6.「憂い」
●【6.「憂い」】
エフィの目が醒めたのは三日後だった。
トト街道で警備隊によって発見されたエフィはすぐさまトトへ運ばれ、手厚い看護を受けた。
寒さと衰弱で三昼夜を眠りつづけた彼は目を覚ましたとき、記憶の一部を失っていた。
なぜ、自分があそこで倒れていたのかを彼は全く覚えていなかった。
彼はその後すぐ、アヴェリアの病院へと移った。
知らせを受けて駆けつけたカイエはエフィの身を心配したが、体が少し衰弱していた以外、怪我ひとつ負っていない状態のエフィは、心配するカイエに「安心してください」と笑顔を向けた。
「明日には退院できるそうです。こんな大事な時にご心配かけてすみませんでした。陛下」
「無理しないでくれ。エフィ」
「わかっています」
カイエはちょっとほっとしたような顔をする。
「ところで陛下。状況はどうですか?」
「避難を希望する民間人は、全員無事にトトへと逃れたよ。一部の者は自主的に残っているが、それでもいよいよ危なくなったらまた、エフィに護衛をお願いするつもりだ」
「はい陛下。ホムルの動きのほうはいかがですか?」
カイエの表情が少し暗くなる。あまりいい状況ではないのだろう。
「正直に言おう。ホムル軍は現在、完全にアヴェリアを包囲している」
「なんということだ……」
エフィは拳を握り締める。
「いつ攻撃が始まってもおかしくない緊張状態が続いている。で……でも、大丈夫だ。まだ、なんとかなる」
カイエの言葉が一瞬だけ詰まったのをエフィは見逃さなかった。
実際のところはもっと悪い状況だろう。長年の付き合いで、カイエが隠し事をしているかどうかぐらいエフィにはお見通しだ。
自分を心配させまいと、比較的楽観的に聞こえるように言葉を選んでいることがありありとわかる。
「そうですか……」
「うん」
エフィはいたたまれなかった。
なんとかして、カイエとこの国を守り通したい。
エフィはこの時、心の底からそう誓った。
「陛下……いざという時にはかならず私がお守りしますから」
「ありがとう。その言葉だけで充分だ」
エーレウスはもう、ずっと馬車の荷台に閉じこもったままだった。
頭からフードをすっぽりと被り、肌の露出が殆どないミヅキの衣装を身に着けていた。
目立つ髪さえ隠せばよほどのことがなければこの方が目立たないのだとフェリシダドが薦めたものだった。
今、エーレウスはアヴェリアの街門をくぐった所だ。
ジャラクを出て三日。
フェリシダドの言いつけどおり、エーレウスはアヴェリアに近づいてからはずっと馬車の中にいた。
フェリシダドはもともとこの国で長く暮らしていたため、街門の通行証を持っていた。
どこからみてもホムル人のフェリシダドだが、街門の通行証はミヅキの国民の証でもあった。国交断絶の前にホムルからミヅキへ嫁いだ者は少なくない。
「何かの役に立てば」と昔使っていた通行証を持っていたのが幸いした。
━━━━━━━ アヴェリア。
逢いたくてたまらない親友のいる街。
しかし、今のエーレウスの心の中にはいろいろな想いが複雑に交じり合っていた。
ペタを出てからの二人がジャラクに入ったのは、総攻撃が終わった直後だった。
戦闘の混乱に乗じる形になったが、フェリシダドとエーレウスは戦場と化したジャラクの街をひっそりと移動しながら、ホムル軍の非道な行いに憤慨していた。
「なんてことだ……」
エーレウスはジャラクの惨状を見て愕然としていた。
もう、取り返しがつかない状態だった。
ジャラクの街は焼け野原で、人の姿はほとんど無かった。
放置された無残な遺体が異臭を放ち、生きている者はうつろな目で力なく瓦礫によりかかって天を仰ぎ見ていた。
「なんてひどい……ジャラクは美しい街だったのに……こんなことになるなんて」
フェリシダドは涙をこぼした。
「すまない……」
「……エーレのせいじゃないわ……」
そう言いながらもフェリシダドの涙は止まることが無かった。
「……ああ、これは私がよく通っていたお店の看板だわ……」
焼け落ちた建物の側に落ちていた割れた看板を見つけたフェリシダドはそれを拾い上げ、そっと手で埃を払った。
