18.「静かなる叛逆」
●【18.「静かなる叛逆」】
宣戦布告から一週間が経過した。
ミヅキを攻める先発隊はペタに補給拠点と総司令部を置き、着実に戦の準備を整えていた。
ジャラク街門を取り囲むような形で布陣したホムル国軍は、命令さえあればいつでも攻め込める状態にあった。
ペタ在留のミヅキ人や旅の拠点としてペタに滞在していた旅人は軟禁状態でペタを出ることが叶わず、人質のような状態の生活を余儀なくされていた。
この急な事態を重く見た竜王教総本山は、軟禁状態にある民間人への暴行や略奪行為などの人道的な問題を理由に、非武装中立地帯であるペタへのホムル軍の駐留を止めるようにとの警告を何度も送ったが、イサノはこれを徹底的に無視した。
あの宣戦布告の時からイサノはエーレウスへの態度を一変させた。
「取り消せ!宣戦布告などしない。俺はミヅキとは戦わない!」
エーレウスは何度も叫び、主張した。
しかし、イサノはエーレウスの意見を徹底的に無視した。
エーレウスは軍務大臣に直接命令した。
「軍務大臣。今すぐ軍を撤退させよ」
「恐れながら陛下。私はイサノ閣下の命令で動いております。閣下の命令がなければ、軍は撤退させられません」
軍務大臣は慇懃に言う。
「どういうことだ!俺はこの国の王だ。国王の命令は絶対のはずだ」
「確かに国王陛下のご命令には我らは従います。しかし、現在の陛下には軍部を動かす権限がございません」
「何だって?どういうことだ」
「陛下は政治の全権をイサノ閣下に委任されております」
「馬鹿な!そんな覚えは無いぞ」
「いいえ。こちらに証拠がございます」
軍務大臣が取り出したのは一通の証書だった。
エーレウスはその書類に見覚えがあった。
「……これは……」
全てを思い出した時、エーレウスの肩ががくりと落ちた。
父親が亡くなって間もない頃、戴冠式の直前のことだ。
イサノが一通の書類を手に現れた。
「国の様々な取り決めに殿下の決裁を頂きたい」
「伯父上に任せますよ。俺より政治の事には詳しいのですから」
その頃のエーレウスは政治にも王としての権限にも全く興味が無かった。
面倒くさいことは全て信頼できる伯父にまかせきりだったのだ。
「殿下、私は宰相であり重要事項の決裁の権限を持ちません。やはり殿下に目を通して頂いて決裁をいただかないと」
「……面倒くさいなあ」
「では、私に全権を委任すると委任状に署名をいただけませんかな?そうしていただければ面倒な件の決裁は全て私がやりましょう」
「本当か?」
「はい」
署名したものはその時のものだ。
まさかこんなことが仇なすとは夢にも思わずに軽々しく署名してしまった。
「……やられた」
「法に照らしても何一つ違法ではございませんよ陛下。陛下は全ての権利をあの時放棄されたのです」
軍務大臣は冷たく言い放つ。
「そんな……」
「騙されたなどと人聞きの悪いことはよもや仰いますまいな?陛下」
その声にエーレウスは振り向く。
イサノがいつのまにか背後にいた。
「困った方だ。ちゃんと書類を読んで、内容を理解していればこんなことにはならなかったものを。私ならせっかくの権限を放棄して他人に全権委譲するなんてそんな愚かしいことなどしない」
愚かだった。
確かに誰も責められない。内容を確認してから署名しなかった自分の落ち度だ。
しかし、エーレウスはどうしても納得がいかなかった。
「伯父上!なぜこんなことをするんです」
「こんなこと?ミヅキ侵攻は陛下の父君の時代にもともと予定されていたもの。それを今まで陛下が引き伸ばしていただけのことです」
「しかし!」
「陛下はお疲れのご様子だ。部屋にお連れしろ」
面倒くさそうにイサノは手を叩く。
その音に呼ばれるようにしてイサノの部下達が現れ、エーレウスの周りを取り囲む。
「伯父上!」
「陛下。人を信じすぎてはいけません。そして、何事も軽々しく決めてはいけない。そんな軽薄な指導者では、国は滅びます」
イサノはエーレウスを一瞥しただけで、部下達に合図した。
「陛下。こちらへ」
「嫌だ!伯父上!俺は認めない」
「陛下はかなりお疲れのようだ。当分ご静養していただかねば」
……もはやどうにもできなかった。
自室に連れて行かれたエーレウスには監視がつけられ、事実上の軟禁状態となったのだった。
これは明らかなクーデターだった。
無力な王はすでに飾り物でしかなかった。
エーレウスがいくら嘆こうとも戦への流れはもう止められなかった。
軟禁状態に置かれたエーレウスは部屋から出ることも許されず、「王は体調を悪くしている」と発表され、宰相のイサノが総指揮を取っていた。
もちろん、このような大それたことをイサノ一人でできる筈がない。当然のことながら彼は長い時間をかけて王宮内に自分の協力者を何人も引き込み、この時を待っていた。
軍務大臣、内務大臣、外務大臣の三役、そして王宮の主要な役職の者は全てイサノが懐柔していたのだ。
