?」
マヤがふと湧いた疑問をぶつける。
「何のことはない、隠退した『大魔法使い』じゃよ」
老人はここぞとばかりに、改心の笑みを浮かべた。




