7.「飛燕と呼ばれた男」
●【7.「飛燕と呼ばれた男」】
タチバナ侍従長の怪我は幸いたいしたことはなく、駆けつけた魔道士団の治癒術士の治療ですぐに回復した。
イーラもすぐに意識を取り戻した。彼女に怪我はなかった。
「エフィ!何をしている!早くあいつらを追わないと!」
カイエはセリアを心配し今にも暴れださんばかりだったが、エフィはそんなカイエを制止し落ち着かせた。
「今、魔道士団の探査士に探索させてます。大丈夫です、外に通じる出口という出口は封鎖いたしましたからすぐに見つかります。賊どもはそう遠くには行ってないでしょう。おそらくまだ、王宮のどこかに隠れているはずです」
「でも!」
カイエは気が気でならない。
こうしている間にも姉の身になにかあったらと思うといてもたってもいられなかった。
「大丈夫です殿下。我が魔道士団の探査士は王宮の庭の隅に潜む野ネズミの位置ですら正確に探し出します……『精査』の術の効果は殿下もよくご存知でしょう?」
駆けつけたラドリがカイエを宥めた。
『精査』は治癒系の術士が得意とする探査術だ。
半径十キロ以内のターゲットを簡単に探し出す。熟練者は砂漠に落ちた小さな一本の針を探し当てることもできる。
白いローブを纏った四人の術士がそれぞれ東西南北に向かって両手を広げ、目を閉じ、耳を澄ませている。
「女官たちの何人かが行方不明です!」
「食糧倉庫から高級酒がごっそりとなくなっていると厨房から連絡が!」
報告が次々エフィの元に入る。いろいろな事件が同時に起こっているのだ。
どれも祭りの混乱に乗じて起きている。
タチバナ侍従長がふらふらとしながらやってきた。
「タチバナ!怪我は大丈夫か?」
カイエが心配そうに言った。
「まだ、少し痛みますが大丈夫です……それより殿下。申し訳ありませんでした。私がついていながら」
侍従長は申し訳なさそうにうつむいた。
「父上、賊はどんな感じの男たちでしたか?」
エフィが尋ねた。
「いきなり、渡り廊下の植え込みの影から現れた。指示をしていた大柄な男は、赤毛で耳が片方なかった……」
「……赤毛で耳が片方ない……ニーノ・ガッホ……『赤鷲』か!」
「犯人を知ってるのか?エフィ!誰だ?どんな奴だ!」
カイエはエフィに詰め寄った。
「はい、殿下。有名な高額賞金首の男ですよ。……ちょっと厄介な相手だな」
なにやら考え込んでいた侍従長がつぶやいた。
「しかし、我々が襲われた渡り廊下は大庭園からも遠く、周囲は近衛兵が固めていて、不審者など入る隙間などなかったのに……」
「父上、ひょっとしたら内通者がいたのかもしれません。正面以外から渡り廊下に行くルートがありますよね……」
うつむいて考え込んでいた侍従長がハッとした表情で顔を上げた。
「そうか!中庭を経由して侍従通用口を通れば……」
侍従長の顔がみるみる青くなる。
「なんということだ!私の部下から内通者が出たというのか」
「可能性はあります。食品や衣料品の納入を装えば集団で入ることは可能でしょう?」
「そういえば、今日の祭りの為の食料品の納入があり、大庭園がいっぱいだから荷馬車を十台だけ、王宮の中庭に搬入させて欲しいと許可を求めてきた者が……」
「父上!それだ。その荷馬車の中に隠れていたに違いない」
「しかし、荷物の積み荷の確認は必ずしているはず」
侍従長は困惑している。
「父上自ら荷馬車の積み荷の確認をしたわけではないでしょう?」
「そうだ。だが、担当者が隅々まで……あっ!」
侍従長は口を押さえた。
「ラワン……スカーノ・ラワンか……あの男が……まさか……」
「タチバナ師団長!セリア姫の居所がわかりました!」
一人の探査術士が大声を上げた。
「どこだ!」
「宝物殿の地下です!」
「わかった!みな至急宝物殿に向かえ!」
エフィの指示で近衛兵と魔道士団は宝物殿に急ぎ向かった。
自分の部下より裏切り者が出たというショックで呆然としている父親にエフィは元気づけるように言った。
「姫は無事に救い出してきます。ラワンの処分は父上に任せますよ」
「ああ……私は責任を取らねばならない。こちらのことは任せておけ」
侍従長はかすれた声で、それでも気丈に答えた。
