17.「野望」
●【17.「野望」】
カイエが覚悟を決めたその頃、エーレウスは怒りを露にしていた。
「なぜだ!なぜミヅキが宣戦布告してくるんだ」
「ミヅキはこちらが出した使者を殺したのです。友好の手紙を出したのに、こともあろうに使者を殺して送り返してくるとは。ミヅキの新王が恐ろしい」
イサノはまるで他人事のように言った。
イサノに言われるままミヅキに友好の使者を出したのはミーサを送り出してから一週間ほど経った頃だ。
カイエの肖像画の件は相変わらず気になっていたし、ミーサは非公式な使者だ。いつ戻るかもわからない。
そんな時、イサノがエーレウスに提案したのだ。
「ミヅキの新王のご機嫌伺いなどしてはいかがですかな?」
ミヅキに使者を送り、今後は友好な関係を築いていきたいという提案をするというのだ。願ってもない話だった。
ミーサの帰りを待ちたい気持ちもあったが、彼女が国を出てからもうかなりの日数が経っていた。
ミヅキには三日もあれば入れるはずだ。なのに、連絡がないのは、カイエにまだ逢えていないか、何かトラブルにでもあっているのかもしれないということだ。しかし、確かめる術はない。ミーサを使いに出したのは極秘だったからだ。
ミーサから連絡がなにも入らないことは不安だったが、公式な使者からの手紙なら確実にカイエに届く。
ミーサのことは気がかりではあったが、エーレウスはとりあえずそちらに希望を託すことにした。公式な、しかも友好関係を求める使者ならカイエへの手紙も書きやすい。
エーレウスはじっくり時間をかけて丁寧な手紙を書き、臣下の中でも最も温和で理知的な男を選び、使者として送り出した。
ところが、数日後、戻ってきたのは無残にも斬り殺された使者の遺体と宣戦布告の手紙だった。
エーレウスは使者の遺体を見たとき愕然とした。
使者は首を切り落とされ、返信の手紙はその手に持たされていた。
なんという無残な有様か。
これは我が国に対する明らかな侮辱だと臣下たちの中には激しく怒り出す者もいた。
エーレウスの脳裏に嫌な考えが僅かによぎる。
ミーサがいつまでたっても帰ってこないのはなぜだ?
彼女も捕らえられるか、殺されるかしてしまったのではないか?
エーレウスは頭を振ってその嫌な考えを打ち消そうとする。
ありえない。
あのカイエがそんなことをするとはとても思えない。
これは何かの間違いだ……と。
しかし、エーレウスの想いとは別に、ホムル王宮内には次第に不穏な空気が流れ始めた。
送った使者が殺されたと知らされたホムル王宮内にはミヅキへの怒りが溢れ、ミヅキに攻め込もうという声が王宮内に高まり始めた。
エーレウスは自分の無力さを思い知る。
この流れを止める力は自分にはない。
イサノはそんなエーレウスの姿を背後から見ていた。
口元には薄笑いが浮かんでいる。
なにもかもが彼の手はずどおりに進んでいた。
彼はミーサの不審な動きに気付き、クラウを動かし監視をつけ、ペタでミーサを捕らえてみたら和平を申し出る手紙を持っていた。
あのままミーサを行かせていれば、すでに心を繋いでしまっている二つの国の王はすぐに友好関係を結んでしまうところだった。
彼はミーサから手紙を奪い、彼女を犯し、辱めることで逆らうことへの恐怖を与えた。
姿の美しいオルステインの女奴隷は珍しく、王宮でカイエ付きになった時から彼はミーサに密かに目をつけていた。
機会があれば一度は抱いてみたいと思っていたので好機ではあったが、清純そうに見えたわりには既に処女ではなく、さりとて彼を楽しませるほどの反応もせず、人形を抱いているようで、期待したほどではなかったのが少し彼にとっては残念だったが。
あとはクラウに任せておけばいい。
クラウは完璧に後片付けをしてくれるだろう。
既に殺しているか、生かしておいて娼館で稼がせるのかはクラウにまかせたことなので興味はない。
喉を潰し、薬物で正気を奪えばこの企みが彼女から漏れる事もない。
そう考えていた。
彼はどこまでも冷徹だった。
彼は甥の筆跡によく似た男を手配し、宣戦布告を告げる手紙を書かせようと考えた。
エーレウスは文章を書くとき、変わった癖を持っていることを知っているものは少ない。
だが、彼はそれも忘れていなかった。この特殊な癖を押さえていれば、甥のことをよく知るカイエが手紙の捏造を疑うことはありえない。
しかし、問題がひとつあった。
ミーサから手に入れた手紙は個人的な手紙であり、公式文書として証明される国の紋章の透かしの入った便箋と封筒には入っておらず、国璽の捺印もなかった。
二通の手紙のうち一通は公文書に近い書き方で使えそうだったが、即位してから他国への公文書を書いた経験のないエーレウスは、手紙に国璽すら押していなかった。
これでは使い物にならない。
そこで、彼は考えた。
公式な使者を送ることを提案し、エーレウスに公式の文書を書かせ、国璽を捺印させるのだ。
そして、その時彼はささやかな仕掛けを施した。
公式文書の書き方を知らないエーレウスに「こういう手紙はあちらに届く日時が発効日となるので、先の日付を書くものなのですよ」と嘘をつき、手紙の最後に一週間後の日付を書かせ、そこに国璽を捺印させたのだ。
手紙の本文は別の紙に書かせ、最後の一枚だけは空白とさせた。
彼はそれが公文書の正式な書き方で、作法であると嘘を教えたのだ。
素直なエーレウスは何の疑いもなく彼の言う通りに書き、最後の空白の一枚の紙は未来の日付だけが書かれた便箋だった。
