5.「生かされた理由」
●【5.「生かされた理由」】
エフィはゆっくりとその場に崩れ落ちる。
すべての景色が灰色に見えていた。
その色の無い景色の中で、血の色だけが鮮やかな真紅に見えた。
ああ……そうか。
止めを刺されたんだ。
クラウ…………いや、オリベイルに。
痛みは感じなかった。
意識が少しづつ薄れていく。
薄笑いを浮かべるオリベイルの顔が遠くなる。
衝撃が背中と頭に走る。
ああ、きっと自分は地面に倒れたのだ。
最後に見える景色は暗い夜空。
月も星もない、暗黒。
いや、すでにもう目がみえていないのかもしれない。
━━━━━━━ まだ逝ってはならない
声が聞こえた。
穏やかな、枯れた老人の声。
━━━━━━━ お前にはまだ役目がある。
役目?
━━━━━━━ そう。役目を果たすまで逝ってはならない。
私の役目とは?
━━━━━━━ ふたつの翼を出会わせる。導くのがお前の役目。
……翼?
━━━━━━━ ……今は、眠れ。
エフィの意識はそこで途切れた。
「何者だ!」
クラウは突然、目の前に現れた小柄な老人に剣を向けていた。
エフィに止めを刺したクラウは信じられない光景を目の当たりにしたのだ。
エフィが倒れたと同時にエフィとクラウの間に突然、小柄な老人が現れたのだ。
老人は手に持っていた杖でエフィの胸をすっと撫でると、一瞬にして傷はふさがり、血は止まった。
「何をする!そこをどけ」
しかし、クラウの脅しにも老人は平気な顔をしている。
クラウは老人に向かって剣を振り上げるが、老人はいとも簡単に身軽な動きで難なくそれをかわしてしまった。
「血なまぐさいものは儂は嫌いじゃ。そんな物騒なものは捨ててしまいなされ」
老人は手にした杖でクラウの剣をコツンと叩くと、それは無数の桜色の花弁に変わり、ばらばらに崩れて夜空へと飛び去った。
「なっ…………」
あまりに奇妙な出来事にクラウは一瞬ひるむ。
「何をする!」
クラウは老人を取り押さえようと掴みかかった。しかし、老人はその外見に似合わず素早くて、クラウをからかうようにひょいひょいと逃げ回った。
「困った男じゃな……血の気が多すぎるのはいかん。少しおとなしくしてもらおうかの」
老人はそういうと、クラウの足元を指差し叫んだ。
「お前たちの王が命ず。眠りより醒め、この男の足を戒めよ」
途端にクラウの足元から物凄い勢いでつる草が伸び始め、あっという間にクラウの足を絡めとり、動けなくしてしまった。
「な……何だこれは!」
さしものクラウも足を戒められてはどうすることもできず、大人しくするしかなかった。
「よろしい。やっとまともに話ができるわい」
老人は満足そうに言うとクラウの側に近づいてきた。
「よいか?オリベイル・カランよ。あの時死んでいたはずのお前がなぜ、ここで生きていると思うかね?自分が生かされているのは本当に復讐を果たすためだけだと思うか?」
クラウは答えない。ただ、目の前の小柄な老人をじっと凝視しているだけだった。
「お前にも大事な役目がある。長い長い時間がかかる大切な役目がな……復讐の陰りでその役目に関わる時間をお前は汚すのか?」
「どういうことだ」
「わからないか?」
老人はクラウのすぐ側までやってくると杖の先をクラウの胸に突きつけた。
「ほれ、よく思い出してみろ……お前が生かされたのは復讐を果たすがためにあらず。大事なことをお前は忘れ、そして、いつまでも捨てられぬ過去の恨みだけを頼りに生きてきた。しかしそろそろお前も気づいておるであろ?これがすべて仕組まれたことだということに」
「何のことだ。さっぱり話が見えん……」
「お前は選ばれたのじゃ。女神の裁きとそのあとにくるものを最後までまで見届けるために」
「私は……復讐の為にその命を捧げよと……そう問われた」
「ならなぜ、ホムルでエフィ・タチバナを追い詰めながらも殺さなかった?」
クラウの表情が曇る。