「殿下!宝物殿へ急ぎましょう」
「行こう、エフィ!」
エフィは颯爽と愛馬に飛び乗る。カイエも馬を借りて後に続く。
「待ってください!わたくしも連れて行って」
「イーラ様!」
回復したイーラがそこにいた。
「いけません!竜巫女様を危険な目にあわせるなどできません」
エフィの制止に怯むことなく、イーラは言った。
「今日は安息日。わたくしが自由に過ごせる日ですのよ?それに、わたくし、あの無礼者にどうしても言ってやらねばならないことがありますから」
「しかし……」
「近衛師団長殿?竜王の代理人である竜巫女の言うことを聞けないのかしら?」
「……わかりました。しかし充分にお気をつけください」
「ええ、あなたたちに決して迷惑はかけませんわ」
イーラは、外見の年齢からは想像のつかない身軽さで優雅にエフィの後ろに乗った。
「さあ、参りましょう」
「お宝は頂いた。姫も手に入った。竜巫女があんなババアだったとは予想はずれだったが、まあいい……あとはこの地下でラワンが来るのを待つだけだ」
ニーノは満面の笑みを浮かべていた。
宝物殿の奥には秘密の地下がある。ここは有事の際に国宝を避難させる隠し部屋で、国宝を管理する内務省の管理下にあるが、実質の管理は侍従部が行っている。
そして、その存在を知るのは一部の侍従のみだった。
「しかし、宝物殿の地下にこんな隠し部屋があったとは……王宮の侍従の中でも限られた者しか知らない場所……ここに隠れていて、あとは行きと同じく荷馬車に隠れて運び出されるゴミと一緒に外に出れば完璧ですね。親分」
「まったくだ。間抜けな王宮の近衛兵どももさすがに我々がまだここにいるとは思いもよらんだろうさ」
三十人の男たちのうちの半数以上は祭りで騒ぐ国民達に紛れ込ませ、酒や女、高級食料品などの強奪に当たらせた。
後ほどアジトで落ちあう手はずだ。ここにいるのは十人に満たない。
「しかし、素晴らしい宝ばかりだな……さすが王宮だ。皆見てみろ、これがミヅキの国宝『竜眼の剣』だ」
ニーノは目の前にあった高価そうな一本の剣を手にとって振り上げた。
ミヅキ国宝である『竜眼の剣』は巨大な紫水晶から削りだした透明度の高い紫色に光る剣で、国王の戴冠式の時にだけ使用される。剣の柄に彫り込まれた竜王アヴィエールの姿を模した竜の目の部分にはこの世に二つとないと言われるほどの巨大な青金剛石がふたつはめ込まれている。
「おやめなさい!国宝に汚い手で触れてはなりません!」
気絶していたセリアが目を覚ましたようだ。
「お。お姫様がお目覚めのようだ」
ニーノがにやにやしながらセリアに近づいた。
「わたくしに近寄らないで!無礼者!」
「お高くとまりやがって。何を言ってるんだ?お前は俺のものになるんだよ!たった今からな!」
言うなりニーノはセリアが纏っていた絹のショールをビリビリと引き裂き、押し倒した。
「きゃぁっ!」
「お。はじまったな。お姫様の堕ちる様子をじっくり見学させてもらおうぜ」
男たちがにやにやしながらニーノとセリアの周りを取り囲んだ。
「お前らにもあとでたっぷり楽しませてやる。向こうには攫ってきた女どもも何人かいるからな」
地下室の奥にはもう一部屋あり、そこにはセリアと同じく攫われた宮殿の美しい女官たちが閉じ込められていた。
「いやぁぁぁーっ!」
悲鳴をあげるセリアの頰をニーノは何度か平手で打つ。
「大人しくしろ!」
しかし、頰を打たれてもセリアは気丈に耐え、ニーノを睨みつける。
「それ以上わたくしに触れたら舌を噛みます!」
「気の強い姫様だ……そういうのは嫌いじゃないぜ……でも、舌を噛まれちゃ困る」
ニーノが男の一人に合図すると、男は破り捨てられたセリアのショールを彼女の口に無理やり押し込んだ。
「これで舌は噛めねえよ。観念しな」
ニーノはセリアに覆い被さり、薄いドレスの胸元を力任せに引き裂いた。白い肩と胸が男たちの目の前に晒された。
「おおーっ!」
男たちからどよめきの声が起きる。
「んんーっ!」
セリアはあまりの屈辱に涙を流し、頭をふったり、足をバタつかせたりして激しく抵抗した。
しかし、腕も足もニーノの巨大な体にがっちりと押さえつけられ全く身動きが取れない。