イサノはクラウに使者を捕らえさせ手紙を奪い、エーレウスの筆跡を真似させた宣戦布告の文章が書かれた偽造の手紙とすり替えた。
本物の使者は殺し、偽の使者に偽の手紙を持たせミヅキへ向かわせた一方で、殺した使者の遺体とミヅキからの返事を捏造した手紙を持ち帰らせた。
ミヅキからの手紙の偽造は簡単だった。あらかじめミヅキ王宮に潜り込ませた協力者から公文書に使用する便箋を手に入れ、国璽は偽造した。
エーレウスの目は簡単にごまかすことができる。彼はそう考えていた。
偽のエーレウスの手紙を偽造した男もおそらく始末されているはずだ。
彼の計画はここまで完璧だった。
彼は直接手を汚さない。
彼の選んだ実行犯は莫大な金で雇った裏社会の主、クラウ。
誰よりも危険で、しかし誰よりも信頼の置けるパートナーだ。
彼は完全に金で動く男。要求を満たせばつまらぬことで正体がばれることもない。
失敗はできない。
十八年前、たったひとりの妹を後宮に送り込んだ時から彼の計画は始まっていたのだから。
「陛下。ご決断を」
イサノはエーレウスに決断を迫る。
あと少し。
あと少しで自分の意図したほうへ全てが流れる。
彼は長年の野望が叶うという喜びに内心高揚していた。
彼が意図したとおり、妹が王太子となれる男子を産んでから彼はあらゆる手を使った。
将来の自分の傀儡となる甥に対しては母と引き離された悲しみに理解を示す伯父。
国王に対しては信頼できる有能な宰相。
彼はいくつもの人格を完璧に演じきっていた。
彼は野望を持っていた国王の耳元でさりげなく隣国への侵攻を囁きかけてその気にさせ、暗殺という手を使ってミヅキを混乱に陥れた。
もともと強い王だったのであとはその野心を少し刺激するだけでよかった。侵攻が始まればあとはとんとん拍子のはずだった。
だが、彼の計算は少し狂った。
国王が突然亡くなり、王位を継いだ彼のたったひとりの甥は妹に似すぎて気が小さく、心が優しすぎた。
そのため、継母の苛めに心を閉ざし、野望を持つどころか王宮から離れることに憧れ始めた。
これは彼にとっては誤算だった。
野望を持とうとしない甥をどう扱うか悩んでいたところに、クラウからある計画を打診された。
ミヅキの王太子を、即位の前に拉致もしくは暗殺することでミヅキの後継者を失わせてはどうかという計画だった。
彼はその計画を受け入れ、ミヅキの王太子を極秘裏に暗殺せよと指示を出していた。
ところが、欲を出したクラウがこの王太子を生かし、ミヅキの王太子カイエは王宮に姿をあらわした。
彼ははじめ驚きつつも、この偶然に感謝した。
いくつもの偶然は彼の緻密な計算の狂いを修正する方向に動いていると感じたからだ。
女神も竜王も彼は信じていない。
もしも竜王や女神がいたならこんな大それた計画を立てる自分などとっくに破滅しているはずだ。
ところが女神も竜王も自分に味方しているかのような都合のいい展開だ。
竜王の神殿で一心に幸せを祈る者達を彼は愚かだと思う。
もしも竜王や女神がいるのなら、彼らは人間を玩具にして弄んでいるのだろう。
なら、こちらが竜王や女神を手玉にとっても文句はないだろう。
彼は待っていたのだ。この時を。
王としては無力な甥を傀儡にして影からこの世界最強の軍事国家を支配する。
侵攻を繰り返し、デーデジア大陸を制覇し、いずれは彩岩楼皇国、オルステイン連邦さえも屈服させる。
ミヅキ侵攻は大いなる野望の第一歩だ。
何年もかけて緻密に練り上げた計画がつまらないことでふいになっては困る。
優柔不断な甥に業を煮やしてイサノは詰め寄る。
「宣戦布告されたからにはこちらも受けてたちましょう。もともと陛下の父君の時代にはミヅキへ侵攻する予定だったのです。同じことではありませんか」
「しかし伯父上……僕にはどうしても信じられないのです」
エーレウスはまだ困惑した表情を浮かべている。
「我が国をここまで侮辱されて黙っているおつもりですか?陛下」
エーレウスはそれでも黙ったままだ。
もはやここまで。
イサノは決断した。
「わかりました。陛下」
突然イサノはエーレウスににやりと微笑みかけた。
「戦の経験がない陛下の不安は察しております。すべて私にお任せを。ミヅキの国王を陛下のもとに跪かせてごらんにいれましょう」
イサノは振り返りざま、その場にいた軍務大臣に声をかけた。
「すぐさま戦の準備を整えよ。三日後にはペタを拠点としてジャラクを攻め落とす!」
「伯父上!何を!」
突然のことにエーレウスはうろたえる。
「無駄です、陛下」
イサノはぞっとするほど冷たい視線をエーレウスに向ける。
エーレウスは初めて見る伯父の豹変ぶりに困惑していた。
そこにいるのは自分の知っているいつもの伯父ではない。
いささかお節介なところがあり、嫌な部分もあるが、エーレウスにとってイサノは有能で頼れる唯一の身内だった。
ところが今、彼の目の前にいる伯父は全くの別人のように見える。
「伯父上。俺はそんなこと望んでいません。撤回してください伯父上!」
「なにを仰るか。もう止められませんよ」
伯父はなんだか楽しんでいるようにすら見えた。
違う。
何かが違う……こんな。
エーレウスは激しく困惑していた。
イサノは振り返り、怯えるエーレウスの漆黒の瞳を覗き込みながら笑う。
━━━━━━━ 「陛下。戦はもうはじまっているのですよ?」