「今のお前の力があればエフィだけではなく、お前の嫌いなミヅキ国すら、あのイサノという男を傀儡にして安易に滅ぼせたであろ?なのに、なぜそれをしなかった?ホムルの国王が国から抜け出すのを見逃した?」
「そ……それは」
クラウは僅かに動揺をみせた。
「お前はわざと忘れたのじゃ。過去に拘るあまりにな……大事な女を忘れがたかったためにな……」
クラウは老人から目をそらす。
「復讐の為にその命を捧げよ……その言葉の前後にあった大事な言葉をお前はわざと忘れた。自分の都合のよい部分だけを覚えておったのじゃ……無意識のうちにな。なによりも大事なものの為に生き延びるために」
「それの何が悪いというのだ!」
クラウは叫んだ。
「私はエレを忘れられない。エレの恨みを晴らしたかった……そのためなら何でもする」
老人は溜息をついた。
「しょうがない奴じゃ……エレという娘は、本当にお前に恨みを晴らしてもらいたがっていたか?本当にそれで彼女は喜ぶか?」
「しかし!」
クラウは喉の奥から搾り出すような声を出した。その瞳からはいつのまにか一筋の涙が頬を伝って流れ出ていた。
「私のせいで……私なんかのためにエレは……」
「それはおまえ自身の懺悔以外のなにものでもない。それは彼女の望みじゃない。彼女の本当の望みがなんだったか、お前が一番知っていたのではないのか?」
クラウはうなだれた。
「……逢いたいかね?お前の愛しい娘に」
「逢えるのか?」
老人はうなづいた。
「少しの間逢わせてやろう。彼女が何を望んでいたか、彼女に直接聞くがいい」
老人はそう言って懐から小さな植物の種を取り出すと、足元の土に埋め、穏やかな声で言った。
「お前たちの王が命ず……わすれな草よ、お前の仕事を果たせ。愛しいものの御霊を呼び寄せ、忘れがたき想いと言葉を伝えよ」
埋められた種はすぐに芽を出し、驚くべき速さで育ち、みるみるうちにつぼみをつけた。淡い紫色の花が開くと、花は可愛い声で歌い始めた。
━━━━━━━ わすれないで わたしのおもい わすれないで わたしのこころ
歌に呼び寄せられるようにどこからか淡い光が集まってきて、だんだん人の姿をとりはじめた。
そして、光の中にやがてぼんやりと人影が浮かんできた。
呆然とするクラウの目の前に現れたのは、彼が夢にまで見た愛しい者の姿だった。
「エレ!」
『ああ!オリベイル……また、あなたに逢えるなんて!』
エレはクラウに駆け寄るとそっと彼を抱きしめた。
その体に暖かさは無く、体も少し透けていて、彼女がこの世のものではないということをクラウは感じていた。
しかし、クラウにとって、今はそれはどうでもよかったのだ。
『オリベイル……私はずっとあなたのそばにいたのに』
「私の、そばに?」
『そうよ。私の体はこの世界にはもうないけど、私の心はずっとあなたに寄り添っていたわ』
「エレ……」
エレは悲しそうな顔をしてクラウの頬をそっと撫でた
『ああ……こんな怖い顔をして……私のオリベイルはもっとやさしい顔をしていたはずよ。つらいめにあったのね……オリベイル……』
「お前が受けた苦しみに比べればなんてことはない」
『もう、これ以上悪いことはしないで……人を傷つけないで』
「エレ……私はお前のいない世界なんてどうなってもいいと思っていたんだ。だから、他人がどうなろうとどうでもいいと思っていた」
『私はオリベイルやエフィと過ごした日々を忘れてはいないわ……そして、私の故郷もあなたの国もとても好きだったわ。私の好きだった人たちや、私の好きだった場所が傷ついていくのを見るのはとても悲しいわ……』
「なぜだエレ?お前の故郷の人々はお前を酷い目にあわせたのだぞ?」
『悲しい誤解が生んだ不幸な出来事よ。でも、私は恨んでいない……トトは私の故郷だし街の人たちも私は好きだった……残念だったけど……でも、これが私の運命だったなら私は恨まないわ』
「馬鹿な!」
『オリベイル……人には何か必ず役割があって生きているのだと私は思うの。私の役割はあなたに出会うこと。そして、あなたに愛をあげることだと思ってた。だけど、私わかったの……私はあの時死ぬことで、あなたの本当の役目を気づかせる……それが本当の私の役目だったんだって……』
