9.「大切なもの」
●【9.「大切なもの」】
「ここでいいの?」
「ええ。本当にありがとう。いろいろとお世話になってしまったわね」
ジョアンとロップはフェリシダドの馬車の近くまで荷物を運んでくれた。
「ねえ、ジョヴィネおばさんはまだこの街に居る?」
ジョアンはちょっと言いにくそうにフェリシダドに聞いた。
「……たぶんね。でもどうして?」
「いや……聞いてみただけなんだけど」
慌てたようにジョアンは言う。
「いろいろあって、まだしばらくいると思うわ。戦の状況次第だけど。あなたたちは避難しなくていいの?」
「僕らはホルガ先生のお手伝いをするから、最後までここにいるつもり」
「そう……偉いわね。でも、危なくなったら避難しなければだめよ」
「うん」
ジョアンは大きくうなづいた。
「ねえ、ジョヴィネおばさん。今度僕らのいる診療所に遊びにきてよ。ホルガ先生もラルフ先生もとっても優しいよ。ミーサもいるし」
「ミーサ?」
どこかで聞いた名だとフェリシダドは思った。
「うん。ペタの街で大怪我してたのを僕らが助けたんだ。本当はオルステインの人なんだけどホムルで奴隷にされてた可哀想な人なんだよ。でもね、とても綺麗なお姉ちゃんで、歌がとても上手いんだ」
「そう……では、今日のお礼もかねて一度寄らせてもらうわね」
「きっとだよ」
「ええ」
いつまでも手を振るフェリシダドの方を何度も振り返りながらジョアンはうきうきした様子で歩いた。
そんなジョアンを見てロップが不思議そうに訊ねた。
「ジョアン。いやに嬉しそうだね」
「うん……なんだか妙な感じなんだけど、僕あのおばさんのことがなんだか好きみたい」
「どういうこと?」
「僕のお母さん、あんな感じの人なんじゃないかな……ってそんな気がしてならないんだ。出会ったばかりなのに、なんだかすごく不思議に懐かしい感じがする」
「ふーん」
ロップはもう一度だけ振り返って遠目にフェリシダドを見た。
「案外ジョアンの本当のお母さんだったりしてね」
「え?」
「……なんだか、少しジョアンに似ているような気がする」
「本当?」
ジョアンの顔色が明るくなる。
「なんとなく……だけどさ」
「ジョヴィネおばさんがお母さんだったらいいのにな……」
「そう上手くはいかないさ」
「そうだね……そうだよね」
「遅かったね、フェリシダド」
「ちょっといろいろあって遅くなっちゃったわ……心配かけてごめんなさいね、エーレ。果物を買ってきたわ。さあ、おあがりなさい」
フェリシダドはエーレウスに林檎を差し出した。
「うん……ありがとう。フェリシダド」
「いいのよ。さあ、着替えもあるわよ。食べたら着替えてね」
フェリシダドは今度は着替えを取り出してエーレウスの前に置いた。
「……フェリシダド。なにかあった?」
エーレウスはフェリシダドの妙な落ち着きのなさを不審に思ったようだ。
「……なんでもないわ」
「うそだ。フェリシダドは嘘をついてる。俺にはわかるぞ」
エーレウスは妙に勘が鋭いところがある。
そして、フェリシダドは嘘をつくのが下手だった。
「……エーレの目はごまかせないようね」
「何があった?差支えがなければ教えて欲しい」
フェリシダドの話を聞いたエーレウスは少しむっとした顔をしていた。
「どうして本当の母親だと言わないんだ」
「無理よエーレ……いまさら言えやしないわ」
「なぜだ?本当の息子に逢えたんだろ?」
「それはそうだけど」
フェリシダドはエーレウスから視線をそらす。
「俺はそのジョアンって子の気持ちがわかる。俺がジョアンなら絶対にお母さんに会いたい。それがどんな事情だって関係ない。逢いたいんだ……何をおいても」
「エーレ」
エーレウスもまた、本当の母親から引き離された身だった。
「フェリシダド。いつも俺に言うじゃないか。自分の心に正直でいたほうがいいって」
「……それはそうだけど」
エーレウスの瞳がまっすぐにフェリシダドを見据える。
まるで、心の奥を射抜かれるようで、フェリシダドは戸惑っていた。
「ジョアンって子に逢いなよ。フェリシダド」
「でも……いろいろあるのよ……」
「だめだ!そんなんじゃ」
エーレウスはフェリシダドの手をぎゅっと掴んだ。
