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今はそうでもない

出雲大社の前で途方に暮れていたことを思えば、今はそうでもない。あの鍬を振り下ろされても、私はそれを奪い取って逆に振り下ろしてみせるだろう・・・。


「あだん、明ちゃん大丈夫かね。」


あれ?拍子抜けするほど、いつも通りの声が降って来た。

「いけんかったね。悪い獣を落としちゃろうと思ったら、明ちゃんが落ちたかね。」

「動物用の罠ですか?」

「あげ、畑荒らしていけんけん。」

良く知らないけど・・・落とし穴って使う?

「すごい穴掘りましたね。」

私は自力で穴から這い出しながら言った。

「タダさんが掘ってくれたけん。」

出た、タダさん。

「せっかく掘ってごしたけど、危ないけんやめーかな。」

「そうですよ。自分で落ちたら大変ですよ。」

さっきまで鍬を奪って振り下ろしてやろうと思っていた私の発言とは思えない。

「あげだね。」

人の噂と、自分の想像力でこんなに簡単に優しくない人間になれるんだな~と感心する。もう人間じゃないかもしれないけど。

「これマリーさんから、昨日の白菜のお礼です。中は無事ですから。」

「あだん、ごめんね。お礼いっちょいて。明ちゃんは痛いとこないかね?」

「全然大丈夫です。こちらこそ、すいません。」

「いいけん、いいけんね。はよこと帰ってお風呂入るだわ。」

「はい、そうさせてもらいます。」

結局、田村のおばあちゃんは鬼婆なのか否か?



帰り道、自分の体を見下ろしてみると、泥だらけになっていた。私の今着ている服は私の意識で出来ている・・・らしい。落とし穴に落ちてちゃんと汚れる辺りが、無意識に長年培ってきた常識を反映しているようだ。

『体は風で洗うんだな。』と小さいおじさんが教えてくれた。

初めて試した時には自分が吹き飛んだけど、今では簡単に出来るようになった。自分の風馬で体をなぞれば、服はキレイになり気分までスッキリする。不思議だなと思う反面、慣れてくるとこんなものだと思えてしまうのが可笑しい。


何となく天気はいいし、気分もいいので遠回りをしようと脇道に入ろうとした時、青い靄が目の端をかすめた。振り返ると青い靄がこちらを見ている・・・。

「風馬?」

いや、実際目があるわけでもないから、見ていると言うのはおかしいだろうけど・・・見ている。確かに見ている気がする。ジーと見ていると、向こうもジーと見てくる。


少し待ってみても何のアクションもないので、なんか飽きた。風馬らしき青い靄をほっておいて先に進もうとすると・・

「せっかく、迎えに来たのに無視をするのですか?」

青い靄は一瞬でぎゅっと固まってシキになった。


「えー。」ドン引きしたような声が出た。


風の民ってそんなことになるんですか。コレは確かに人ではないな。私は今、人ではないことを確信した。

「聞いてますか?無視しないでくださいね。」

幼いシキの顔がにこりと笑ったが、その視線はやっぱり私を見ていない。靄だった時は見られている感じがあったのに・・・。


「聞いてますよ。シキだとはわからなかったんです。」

「わからない?」

「風馬で判別しろと?」

「なるほど、確かに自分も昔そう思ったような気もします。では、覚えておいてください、風の民の姿などあってないようなものです。私達は風馬でお互いを識別します。同じような色合いだとして、同じ風馬は存在しません。風馬こそが自分の姿なのですよ。」

「そうなんですか・・・。」

「わからないですか?」

「おいおい理解します。」

「はい、そうして下さい。」

分からないことは、必死に理解しようとするより寝かせるのが一番だと思う。

「それで、どこへ行くのですか?」

「気持ちいい天気なので散歩でもしようと思って。」

のどかな田舎の風景は冬を前にして少し寒々しいけど、天気のいい今日は気持ちのいい普通の風が吹いている。

「では、私もご一緒します。」


私達は人の姿のない道をのんびり歩いた。時々、作業している人を見かけるけど、その人達がこちらに目を向けることはない。無視されることにもすっかり慣れてしまった。

「こうやって道を歩くのは久しぶりです。そう考えると私もすっかり人離れしてしまいました。」

確かに人間は靄にはなれない。

「私も完全な風の民になれば、あんな風に靄になって飛べるんですか?」

「モヤ?あぁ、いえ・・・それはどうでしょうか?」

「無理ですか?」

ほんのちょっとがっかりした。

「私が風の民になったのは5歳の時です。人としての常識が身に着く前だったので、この体を最大限に利用出来ていると思います。ただ一度人としての常識をもった方は、人だったころと違う姿になることがとても難しいようです。」

そういうものだろうか?


「例えば、私達は肉を持ちませんから刃物で刺されても死ぬはずがありません。しかし実際は死んでしまう風の民がほとんどではないでしょうか。あるはずのない痛みを感じ、あるはずのない血を流すのです。」

シキは何かを思い出すように言った。落とし穴に落ちて服が汚れてしまうようでは、きっと私も死んでしまうんだろうな。刺されないようにしよう。

「でも空は飛べるんですよね。」

私は少し楽しみにしている。シキは私に視線を向けないままニコと笑った。

「はい、飛べない風の民はいません。自分で飛ぶと言うよりは、風馬が飛ばせてくれます。」

それなら、よかった。



シキは歩きながら風の民についてイロイロ教えてくれた。

「もうずいぶん昔ですが、私もこうやって拾ってくれた風の民にイロイロ教わりました。」

そうだろうと思っていたけど、シキは小さな男の子に見えて、実はかなり年上なんだろうな。


私はふと空を見上げた。最近ではすっかりカラフルな空を見慣れていたけど、今は空が青く羊雲が浮かんでいる。


のどかだな。


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