10.「絆は再び」
●【10.「絆は再び」】
「……陛下……なぜ、ここに?」
ミーサは信じられないという表情で呆然としていた。
「いろいろあって今は単独行動だ」
「陛下……お役に立てなくて申し訳ありません。私……」
ミーサはその場にいきなりひれ伏し、頭を床に擦り付けた。
「陛下からお預かりした大事な手紙を失ってしまいました……私のせいで……私のせいで……」
「顔をあげて、ミーサ。お前のせいじゃないから」
エーレウスはミーサの前にかがみこんだ。
「でも……」
その時だった。
「ミーサお姉ちゃん?」
奥の部屋からジョアンの声が聞こえた。
「ジョアンだわ」
ミーサは慌てて立ち上がった。その表情には焦りの色が見える。
いきなりの状況の急変に対応できない様子だった。
「陛下。どうしましょう……」
ミーサはおろおろしている。
「とにかく話はあとだミーサ。それから今は俺を陛下とは呼ばないでくれ」
エーレウスは口に手を当てて「静かに」というポーズをとった。
「でも……」
「頼む」
状況を察したミーサはこくりとうなづいた。
「いいか?今から俺のことは普通にエーレと呼んでくれ。ごく自然に。友人に呼びかけるように」
「そんな……」
ミーサは困ったような顔をした。
「状況が状況だ。わかってくれ」
ミーサは困惑した様子だった。しかし、
「わかりました。では、しばらくのご無礼をお許しください」
そう言うと、まるで自分を落ち着かせるように深く深呼吸をした。
「ミーサ姉ちゃん!誰かきたの?」
部屋の奥からジョアンが出てきた。そして、戸口の前にいるフェリシダドを見て目を輝かせた。
「ジョヴィネおばさん!来てくれたんだ」
「こんにちわ。ジョアン」
フェリシダドは目を細め、ジョアンに微笑みかけた。
「ここで私と一緒にお世話になってるジョアンよ。ジョアン、こちらはエーレ。私のお友達」
ミーサはジョアンにエーレウスを紹介した。
「あ……はじめまして」
礼儀正しくお辞儀をしたジョアンに、エーレウスは低くて小さな声で「どうも」とだけ言って軽く会釈をした。
もともとぶっきらぼうで愛想の悪いエーレウスのこの態度は、ジョアンを少し怖がらせてしまったようだ。
「……ねえ、僕なんかヘンなことしたのかな?」
ジョアンはミーサに小声で耳打ちをした。
「気にしないで……もともとああいう人なの」
ミーサは少し焦ったが、ジョアンはそれで納得したのかほっとした顔をした。
一方、エーレウスの方も違和感を感じていた。
王宮暮らしが長いエーレウスの行動は、庶民にはどことなく妙な印象を与える。エーレウス自身、それを察したのか、自分の取った行動が妙だったかと心配になり、複雑な表情を見せた。
なんともいえぬ空気が流れた。
気を回したミーサが慌てて助け舟を出した。
「あっ……あのね、ジョアン。エーレはね、私がホムルにいたときのお友達なの」
「そ……そうなんだ」
ミーサがジョアンと話している間、エーレウスはジョアンとフェリシダドの顔を横目で見ながら何度か見比べていた。
ジョアンは確かに、どことなくフェリシダドの面影を持っていた。
ジョアンはジョアンでエーレウスとフェリシダドの顔をこっそり見比べていた。
ホムル人のエーレウスがフェリシダドと一緒にやってきたことをジョアンは複雑な気分で見ていたのだ。
この人はジョヴィネおばさんの息子なのだろうかと思いつつ、あまり似ていない二人を何度も見比べていた。
そして、意を決したようにジョアンは疑問をエーレウスにぶつけた。
「エーレは……ジョヴィネおばさんの子供?」
「違う。まあ、フェリシダドは俺の母さんみたいなものだけど、残念ながら俺は本当の息子じゃない」
エーレウスはわざとフェリシダドの名前を言った。
エーレウスが振り返るとフェリシダドの表情は硬かった。
「そうだよな?フェリシダド」
エーレウスは念を押すようにフェリシダドに言った。
「…………ええ……」
フェリシダドは観念したような表情だった。
「……フェリシダド……」
ジョアンはその名を聞いてはっとした。
「フェリシダド…………僕のお母さんと同じ名前だ……ジョヴィネおばさんの名前は……フェリシダド……?」
フェリシダドは少し目を伏せていたが、ゆっくりとうなづいた。
「私の名前はフェリシダド・ジョヴィネ・ナズナ……」
ジョアンの目が見開かれる。
何が起こったのかわからないという表情だった。
「……お母さん?……本当にお母さんなの?」
ジョアンの顔がみるみる歪んでいく。
大きな丸い瞳には大粒の涙があふれ始める。
「あなたの背中には生まれつき大きなほくろがあったわ。ジョアン……お父さんと同じ場所にね……」
母親でなければ知りえない情報だった。
「……ジョアン……私を許して」
フェリシダドは目にいっぱい涙をためていた。
この人がお母さん。
ジョアンが夢にまで見た母親が目の前にいた。
自分と同じ美しい黒髪。
優しげな目と、柔らかな声。
初めて出会ったときから、理由もなく妙に惹かれたのはなぜかとジョアンは考えていた。
この人が母親だったらいいのにという、淡い希望すら抱いていた。
ジョアンは無意識のうちに、フェリシダドに懐かしい母親の匂いを見出していた。
「お母さん……」
ジョアンはフェリシダドの胸に飛び込んだ。
「逢いたかった……ずっと逢いたかった」
