第37話 対話とお願い
「お主からは、その者の匂いがする。その者からは、お主の匂いがする。それでわかったのじゃ。少なくとも、お主はその者と親密な関係があるとな」
「……アノンは、私にとってとても大切な人よ。私自身以上に」
「お主の名は?」
「クラーナ……」
「そうか……」
クラーナの言葉に、厄災の戦姫はゆっくりと目を瞑った。
その表情には、慈しみのようなものが感じ取れる。それがどうしてなのかは、なんとなくわかった。きっと彼女は、クラーナにとって馴染み深い人なのだ。
「この世界は、変わったのか?」
「……あなたが生きていた頃から、少しは変わったかもしれないわね。でも、犬の獣人に対する差別はまだ存在しているわ。でも、私が住んでいる町では、そういう風潮も和らいでいる。アノンが私に寄り添ってくれて、その姿を皆が見ていたから」
「……そうか」
「……ちっぽけかもしれないけれど、でもそれでも世界は変わってきているわ。長い年月によって染みついてきたものを抜くには、きっと長い年月が必要なのよ。私達の代で、それは成し遂げられないかもしれない。でも、いつかは……」
クラーナは、厄災の戦姫にそう語った。
彼女が打ち明けるその言葉は、私の胸にも刺さってくる。きっと、クラーナはずっと望んでいたのだ。人間と犬の獣人が助け合う世界を。
そうでなければ、きっと彼女はあの時私を見捨てていたはずだ。どれだけ迫害されても人間に手を伸ばすことを諦めなかった。それはきっと、今のような思いを胸に秘めていたからなのではないだろうか。
「……どうやら、最早この世界に厄災の戦姫は必要ないようじゃな?」
「……ええ」
「ふふ……」
厄災の戦姫は、私達の前で笑みを浮かべた。
もしかしたら、彼女も思っていたのかもしれない。いつかは人間と犬の獣人が、いや全ての種族が手を取ることができるような世界を。
「……アノンで良かったか?」
「あ、はい。なんですか?」
「これからも、この者を頼む……いや、それだけではないか。この世界を頼む」
「……はい」
厄災の戦姫の言葉に、私はゆっくりと頷いた。
クラーナの望みは、私の望みでもある。いつかこの世界から、差別が消えればいい。私もそう思っている。
「それから、もう一つ頼んでもよいか?」
「なんですか?」
「……妾の頭を撫でてみてはくれないか?」
「……え?」
次の頼みに、私は思わず驚いてしまった。
そんな私をそれ程気にすることなく、厄災の戦姫は頭を出してきた。
私は、一度クラーナの方を見る。すると、彼女はゆっくりと頷いた。つまり、撫でればいいということなのだろう。
「それでは……」
「うむ……」
私は、恐る恐る厄災の戦姫の頭を撫でた。
彼女の毛の触り心地はとてもいい。ただ、どうしてこんな提案をされたのかがわからないため、少し困惑してしまっている。
「ふむ、これはいいものだな」
「あっ……」
そんな私の目には、穏やかに笑う厄災の戦姫が映った。
もしかしたら、彼女もこんな風に人間と触れ合ってみたかったのかもしれない。私は、そんな感想を抱くのだった。




