16.「宣戦布告」
●【16.「宣戦布告」】
━━━━━━━ その手紙を読んだとき、カイエは震えが止まらなかった。
その字は間違いなくエーレウスの字だった。
突然、ホムルの使者から届けられた手紙はカイエばかりかその場にいた者全てを凍りつかせた。
カイエは手紙をぐしゃりと握りつぶし、叫んだ。
「嘘だ……これは何かの間違いだ。エーレウスは戦争を仕掛ける気など持ってなかったはずだ!」
その顔には血の気が無い。白い肌がさらに透き通り、さしずめ蝋人形のようだ。
「しかし……これは間違いなくホムル王家から届いたもの。手紙の入った封筒の封緘も、開封された跡はありませんでしたし、特殊な透かしのある便箋も王家の者でなければ手に入らぬ品物です。そのうえ、ちゃんとホムルの国璽が捺印されている。これはれっきとした公文書です。……それに陛下……大変申し上げにくいことなのですが」
内務大臣のエノラ・サクラは言い難そうな表情で言葉を切った。
「何だ?」
「ホムル国王の筆跡は誰よりも陛下が一番ご存知のはずです……」
「……わかっている」
止めを刺されたような気分だった。
信じたくない。
誰か悪意を持った者が捏造した偽物なのではないのか?
そう考えてみたが、ありえなかった。
これは間違いなくエーレウスの字だ。
彼は文章を書くとき、文節の最後に必ず小さな点を打つ癖があるのだ。
便箋や国璽は偽造できても、変わった癖のあるエーレウスの字を真似られる者はそうそういない。だいたい、彼の字に特殊な癖があることは親しい者以外知らないはずだ。
そして、カイエも彼の字の癖は知っている。よくそれをからかったからだ。
『貴国に対し我が国は宣戦布告を申し入れる』
短い……あまりにも短すぎる手紙だった。
その理由も何も書いていない。
一時期止まっていた侵攻を再開する。
侵略に理由などない。そういうことだろう。
ホムルから来たと言う使者は手紙だけを渡すと早々に帰ってしまった。
国王から他には何も言付かっていないのかと聞いても、使者は無言で首を横に降っただけだった。
「ホムル国王は陛下に「戦をこちらから仕掛ける気は無い」と仰っていたとお聞きしております……しかし、ホムル国王の気が変わられたかもしれません」
サクラ内務大臣に指摘され、カイエは目を伏せる。
エーレウスの気が変わったのだとしたらその原因はなんだろう。
カイエはまだ混乱する頭で考える。
心当たりがあるとしたら、カイエが黙ってホムルを離れたことぐらいしか思いつかない。
しかし、エーレウスはそのぐらいのことで侵攻を開始するような人間だろうか?
どうしてもそう思えない。
ただ、エーレウスが自分に執着していたことは否めなかった。
あまり感情を出さない静かな友は、親友であるということを認めさせたがっていた。
なぜ、どうして自分なのかと時折その執着を不思議に感じながらも、それでも彼に必要とされていることがカイエは嬉しかった。
同じ思いはカイエの中にもあったし、できれば彼とずっと語らっていたかった。
そんな友を裏切るような形で置いてきてしまったのだ。
もし、強すぎる想いが憎しみに変わったのだとしたら……。
カイエの心が痛む。
エーレウスの悲しみはいかばかりか。カイエには想像も出来ない。
しかし、あの時のあの状況ではどうしようもなかった。
そう考えればやはり全ての発端は自分なのだとカイエは改めて痛感した。
「いかがなさいますか?陛下」
問い掛けられてカイエは我に帰る。
「僕は戦はしたくない」
カイエは静かに首を横に振る。
「陛下。いまさらホムルが話し合いの席に応じるとは思えません。攻め込まれたら守らねば、我が国は蹂躙されるだけです」
「……少し考えさせてくれないか」
「しかし陛下」
「頼むから今は放っておいてくれないか!」
珍しく苛立った声を出したカイエにサクラ内務大臣は驚き、その場にいたタチバナ侍従長は気の毒そうな表情をする。
カイエは席を立ち、そのまま自室へと向かった。
「お待ちください!」
サクラ内務大臣が後を追おうとしたが、タチバナ侍従長はそれを止めた。
「陛下に考える時間を差し上げてください。それより我々は、陛下がどのような答えを出されても対応できるよう準備をするのが先だと思いませんか?」
「陛下のお気持ちは理解しているつもりだ。だが侍従長、これはもう陛下の個人的な悩みのレベルではないのだ……国家の問題だ」
「ええ。でも、それでもしばし陛下にお時間を差し上げてください。聡明な陛下のことです。きっとご自分でよく考えて納得した答えを出してくださるはず。だから、もう少しだけ……」
「……わかりました、あなたがそこまでおっしゃるなら」
内務大臣はそう言って小さく溜息をつくと、諦めたように笑ってうなづいた。
「みな陛下のことを誰よりも大切に想っているが、その中でも想いの強さはあなたが恐らく一番なのだろうね」
「ありがとうございます」
タチバナ侍従長は友人でもある内務大臣に深く頭を下げた。
「なぜだ……エーレウス」
カイエはベッドに横たわり、両腕で顔を覆う。
「どうしたらいいんだ……」
いくら考えても何も思いつかなかった。
むしろ考えることを自ら放棄しようとしている気がした。
このままでは戦は避けられない。
また、多くの犠牲が出るだろう。
戦はどうしても避けたい。しかし降伏すればこの国はどうなってしまうのか?
それは想像することさえ憚られた。恐ろしい結果になることは目に見えている。
きっと多くの血が流れる。家族や恋人たちは引きはなされ、嘆きと悲しみが国中溢れるだろう。
国を守るためには戦うべきだ。
しかし、戦えば戦うほど多くの人の血が流れる。
避けられない戦いなのか?
もう、どうすることもできないのか?
カイエは無意識に首にかけられたガイアルのペンダントを握り締める。
これが自分に与えられた試練。
逃げることのできない罪の代償だ。
カイエは竜王ガイアルの言葉を思い出す。
『お前は人としての道と、王太子としての道の二つを同時に選んだ。どちらかの望みを潰すことと引替えに帳消しになるはずだった報い、そして選んだ道に用意された報い、その両方を受けねばならなくなった。お前の苦しみはまだ終わらない。そして、お前は全ての罪を償うまで死による安らぎも得られない』
エーレウスの真意を確かめなければならない。
手紙に書かれた言葉は本当に彼の気持ちなのか。
逢って直接話をしたい。
だけど、時間はもう無い。
手紙には「返事がない場合、三日後の正午をもって攻撃を開始する」と書かれていたからだ。
「エーレウス……教えてくれ。君は僕に何を望むんだ……」
エーレウスに逢いたい。
エーレウスの心が怒りや悲しみに支配されているなら、止めなければ。
その原因が自分だとしたら止められるのは自分だけだ。
彼の望むことを叶える事で彼が矛を引くのならたとえ彼の前で跪いてもかまわない。
だが、その時間は与えられていない。
どうすればいい?
どうすれば……?
カイエは長い時間考えてひとつの答えを導き出した。
戦を避けることはもう、どう考えても不可能だ。
ならば、エーレウスに逢う方法がたったひとつだけある。
━━━━━━━ 戦場で、彼と剣を交えるその時に。
それが何を意味するか、カイエにもわかっていた。
戦場で二人が出会う時。
それは決着のときだ。
彼を倒すか、自分が倒れるか。
カイエは覚悟を決めた。




