悪夢
(あぁ、夢を見ているんだ、あたし)
夢であるのに、意識も感覚もはっきり感じられる、明晰夢と言うものがある。
マヤは自分が夢を見ていることを認識する、という不思議な感覚に囚われていた。
夢の中で夢であることを認識しているのに、目が覚めない、なかなか奇妙な感覚である。
「そう、これは夢よ」
不意にかけられた笑いを含んだ聞き覚えのある声に、思わずぎょっとして振り向くマヤ。
周囲にはなにもない、ただただ白い空間だけが広がっているそこに、一人の人物がいた。
「……アリシア……なんで?」
「なんでって? 貴女に会いに来たのよ」
わざわざ夢の中に入ってね、とアリシアはほくそ笑む。
「会いに来たって、何のために?」
「そうねぇ、いろいろ良いことしてあげようと思ってね」
アリシアはわざとらしく人差し指を唇にあて、にやりと厭らしく笑う。
いつの間にか、アリシアの亜麻色の髪が伸び、マヤの周囲を取り囲んでいた。
「……ッ!」
マヤがそれに気がついた時には既に遅く、髪は生き物のようにうねり、一斉に彼女に襲い掛かってきた。
必死に身をよじり、逃れようとするマヤの、手に、足に、身体に、次々と髪が絡み付いてくる。
「いやッ! 放してッ! ……あッ!」
無数に絡み付いてくる髪に、やがてマヤは全身を縛り上げられ、身動きすらできなくされてしまう。
ギチギチと全身を余さず締め上げられ、たまらず悲鳴を上げるも既に呼吸さえ儘ならない。
呼吸困難で意識が落ちる寸前、全身の拘束が緩み呼吸が許される。
「かッ、はぁはぁ……あぐぅッ」
空気を求めて大きく開けた口の中にまで、髪は侵入し舌をも絡めとった。
「どう? 私の髪は?」
アリシアが無邪気に聞いてくる。
「は……なし……て……」
「い、や、よ」
アリシアは楽しそうに囁く。
「このまま、貴女を殺すのは簡単。でも私の目的はそうじゃないの」
アリシアの髪が一度、脈打つように震えた。
「……ッ!」
マヤの身体が答える様に震える。
いつの間にか後ろに回り込んだアリシアが、マヤの身体を抱き締めた。
「貴女は強いわ。痛みにも悲しみにも、でもね」
アリシアはマヤの耳元に、優しく妖しく囁きかける。
「苦しかったでしょ? 辛かったよね? でも、もう苦しまなくてもいいようにしてあげられるの」
全てを委ねてしまいたくなるような、蠱惑的な響きがあった。
「私のモノになれば、貴女が感じる痛みも悲しみも恐怖も、喜びだって、悦びに変えてあげる」
アリシアの吐息が、媚薬の様にマヤの鼻腔を刺激する。
「だから、私のモノになりなさい」
アリシアは震えるマヤに、命じる様に言い放つ。
「……ッ」
「なあに?」
何かを言いかけたマヤの、口の自由を少しだけ許す。
「嫌ァッ!!」
マヤはベッドの上で跳ね起きた。荒い息をつき両肩を両手で抱き締める。
「……夢?」
確かめるように、そう呟く。
「あ~あ、起きちゃった」
残念そうに呟いたアリシアの声に、弾かれたようにそちらを見るマヤ。
いつもの使用人の服を着たアリシアがそこにいた。
「折角いい夢見せてあげてたのに」
「何がいい夢よ」
悪夢だわ、とマヤは言い返す。
「あら、満更でもなかった癖に」
茶化すアリシアを、殺意すらこもった目で睨み付ける。
マヤは胸元に吊り下げていた魔導結晶を取り、魔法の発動準備をした。
「大人しくしなさい!」
拘束の魔法を発動するも、あっさりとアリシアの抗魔法に掻き消される。
「大人しくするのはどちらかしらね?」
マヤに瞬時に近寄り、魔導結晶を握るアリシア。
大して力を入れた様子もなく、魔導結晶は粉々に砕け
散った。
「我が名はアリシア・ヨミ・ウェグヴィエラ。欲望の魔王ウェグヴィエラよ」
アリシアから圧倒的な魔力が放出される。その魔力をまともに浴びせられ、マヤは一瞬、全身が硬直した。
その隙に、アリシアは自分の唇をマヤのそれにそっと触れさせる。
状況が飲み込めず、目を白黒させるマヤを見つめ妖しく微笑んだ。
「今日は貴女の初めてを一つ奪ってあげたわ」
満足そうに微笑むアリシア。
「次に会うときは何を奪ってあげようかしら?」
やっと意味を理解し、マヤは愕然とする。
「全部奪っちゃう前に、アリシア様の奴隷になります、って言えば夢の続きをしてあげる」
良く考えておいてね、と嗤ってアリシアは闇に溶けるようにマヤの眼前から消えた。
「誰が……奴隷なんて……」
血を吐くように呟くマヤの目から涙が溢れる。絶望なのか恐怖なのか、はたまた悔しさのためか、マヤ自身にも良く分かっていなかった。
アウトかな
セーフかな