ジョアンはフェリシダドにすがりながら大声を上げて泣いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ジョアン……」
フェリシダドも泣きながら息子を強く抱きしめた。
もう、決してこの子を離さない。
心にそう誓いながら。
「いったい何の騒ぎだ?」
騒ぎを聞きつけてやってきたホルガとラルフは不思議そうな表情で目の前の光景を見た。
「どういうことなのだか私にはわからない……説明してもらえませんかな」
ホルガ医師は困惑の表情のままそう言った。
「……なるほど。大体の事情はわかりました」
ホルガ医師は納得したのか何度も首を縦に振った。
「つまりはフェリシダドさんはジョアンの母親だったと」
「はい。十二年前に私が泣く泣く手放したたった一人の息子です」
「そうですか……奇妙なめぐり合わせとはいえ、我々はあなたを歓迎します。どうかジョアンと一緒にいてあげてください」
ホルガ医師は優しげな笑みを浮かべ、自分の隣に座ったジョアンの頭を撫でた。
「よかったな、ジョアン。今までの分もお母さんに甘えるといい」
ジョアンは照れくさそうにうつむく。
「ところで、そちらの君はミーサの知りあいだとか」
ラルフがエーレウスに訊ねた。
「はい」
ラルフはエーレウスをじっと見ていたが、ずりおちる眼鏡をクイと指先で持ち上げながらこう言った。
「……ミーサが無くした手紙の持ち主……あなたがミーサの主ですね?」
ミーサははっとした表情でラルフを見た。エーレウスは凍りついた。
「なんのことだ?」
エーレウスは僅かに表情を固くする。
「ラルフ。この人は違うの!ホムルの下町に居た頃の知り合いで……」
「ミーサ。私に嘘をついてはいけないよ」
ラルフは困ったような顔でミーサをたしなめた。
「……ホムル国王、エーレウス・フィリス・デラ・ホムル陛下でいらっしゃいますね?」
エーレウスは答えなかった。
「私は患者の招きでホムルに滞在していたことがあります。戴冠式であなたのお姿をみているんですよ……陛下」
ミーサは両手を口元に当てて息を呑み、フェリシダドは険しい表情をした。
そんな中、エーレウスは表情ひとつ変えなかった。
「俺がホムル国王だとしたらどうなんだ?」
「さあ、どうしましょうか?」
ラルフは飄々と言った。
「おい、せがれや……いったいどうなってるんだ?私には何のことやらわからんよ」
ホルガ医師は事態を把握していないようだった。
「ミーサを馬車ではねたのは私です。もちろん、彼女を治療したのも私です。そして、私はミーサからおおよその事情を聞いています……陛下。我がミヅキ国王にどのような手紙を出そうとしたのです?そして、陛下はなぜ今、ここにいらっしゃるのです?戦を起こしたのはあなたの命令ではなかったのですか?陛下」
「違う!」
エーレウスは立ち上がった。
「やはり国王陛下でしたか……わかりやすい方だ。ミーサに聞いたとおりの印象でしたね……」
ラルフは小さく息をついて、また眼鏡をずりあげた。
「ラルフ……なぜこの人が陛下とわかったの?」
ミーサがおそるおそる聞いた。
「確信はなかったんです。でも、直感でした。この人の持つ雰囲気は、ミーサ、君が話してくれた君の主の印象と似ている気がしたんです」
「印象?」
ミーサはきょとんとした顔をした。
「ミーサ、君は僕に言ってたでしょう?『私の主である陛下は冷静そうに見えて、実はなかなか熱くなりやすい。私も側でお仕えするまでわからなかったけど、無表情に見えて実は表情豊かだ』とね」
「ラルフ……そんなことを覚えてたの?」
ミーサはばつが悪くなって顔を赤らめた。
「そういう人ならたぶん、気にしていることをずばり言えばすぐ反応するだろうと思ったんですよ。勘がはずれたら笑ってごまかそうと思ってましたけどね」
「ラルフ……人が悪いわ」
ミーサは少し不機嫌そうだ。
「せがれはやたら物覚えがいい上に、妙に勘がいいんだよ」
ホルガが苦笑しながら言った。
「さて、陛下……この戦はなぜ起こったのです?私はそれを知りたい」
ラルフはエーレウスをじっと見据えて言った。
「あれは伯父上が仕組んだことだ。俺はそれを止めにきた」
「止めにいらしたと?」
「そうだ」
「ではなぜ戦火は広がっているのです?陛下は国王だ。陛下のお力を持ってして、戦が止められぬはずがない」
ラルフの表情は穏やかだったが、目は笑っていなかった。
「陥れられたんだ……恥ずかしい話だが、伯父上は用意周到だった。俺は、愚かだった」
「ふむ……詳しくお聞きしたいものですね」
話を聞いたラルフはエーレウスに言った。
「愚かですね。確かに」
「ラルフ!陛下になんてことを……」
ミーサが何か言いかけようとしたのをエーレウスは止めた。
「いいんだ。ラルフの言うことは正しい。俺のいい加減さや甘さがこの事態を招いた。すべて俺の責任だ」
「責任を被るだけではこの戦は終わらないし、犠牲者も犬死です」
ラルフの言葉は容赦がなかった。
「うん。わかってる。だから、俺は自分の命に換えてもこの戦を終わらせにきた……責任を取りにきた」
「それがどういうことかおわかりですか?陛下」
「わかっている」
「そうですか……」
次の瞬間、ラルフはにっこりと笑った。
「そのお言葉を聞いて安心しました。さあ、陛下。さらに詳しくお話をお聞きしましょう。私どもが何か陛下のお役にたてるかもしれません」




