最終話.「語り継ぐ者」
●【最終話.「語り継ぐ者」】
彼はペンを置き、一息ついた。
アズールの物語は悲しく、そして美しい記録。
だが、かつてミヅキとホムルと呼ばれた国で起こった悲劇の本質を語るには、更に時を遠く遡らねばならなかった。
いや、このデーデジアという世界の記録を残すためにはホロやオルステイン、彩岩楼皇国で起こった出来事も記さねばならないだろう。
だが、彼が記すことができたのはミヅキとホムルの記録だけ。
この記録を完成させるには、まだまだ膨大な月日が必要だ。
果たして、自分が生きている間に書けるのだろうか?
もし、自分の代で終わらなければ、また混沌とした長い月日の果てで、この果てしない作業を続けなければならないのだろう。
彼は眼鏡を外し、テーブルに置かれた銀薄荷茶を一口啜った。
部屋の空気を入れ替えようと窓を開けると、夜風に乗って一枚の桜の花弁が風と共に入ってきて、彼の飲みかけの銀薄荷茶の中に落ちた。
「……あなたは今も私を監視してるのですね……」
カップの底に沈んだ桜の花弁ごと銀薄荷茶を飲み干した彼は、疲れたように指をこめかみに当て、溜息をついた。
彼は、物語を書き記している。
御伽噺や民話として語られている物語を集めて本に書き記している。
アズール国ができて既に五百年以上の歳月が過ぎていた。
今でも竜王教という宗教は存在するが、かつての権力はなく、神官も竜巫女も既に形骸化された存在でしかなかった。
竜王はすでに架空の存在となり、子供の御伽噺の中の素敵な登場人物の一人でしかなかった。
この世界は竜王や女神が望んだ世界だろうか?
戦が世界中で常に起こり、退廃と快楽に溺れる者がいる。
一方で、節制を守り、堅実につつましく生きている者もいる。
昔に比べて明らかに混沌とした世界。
彼らが望んだ世界はこんな世界なのだろうか?
わからない。
完全に沈黙してしまった竜王たちが、どんな世界を望んでいたのかなど。
それでも、この世界で人は精一杯生きている。
そして、彼もそんな世界に生きる平凡な人間の一人だ。
世界の中で一番歴史の新しいアズールという国で生まれ育ち、小さな診療所で医師として働く傍ら、趣味として伝承物語やちょっとした小説を書いている。
そのうちのいくつかは出版されたりもしたが、彼には文才があまりないらしく、生活できるほどは売れていない。
彼は数年前からある伝承物語を書き始めた。
口述だけで語り継がれてきたこの物語は遠い昔、父に聞いた物語。
父は祖母に話を聞き、祖母は曽祖父からこの話を聞かされた。
アズールに伝わる竜王と最後の王の伝承。
子供たちに絶大な人気を誇る御伽噺のひとつだ。
彼はアズール各地に断片的に残る伝承を年寄りたちから聞き集め、自分の心の底に眠る不思議な記憶と照合させながらその物語を書いていたのだ。
口述の物語のため、長い年月の間に妙な脚色や事実無根の話も混ぜられていた。
中にはカイエとエーレウスは竜王の化身そのものであった等、とんでもない脚色が加えられていたりした。
彼は苦笑しながら間違いを訂正した。
『不純物』を丹念に取り除き、正確な記録を残さなければならない。
不思議なことだが、この物語はとても有名な物語なのに、なぜか今まで誰も記録として書き記さなかった。
いや、正確には、それを試みた者は今までに多く存在したのだが。
この物語を書物として書き記そうとすると、なぜかその書き手には良くないことが起こったのだ。
取材中に事故にあったり、突然病に倒れたり。命を落とした者は数知れず。
それ以来、この伝承物語は必ずその書き手に災いが起こると恐れられ、決して書物に書き起こしてはならないと半ば一種の怪奇物語のような扱われ方すらしている。
当然だと彼は思った。
この物語は女神に定められた『記録者』以外は記してはならない物語。
記録者に与えられた贖罪の為の作業なのだから。
自分が『記録者』であることを自覚したあの日から、彼は堂々とこの伝承物語の編纂に着手した。
彼の友人や家族はやめておけと止めた。しかし、彼は取り合わなかった。
この物語を記すために選ばれた者が、物語に呪われる筈はないから。
まるで自分のことのように思い出せる不思議な記憶と、各地の語り部たちにより語られる物語の編纂作業に彼は心血を注いだ。
ある夢によって呼び起こされた自分の中の他人の記憶。
彼はずっと書き記している。
不思議な夢を見たあの日から。
━━━━━━━ 『記録者』と呼ばれたあの時から。
その夢の中で彼は血まみれで倒れていた。
剣で刺された傷が、全身にあった。
背中の傷が最も深く、致命傷だった。自分を刺した男の顔は今でも覚えている。
そこはどこかの建物の中だった。
遠くで歓声が響いていたのを覚えている。
意識が薄れかけてきた時、彼は耳元で女の声を聞いた。
『長き時を生きる罪びとよ。お前は語り継がねばならない。記録者として、赦されるその日まで伝承を記録し、語り継がねばならない……』
━━━━━━━ 記録者。
不思議な、それでいて懐かしい響きの言葉だった。
彼は夢の中で呟いた。
苦しい息の中から、途切れかけた声で。
「私は、これから何をすればいいのですか?」
息が完全に途切れる寸前、彼は命をかけて守った親友が戻ってきたのを見た。
体に傷を負い、親友も無事な状態ではなかったが、それでも彼はふらつく足で戻ってきてくれた。
━━━━━━━ オリベイル!