彼らはエーレウスの父の時代から王宮に仕えてはいたが、父親よりはるかに見劣りし、野心を持たぬ王太子をいささか不満に思っていた。
父親に忠誠を誓った家臣がその息子に無条件に忠誠を誓うことは当然のことでもなんでもない。
彼らはより自分たちを重用し、利益を約束する指導者についたのだ。
また、裏ではクラウが暗躍し、金で、あるいは個人的な弱みを握り、全てをイサノの支配下に置いていた。
今やイサノは王宮の全権を把握していた。
計画は水面下で時間をかけて動いていた。エーレウス一人が何も知らなかったのだ。
そして、エーレウスが気付いた時には既に遅かった。
信頼していた伯父に裏切られたというショックも大きかったが、なによりもエーレウスが悔しかったのはこの異変に自分が全く気付かなかったことだった。
伯父は野心の強い人物だということはわかっていたが、よもやたった一人の身内である自分にこんな仕打ちをするなどとは夢にも思わなかったのだ。
なにも気付かぬまま、呑気に「王になどなりたくない」と言っていた自分をエーレウスは酷く恥じた。
軟禁された自室での生活は不自由はなかったが、王宮の外はおろか、自室の外へ出ることすら禁じられ、部屋の前には常に見張りが立っていた。
食事はきちんと与えられ、世話係が全て身の回りのことをやってくれる。
エーレウスはなにもやらなくてよかった。
いや、なにも出来ないようにされていたのだ。
軟禁生活に入った何日目かの夜。
無気味なぐらい静かな夜だった。
閉じ込められた自室の窓から見える爪痕のような三日月を見ながら、エーレウスは長いため息を吐いた。
戦況はわからなかった。
もう侵攻ははじまったのだろうか?
カイエのことが気がかりだった。
━━━━━━━ 「そんなことで見捨てられる国民の気持ちを、陛下は考えたことはあるのですか」 ━━━━━━━
エーレウスはカイエの言葉を思い出していた。
初めてカイエと出会った夜、カイエに言われた言葉だ。
国王になる気などない、自分は自由気ままに生きたいという気持ちをエーレウスが口にした時、カイエは信じられないといった顔をしてこの言葉を吐いたのだ。
「……あの時のカイエは国王としての自覚の無い俺を軽蔑し、あんなことを言ったのだろうな……」
エーレウスは自嘲するように独りつぶやく。
「最低の王だよな……いや、もはや王ですらないけれど」
国王の証である国璽は自分の手元にあり、名目上はまだ王のままだ。
だけど、権限は何も無い。
名ばかりの王、ただの傀儡。
高貴な身分の捕らわれ人。
自由がないとうそぶいていた頃こそが本当に自由だったのだ。
エーレウスは改めて、自分から自由が完全に奪われたことを思い知らされた。
「この国はいっそ滅びればいい。そんな王の下にいる国民は憐れだ……」
カイエのあの時の言葉を口に出して呟いてみる。
もう何日も人と話すことも無く、すっかりからからに乾ききった唇からはまともな声すら出ない。
呟かれたのは声にならない呪詛の声。
━━━━━━━ 全ては、後の祭り。
王としての無力さをここまで呪ったことはなかった。
力が欲しい。
全てを変える力が。
無情な冷たい光を放つ細い月をエーレウスは暗い目で見つめる。
『本当に、力を欲すか?』
突然、エーレウスに囁きかける声がした。
「誰だ?」
エーレウスは声のしたほうを振り返る。
しかし、そこには誰もいない。
『命をかけるほど、望む何かがあるなら、儂のこの姿、見えるはずじゃ』
それは老人の声だった。
エーレウスはきょろきょろとあたりを見回すことをやめ、ある一点だけに意識を集中した。
中空高く浮かぶ、細い月に。
ぼんやりと滲んだように、人の姿が現れ始めた。
その姿はだんだんはっきりしてくる。
とても小柄な老人の姿だ。白い長衣を身にまとい、曲がりくねった杖をその手に持っていた。
老人は翼も持たぬのに宙に浮かんでいる。白く長い髭はその背丈の倍以上あった。
老人はエーレウスの黒い瞳をじっと見つめた。
老人の瞳の色は穏やかなる銀灰。
この世で銀灰色の色彩を体に宿すものは女神デーデの関係者。
竜巫女、もしくはその眷属、あるいは女神本人。
「あなたは……」
エーレウスの問いが終らぬうちに、老人はしわがれた声で語り始めた。
『それは、完全なる対をなすものでなければならない。
対は同じ年頃の少年の命でなければならない。
少年は重き罪をその身に含んでいなければならない』
エーレウスはただ、老人を見上げるしかできなかった。
何かとても大きな力で押さえ込まれている。
身動きはできなかった。
『裁きの翼の対となることをお前は望むか?望めば大いなる力がお前に与えられる。望まぬ時は、その対なる者との永遠の別れがお前に訪れる』
謎の言葉を老人は言う。
しかし、その瞬間、エーレウスにはわかってしまった。
自分の役目が、なすべきことが。
『望むか?』
エーレウスはしっかりした声で言った。
━━━━━━━ 「望みます」