「そんなこと……そんなことあっていいのか!納得できない……そんなこと……認められない」
クラウは激しく首を横に振る。そして、エレを力いっぱい抱きしめる。
エレは困ったような顔をしてクラウの頭を撫でた。
『ねえ、オリベイル……あなたは私の姿かたちを愛していたの?私の心はどうでもよかったの?』
「違う!そんなことはない!」
『だったら、私の姿はあなたの側に無くても、ずっと心は側にいるのよ?それではだめ?それでは嫌?』
「そんなことはない……エレがいてくれるなら……私は……」
『あなたにはあなたの仕事がある。それに気づいて……そして、エフィをもう許してあげて……彼は悪くない。なのにずっと苦しんできた……親友だった二人が戦うのを私は側で見ていたくはないの……』
「エレ……」
クラウはエレをしっかり抱きしめ、いつまでも離そうとしなかった。
「そろそろ時間じゃ……」
老人の言葉にエレはうなづく。
「花の命は短いのでな……」
エレはクラウにそっと口付けると優しく言った。
『オリベイル……鴉なんて名前はあなたには似合わなくてよ……私の好きなオリベイルでいてちょうだい……私はずっとあなたとともにあるから……』
次の瞬間、エレの体はふっとかき消すように消え、彼の手の中には淡い紫色の花をつけたわすれな草だけが残った。
━━━━━━━ わすれないで わたしのこころ
花は最後まで健気に歌いつづけていたが、やがてそれは弱々しくなり、歌声はゆっくりと消えた。
「その花を押し花にして、お前の懐にいれておくがいい。お前を護ってくれるじゃろう」
クラウは無言でうなづいた。
「さあ、お前のすべきことをしなされ」
「飛燕……いや、エフィはどうなりますか?」
「心配するな。この男もまた大事な役目を終えるまで死にはしない。ただ、お前たちはもう逢わぬほうがいいだろう」
「はい。桜翁様」
「思い出したかね?儂のことを」
「はい……」
「さあ、お前の大事な務めを果たしにアヴェリアに戻るのじゃ。そして、そのあとさらに大事なことがお前に待っている。恨みの心を無くした今なら思い出せたであろ?」
「ええ……思い出しました。あの時私に問うた声……そう、あなたの声は私にこう言いました」
オリベイルは桜翁をまっすぐに見た。
「お前の復讐はまだ終わっていない。そのままでは何も変わらない……新たな命が欲しいか?……命を欲すればお前にさらなる大事な役目を与えると……ただし、新たなその人生全てを怒りと憎しみに捧げるか?それとも憎しみを忘れ、時が来るまで待つかはお前次第……長き時を汚したくなくば待ちつづけよ。後悔の炎に焼かれながらも恨み晴らしたくば好きにせよ……と」
「うむ」
桜翁は静かにうなづいた。
「私は後者を選びました。しかし、エレが私を救ってくれました……私は本当の私の役目を果たしにアヴェリアへ向かいます」
「よろしい」
「ただ……」
オリベイルは倒れているエフィに悲しげな視線を向けた。
「我が親友に許しを請うことができないのがひとつ心残りです……」
「残念だが、この者の本日の記憶は消す。そのほうがお互いのためじゃ」
「そうですか……」
オリベイルは横たわるエフィの前に膝をつき、頭をたれた。
「すまない。飛燕……本当にすまなかった。今度逢うことがあるなら、私はお前の為になんでもするだろう」
桜翁はそんなオリベイルに向かって言った。
「いつか、分かり合えるときが来る。お前たちが本当に親友であったなら。本当に心の底から想いあう親友であったなら、またいつか分かり合うときが来る」
「はい」
「ではゆきなさい」
オリベイルはうなづくと白々と明けはじめた朝日に照らされながら一人、アヴェリアの方向へ向かって歩いていった。
彼はその時、ずっと身に付けていた黒いフードつきのマントを脱ぎ捨てた。
それはオリベイルにとって、クラウという復讐鬼との永遠の決別の証だった。




