4. おパンツが引き起こす放課後の甘酸っぱさってどうよ?
どうも、朝北優人です。女子のおパンツを片手に、菓子パン研究同好会に向かっているところです。頭の中はとりあえず、ほとんど何も考えられていません。
「――にい、左手に何持ってるの?」
「ああ、これ‥‥‥。おパ――――――――っ!!!?」
言いかけてようやく放心状態から目が覚めた。俺は慌てて手に握った柔らかい布をポケットに突っ込む。
「いいや、ただのハンカチだ。トイレ行っててな」
危うく穢れなき我が天使に女性用の下着を見せるところであった。そんなこと、男として、兄として、そして舞彩のにいとして決して許されない。
「ここから最短距離のトイレでも200メートルはあるわ。随分長い間手を暖めていたのね」
聞きなれた嫌な声がそう応えた。俺は困惑した。何故だ、教室で振り払ったはずだ。速すぎる。というかなんでここに居るんだ。
もはや、声にならなかった。何故、彼彗がここに居るんだ――。
「素直すぎる驚き様ね。ちゃんとあなたのすぐ後ろに居たわよ、ずっと」
彼彗が言うには、僕の後ろをつけ、僕が女子と衝突した時に追い越して行ったらしい。意味不明の行動力である。というか、ストーカーの域だ。
「もしかして暇なのか、お前は」
「何言ってるのよ?学級委員としてクラスメイトを先導するのは当然でしょう?」
「先導するどころか人の後ろをつけてた奴が学級委員の立場を利用しないでくれ」
いつも通りに他愛ない会話をしていると、なにやらジジジという音と香ばしい匂いが漂ってくる。原因は、机にあるオーブントースターである。
「さあさあ、チョコチップ入りスティックパンの研究第二弾は、ベイクド!!」
舞彩はトースターを開き、数本のスティックパンを取り出す。するとどうだろう、チョコレートの香りがさらに増し、実体を目にすることでより、食欲をそそる。あらゆるポイントがゼロの俺には、さらに効果アップだ。
「なるほど、食感の違いを楽しむということね。良い着眼点よ。舞彩ちゃんは将来有望ね!」
「えへへ」
「焼くぐらい誰でも思いつきそうだが‥‥‥俺の感性がおかしいのだろうか」
などとおしゃべりしている内に、俺たちは一本ずつスティックパンを握った。
「いざ実食!」
舞彩の合図でスティックパンを食べる俺たち。その瞬間、口腔に熱が広がる。噛み心地は、はじめはサクッと、あとはふわっと。柔らかいパン生地の中で、少し硬くなったチョコチップを砕く食感がたまらない。イメージとしては、パンというよりも菓子、だろうか。
「にい、わかったよ!チョコチップ入りスティックパンの魅力!それはこの形状による食べやすさ、そして生地とチョコチップとのギャップによる噛み応えの調和!だから長く愛されてきたんだ!!」
舞彩はすぐにメモ帳を取り出し、記録する。――菓子パン研究同好会。はじめは遊びかと思っていたが、これである。これが本懐なのだ。我が妹は、本気だ。
「それにしても、そのオーブントースターはどうしたんだ?」
「友達に手伝ってもらって、調理室から借りてきたの」
ん?もしかしてその友達ってのは――。俺には思い当たる節がある。‥‥‥そう、おパンツをくれた張本人だ。ここらを人が通るのは滅多にないし、恐らく合っているだろう。
それなら俺は、急いで彼女を探さなければならない。当てがあるなら、早く見つけて返してあげたい。
「その友達って!?名前を教えてくれ!彼女に会いたいんだ!!」
必死だったので今、自分で何を言ったのかよく理解できていない。しかし、舞彩と彼彗が共に目を丸くしていたことだけは、よく分かった。
「‥‥‥朝北君って、意外と積極的だったのね」
「にい‥‥‥、凪ちゃんはまだ中学生だよ!ソーイウのはちゃんと順を追ってからじゃないと――!」
「そういうのじゃないから!!野暮用だから!!」
二人とも、ものの見事に勘違いをしてみせたのであった。まぁさすがに、俺も変なことを口走っていたからな‥‥‥。
* * * * *
――――聞くと、俺におパンツをくれたであろう彼女の名は、雪江凪。舞彩の同級生で、中学一年生の頃から親友らしい。舞彩曰く、引っ込み思案で人と目を合わせることができず、前髪で隠しているんだとか。雪江さんの表情は、舞彩すらちゃんと見たことがないらしい。
「もう帰っちゃったかもだけど、一応教室見てくるよ」
「助かる。俺らはオーブントースター返しとくから」
舞彩はトコトコと走って部室を去っていった。全ての仕草が可愛らしい。
さて、俺のために動いてくれてる天使のためにも、オーブントースターを調理室に返さなければ。俺はオーブントースターを持ち上げようと立ち上がった。
――しかし、俺の手は彼彗によって引かれていた。座ったままの彼彗は、俯いている。――なんだ、この緊張感は。
「ど、どうかしたのか?」
とりあえず尋ねてみるが。
「‥‥‥彼女が好きなの?」
「彼女って?」
「探しているんでしょう?」
どうやら彼彗は、雪江さんのことを言っているらしい。確かにおパンツのことは言っていないが、まだ誤解していたらしい。
「そういうのじゃないって言ってるだろう?少し話があるだけだ」
彼彗は、顔を上げた。俺はそちらを見る。
「なっ――!?」
この緊張感の意味が、今明らかになった。彼彗は頬を赤らめて、いつになくまっすぐ俺を見つめていた。
「‥‥‥もっと、朝北君の面倒がみたいよ‥‥‥」
彼彗は、俺が雪江さんと付き合って、自分が必要なくなってしまうのではないかと思っていたらしい。どこまでお節介な娘なんだ。呆れてしまう。ため息の後に、俺は言った。
「お前以外で、誰があんなダイレクトに世話を焼けるんだ?余計な心配だよ」
だんだんと、俺を掴む彼彗の手が弱くなっていった。解放された俺は、オーブントースターのコンセントプラグを抜いた。それをていねいに巻き上げ、オーブントースターに手をかける。――と同時に、彼彗もオーブントースターに手を当てていた。
「――がと‥‥」
小声で何かを呟くが、よく聞こえない。妙な気分のまま、俺たちは部室を出た。
今日は珍しく、山に沈んでいく夕陽に目を向けていた――。