親友が自分の名前を呼び、暖かな涙が自分の頬に降りかかったのが最後の記憶だった。
目が醒めたとき、彼の頭の中には沢山の記憶があった。
それは彼自身であり、彼ではなかった。
彼の視点から見た記憶、彼以外の視点から見た記憶、気が狂いそうな程多くの映像や感情が彼の頭の中に怒涛のように流れ込んできた。
混乱した彼はその日から数日間、原因不明の高熱を出し、生死の境を彷徨った。
熱から醒めたとき、彼は自分の役割をはっきりと認識していた。
記録者。
彼に与えられた罪。
語り部として語り継ぐ者。
ミヅキの王と、ホムルの王の最後の戦いの日、親友を守って命を落とした男、オリベイル・カラン。
それが彼だった。
その時代で彼は多くの大きな罪を犯した。
しかし、彼が罪びとと呼ばれるのはそれだけではなかった。
オリベイルとしての人生を生きる前、彼はホロに居た。
雪深き森の奥、閉ざされた世界に生きる小さな一族に干渉したことを後悔している。
その前はオルステインにいた。
あの娘はいま思えば魂の双子だった。
そんな彼女にした仕打ちはなんだったのか……。
更に昔には彩岩楼皇国に生を受けた。
賢者と呼ばれた偉大な王を敵の手に売った自分は呪うべき存在。
多くの罪を犯し、長き罪びとの道を歩む。
罪を責めた女神を呪い、科せられた仕事を放棄した。
時の罪びとと呼ばれ、安住の地を得ることなく逃げ回った。
記録することを放棄し、各時代を逃げ歩いた。
そして、たどり着いた最後の地で、自分に与えられた役割の本当の意味を知った時、出た素直な言葉。
━━━━━━━ 「私は、これから何をすればいいのですか?」
呪われたベルガーの魂を受け継ぐ者として、名を変え、姿を変え、彼は転生しつづけた。女神の呪いを受けたベルガーの魂。
その血を受け継ぐ直系の娘は女神の拠りしろとなり、女神の呪いをその身に直接受けたコンラートの魂はベルガーの流れを受け継ぐ者の体を渡り歩く。
神話の時代、コンラートとして生きた彼が、自分の罪と、己が命よりも愛した娘、セラスの記憶を記すためにはまだ多くのことを記さねばならない。
記録者として選ばれた魂を持つが故、全ての苦しみの記憶を持つ彼は、記録者としての仕事を終えるまで語り継がねばならない。
かつて、自分が生きた地を踏み、その記録を辿る。
「週末に、ホロに取材に行ってみるか……ピリポとピリカ……そしてフィンの物語を書くために」
きっとあの子たちは待っている。
━━━━━━━ かつて、自分が後悔の彼方に見た無垢な瞳を輝かせて。
第一部、空色の翼はこれで完結です。
長い物語にお付き合いいただきどうもありがとうございました。感想、評価などいただけますととても嬉しいです。
さて、この物語はまだ終わりません。
次の物語は第二部、「亡国の雪」。第一部より500年時を遡り、舞台はソーナとホロに移ります。
失われたソーナ国と、ホロの戦乙女との因縁。そして女神の武具「契約の剣」出現の時代の物語です。
この物語は時を遡っていき、最後に神話の時代の話へと繋がっていき、そこですべての謎や伏線がつながる作りになったお話です。まだ先は長いですが、気長にお付き合いいただけると嬉しいです。
では、また第2部で。(更新はすぐ始まります)