「大人のいろんな事情なんか関係ない!逢いたいか逢いたくないかそれだけだろ?フェリシダドはジョアンにもう一度逢いたいのか?そうじゃないのか?」
「でも……私はあの子を捨てたのよ……どんな事情があったにせよこれは許されることではないわ」
「そんなことない!」
エーレウスは叫んだ。
「フェリシダドにとって、ジョアンは大事な子供だろう?大事なものをそんなに簡単に手放せるのか?」
「手放せるわけないじゃないの!あの子は私の命……離れていても、一日足りとも忘れた事などなかったわ……でも、だめなのよ……私はあの子を捨てた……許されないわ」
「そんなことない……フェリシダド……。一度手放したとはいえ、やっぱりフェリシダドにとっては大切な子供なんだろう?だったら、今度は二度と離さなければいいじゃないか。また逢えたってことは、そういうことなんだよきっと!もう絶対に離しちゃいけないんだよ!」
「……エーレ」
「大事なチャンスをまた手放すのか?今度こそもう逢えないかもしれないんだよ?それでもいいのか?逢いたくないのか?」
「…………逢いたいわよ……だって……」
フェリシダドの頬を大粒の涙が流れた。
「お腹を痛めて生んだ最愛の子供よ……別れるときどれだけつらかったか……」
「だったら逢ってよ!」
エーレウスは訴えかけるような顔でフェリシダドを見る。
「俺の母は俺に会いたいと願いつつもそれが叶わなくてたった一人で死んでしまった!俺だって母上にどれだけ会いたいと願ったか……だけど、死んでしまった!もう、逢いたくたって逢えないんだ」
フェリシダドははっとした。
エーレウスがここまで感情を剥き出しにして激しく大声をあげることなどめったに無い。母親に似ているからとエーレウスに慕われつづけた自分だって、結局はエーレウスの本当の母親になることは絶対にできないのだ。
本当の母親との別れがどれだけつらいか、その無念さがいかほどのものかをエーレウスは知っているのだ。
「逢えるなら逢って欲しい……俺のような気持ちを、そのジョアンって子に味あわさないでくれ……お願いだ……フェリシダド……」
エーレウスの声はだんだん小さくなり、最後にはすっかりうなだれ、俯いてしまった。
「……ごめんなさい……エーレ……」
フェリシダドはエーレウスの頭をそっと撫でた。
「私……逢いに行くわ」
「……うん」
エーレウスは俯いたままうなづいた。
「ありがとうね。エーレ……このままだと私、もっと後悔するかもしれなかった」
エーレウスは顔をあげた。
「いいんだ……フェリシダド、ジョアンにはどこに行けば会えるんだ?」
「中央診療所よ。ホルガっていう医師とその息子のラルフという人の手伝いをして暮らしていると言っていたわ……ああ、それと他にミーサという女の子がいるみたい……でも、どっかで聞いたような名前なのよね……どこで聞いたのかしら……」
「ミーサ?今、ミーサと言ったか?」
「ええ。そうだけど」
エーレウスの表情が変わった。
「もしかしたら行方不明になっているカイエ付きだった侍女のミーサかもしれない……。オルステイン人の娘で、もともとは奴隷の身分だったが、カイエが居なくなったあとは俺の側においてたんだ。宣戦布告の少し前にカイエ宛の手紙を持たせてミヅキへやったんだが、行方不明になっていて……」
どうりで聞いたことのある名前だとフェリシダドは納得した。
そういうことなら、エーレウスの口からミーサという娘の名を一度ぐらいは耳にしているはずだ。
「もしかしたらその子かもしれないわよ」
「本当か?」
「ええ。オルステイン人で、奴隷にされていた娘だと言っていたわ。それで、ペタで大怪我をしていたところをジョアンたちが助けたって言ってたから」
「間違いない。それはミーサだ!フェリシダド。その診療所に行ってみよう」
「そうね。何か進展があるかもしれないわね」
翌日の早朝、フェリシダドはエーレウスを連れて、中央診療所の扉を叩いた。
「はい!今開けますね」
高めの少女の声が扉の向こうから聞こえ、扉がすぐに開いた。
「……ミーサ……やっぱりミーサだったか……」
「…………陛下」
ミーサは信じられないという顔をして、その場で立ち尽くしていた。