「間違いない……『緑のめぐみ亭』だわ……こんなになってしまって」
つらそうな顔をするエーレウスに向かってフェリシダドはかなり無理のある笑顔を向けた。
「このお店はね……そう、野菜料理が美味しかったのよ……女主人のエリシアとは仲がよかった……私がホーザで出していた料理のレシピの半分ぐらいは彼女に習ったのよ……」
瓦礫になった店の残骸を見ながらフェリシダドは声を震わせる。
「……卵ときのこのパイ……じゃがいものスープ……鶏肉と玉葱の煮込み……そうそう、焼きりんごもね……本当に美味しかった……ええ、エリシアの作るものはどれでも…………ごめんなさい……」
ついに我慢ができなくなったのか、フェリシダドはその場にしゃがみこんで嗚咽を上げ始めた。
「フェリシダド……」
「エーレのせいじゃない……エーレのせいじゃないの……でも…………でも……ああ……どうしてこんなことに……エリシア…………エリシア……どうか無事でいて……」
「すまない……僕が伯父上を止められなかったばかりに」
「……エーレのせいじゃないと言ってるじゃないの……」
顔を上げたフェリシダドはうつむいているエーレウスを抱きしめた。
暖かなしずくがエーレウスの肩にかかった。
「エーレのせいじゃないわ……でも、ごめんなさい……少しだけ、泣いてもいい?」
「うん」
エーレウスはフェリシダドを救えない自分を情けなく思っていた。
すべては自分のせいだ。
自分は伯父の暴走を止められなかった。
それだけじゃない。伯父がああなるまで気づかなかった。
エーレウスはそんな自分がどうしても許せなかった。
母のように、いや、母以上に慕ってきた大事な人をこんなにも悲しませた戦。
そして、その原因を作った自分。
フェリシダドの悲しみを救えるなら、剣で百万回貫かれたってかまわないとすら思っている。
母の代わりに、いや、それ以上にこの人にはしあわせになって欲しかったのに。
この戦だけは必ず自分自身の手で終わらせなければならない……とエーレウスは改めて思った。
「アヴェリアに行きましょう。エーレ」
エーレウスを抱きしめたまま、フェリシダドは言った。
「きっと、つらいわ……それでもいいの?」
「うん」
「アヴェリアにはカイエがいるわ」
「うん」
「場合によっては……」
その先をフェリシダドは言わなかった。
だが、エーレウスにはわかっていた。だから、こう答えた。
「わかってる。最後は俺がちゃんと責任を取るよ」
もともとアヴェリアで暮らしていたフェリシダドは、抜け道や回り道をよく知っており、できるだけ人目につかぬ道を選んでジャラクからさらに北上を続けた。
途中、何人もの難民に出会った。
しかし、どの人も無口で、ただ、北へ向かって歩いていた。
「ねえ、フェリシダド」
馬車の中から、御者席のフェリシダドに向かってエーレウスは話し掛けた。
「なあに?」
「もし……もし今……俺が死んだら…………どうする?」
「……えっ?」
フェリシダドの声が、一瞬だけびくりと震えた。
「今もしも、エーレが死んだら?」
「うん」
「……ありえないわ」
「え?」
「エーレが今死ぬなんて思えない。エーレはまだまだ生きなきゃいけないもの」
「でも……」
「確かに人間はいつ死ぬかはわからないわ」
フェリシダドはそう言って、小さな吐息をついた。
「でもね、エーレ……生き急いではだめよ……いくら戦が終わっても、エーレが死んだら私はずっと悲しいわ……エーレは何があっても必ず生き延びてほしい」
「……フェリシダド」
フェリシダドは不吉な予感を感じていた。
この子は死ぬ気だ。
命と引き換えにしてもこの悲惨な戦を終わらせるつもりだと。
そんなことがあってはいけない。
あっては、いけないのだ……。
フェリシダドはできる限り明るい声で言った。
「……そうね……私はシワシワのおばあちゃんになるまで生きるつもりだから……エーレが死ぬのはそのずーっと後よ」
「……うん。わかった」
エーレウスは膝を抱え、自分の膝に顔を埋め、そっと涙を流した。