「おとなしくしてりゃ乱暴にはしねえよ。その綺麗な顔と体に消えない傷をつけられたくなけりゃ、じっとしてろ」
ニーノはセリアの耳元に湿った吐息を吹きかける。セリアは絶望に気を失いそうになるが、必死に抵抗を続けた。
「さあ……お楽しみの時間だ」
ニーノがセリアに口付けようとしたまさにその時だった。
外がにわかに騒がしくなった。
「なんだ?これからって時に!」
「竜の翼よ!わたくしの欲するものをこの手に!」
イーラの声が響いた。
その瞬間、ニーノが組み敷いていたセリアの体が淡く銀色に輝きだしたかと思うと、ふっとかき消されるように消えた。
「え?」
何が起こったのか、ニーノは一瞬混乱する。
振り返るとそこにはエフィ、カイエ、イーラ、その後に続くように近衛兵や魔道士たちがいた。
エフィの腕には気を失ったセリアが抱かれている。
「お前のしわざか!ババア!」
「この痴れ者め!また、わたくしを侮辱しましたね」
明らかな怒りの表情を浮かべたイーラが前に進み出た。
制止しようとするエフィにイーラは言った。
「大丈夫よ。わたくしに任せて頂戴」
そう言うとイーラはニーノを睨みつけた。
「竜巫女を侮辱し、王女を汚そうとする不届き者!竜王の罰を受けるが良い!」
イーラの瞳が銀色に輝き、髪が逆立つように舞い上がった。
「鋭き竜の尾よ!打ち据えよ!」
イーラがその手に持った竜を模った錫杖をニーノの方に向けると、錫杖からは純白の光が溢れ、細い光線が描き出された。
そして、光線はまるで鞭のようにしなり、ニーノを激しく打ち据えた。
「うぎゃっ!」
相当な衝撃があったらしく、ニーノは打たれた肩を押さえている。
「こ……この……よくもやりやがったなクソババア!」
「何ですって!まだ打たれたりないの?」
イーラは容赦なく何度も光の鞭でニーノを叩く。
さすがのニーノもあまりの痛みに膝をつき、体制を崩す。
「親分を助けろ!」
「今だ!かかれ!」
ニーノの手下たちと、近衛師団が衝突したのはほぼ同時だった。
セリアとイーラの前には白いローブの防御術士が護るように防御結界を張っている。
エフィはニーノの前に飛び出した。
「……やはり現れたか飛燕。お前を倒せば俺もちったぁ有名人になれる」
「そう簡単にお前を有名人にはさせないさ」
二人は激しく剣を撃ち合わせた。
さすがに、各国の指名手配を掻い潜ってきた男だ。そう簡単には倒せなかった。
力任せに剣を振り下ろしてくるニーノとは対照的に、エフィの身のこなしはその異名が現すとおり、ニーノの攻撃を優雅にかわす。そして的確に鋭く、攻撃を返す。
その剣さばきの早さたるや飛燕の名に何ら恥じることなく、ぶつかり合う火花は流れ飛ぶ流星のよう。ニーノは防ぐのがやっとだった。
「俺は知ってるんだぜ……飛燕」
ニーノは息を荒くしながら言った。
「なんだ」
「お前に、その異名を与えた男が今、どこでどうしているのかを俺は知ってる」
その言葉を聞いた瞬間、エフィの攻撃が一瞬止まった。
彼の脳裏にある男の姿が浮かび上がった。
飛燕という名で自分を呼んだ男。
かつての親友。
かつてのライバル。
そして………。
「もらった!」
ニーノはにやりと笑ってエフィの剣を叩き落した。
「エフィ!しっかりして!」
それに気付いたカイエが叫んだ。
「くたばれ!飛燕」
ニーノがエフィに一撃を入れようとしたところにカイエが割り込んだ。
「早く剣を!エフィ」
「こわっぱが!」
ニーノは今度はカイエに切りかかる。
エフィが剣を拾って反撃しようとしたその時だった。
「おまえら!静かにしろ!こっちには人質と国宝があるんだ!」
声を上げたのはピノだった
ピノは竜眼の剣を左手に、右腕には一人の女官を押さえ込んでいる。
「マリカ!」
「殿下!」
カイエが声を上げた。
カイエ付きの女官のマリカ・セリだ。彼女も捕まっていたのだ。
全員の動きが止まった。
「親分を放して皆出て行け!でなきゃ人質の女どもは殺す!国宝も叩き壊す!」
「ピノ……よくやった」
ニーノがカイエを振り切ってピノの隣へ逃げ込む。
「しまった……」
エフィは悔しそうに眉を寄せたのだった。