15.「竜王の御手」
●【15.「竜王の御手」】
竜王は救い給う。
苦しみ、喘ぎ、泣く者を。
竜王は救い給う。
打ちひしがれ、絶望する者を。
竜王は救い給う。
暗き道に迷いし者を。
竜王はいつか人の姿を取りて
その清らかな御手を伸ばし
我らを楽園へ引きあげ給う。
ああ、これは竜王を称える歌。
昔、故郷の礼拝堂でよく聞いた。
なんて綺麗なボーイソプラノなのかしら。
誰が歌っているのだろう?
休日の朝の礼拝。
小さな体に大きな翼。
世界のどこへでも飛んでゆける翼竜の像をを憧れの目で見ていた。
フォルカ。
小さな翼竜。
その体は竜王の中でも最も小さく、しかし、その翼は最も大きく、はばたきひとつで世界のどこまでも飛んでゆける。
空に最も近い山に住む、小さく強い我が国の守り神……。
ガイアルの国にいても、竜王フォルカのことは忘れない。
私の体は異国にあっても、心はフォルカの国の民だから。
なんだか幸せな気分。
そうか……きっと私は竜王フォルカの御手にすくい上げられたのね。
やっと痛みも苦しみも悲しみも無い国へきたのだわ。
でも、それにしてはなんだか体が重いのはなぜだろう……。
「……ん……」
掠れた声がやっと出た。
それと同時に、全身にさまざまな痛みが走った。
「い……痛い……」
「おや?……意識を取り戻したかな?」
「……カイエ……様?」
柔らかな色合いの亜麻色の髪と、澄んだ緑の瞳の若者が彼女の顔を覗き込んでいた。
一瞬だが、カイエと間違えたのだ。
でも、視界がはっきりしてくると彼はカイエとは全く似ていなかった。
ミーサは黒髪と黒い瞳のカイエしか知らなかった。
でも、ミヅキ人のこの青年がなぜかカイエに見えたのだ。
ミヅキ人の青年は二十代の後半ぐらいに見えた。
亜麻色の髪は収まりが悪くてぼさぼさで、鼻の上に妙なものを乗せていた。
銀色の金属になにかガラスのようなものが嵌っている。それがちょうど彼の両目の前に来ていて、彼の容姿を滑稽に見せている。
生きている。
私は生きている。
竜王は私をまだその御手で楽園へ引きあげてはくれないというのだろうか?
まだ、私は生きる苦しみを味あわなければならないのだろうか?
いや、違う。
竜王の御手で私は引きあげられたのだ。
絶望の底から。
生きていればあの人に逢える。あの人の役に立てる。
フォルカの翼はまだもがれていない。
私にはまだ、飛ぶ力が残っている。
だから、救われた。
目の前の青年に触れたかった。
本当に自分が生きているのかを確かめたくて。
ミーサは震える手をその金属の物体に伸ばしていた。
「……これですか?」
青年はその物体を顔からはずすと、ミーサの顔に乗せた。
とたんに視界がぼやけ、気持ちが悪くなる。
頭をふるふると振ったミーサの顔から物体をはずし、青年はまた自分の顔にかけた。
「これはね、眼鏡というものです。彩岩楼皇国から仕入れた貴重品ですよ。これがないと僕は本が読めないんでね。僕の目は酷く具合が悪いから」
「……めがね……」
ミーサはまだぼんやりしていた。
「酷い傷だったんですよ。助からないかと思ったがなんとか助けてあげられた」
そうか……私は死ななかったのだわ。
ミーサは小さな吐息をついた。
「ごめんなさい。君をはねてしまったのは僕なんです。急に道に君が飛び出してきて、危ないと思って手綱を引いたときには遅かったんです」
青年はミーサに深く頭を下げた。
「何日も眠ったままで意識が戻らなかったから、もうだめだと思ったけど、よかった……気がついて」
青年は済まなさそうに話す。
「できるだけ体に傷が残らないようにしましたが……。助手に優秀なソーナ人の治療術士がいるから、彼の力を借りてかなり綺麗に治せたとは思います……。あとはもう少し時間をかけて傷を綺麗にできるように治療をしていけば、もとの綺麗な体に戻りますよ。それまでは僕が責任を持ちますから」
「……あの……あなたは?」
「僕はラルフ・ナツメ。ジャラクで父と一緒に開業医をやってます。父が月に二回ペタに往診に来るのでその手伝いでここに来てたんだけど……」
「もしや、ホムルの人たちを診察するため?」
「おや、よく知ってますね。あなたも父の患者だったんですか?」
「……違います。ただ、ペタに向かう馬車の中にいたおばあさんにそういう話を聞いたので」
「なるほど」
ラルフは鼻からずり落ちた眼鏡を指先でくいと上げた。
「ところでお嬢さん、あなたの名前は?みたところオルステインの方とお見受けしましたが」
「私はミーサ……ミーサ・ベルガー」
「素敵なお名前だ」
ラルフはそう言ってにっこり笑った。
「失礼だが、あなたは我が国に亡命を希望してきた難民ではありませんか?」
ミーサは黙ってうつむく。
「治療の時にあなたの左腕の印を見つけました。オルステイン連邦は確か奴隷保護条約加盟国だ。しかも、どうやら追われていた様子。ということはあなたは不当に拉致された奴隷の可能性があると僕は見たのですが……違いますか?」
ラルフの優しい瞳で見つめられた時、ミーサの緊張の糸が切れた。
この人なら私を助けてくれるかもしれない。
ミーサの心の中に一条の光が差し込んだ。
「……助けてください!」
言葉と共に涙が突然溢れ出してきた。
「追われているんです……このままでは殺される……」
ミーサの脳裏にあの恐ろしい出来事が浮かぶ。
体が震え始め、顔面から血の気が引いた。
「大丈夫。もう、追っ手は来ませんよ」
ラルフは優しい声でミーサに言った。
「……本当ですか?」
「ええ。あなたは死んだことにしてありますから。事実、しばらくあなたの心臓は止まってました。僕と助手たちがあなたを連れ帰り、すぐに蘇生術を施したので、あなたは息を吹き返したんです。それでも蘇生術が間にあわなければ本当に死んでたわけですが」
この青年に逢わなければ本当にあのまま死んでいたのかと思うとミーサは複雑な気分だった。
「しかし、あなたは姿を変えたほうがいい。そのままでは目立ちすぎます」
ミーサはこくりとうなづく。
「髪を亜麻色に染めましょう。瞳はそのままで大丈夫。白い肌で髪が亜麻色ならミヅキの人間で充分通ります」
「でも、この印が……あっ!」
ミーサは左腕を見て思わず声を上げた。
あの、忌まわしい奴隷の印が薄くなっていた。
「今はいろいろな治療法が進んでいるんです。完全に消すことはできませんが、目立たないようにはできるはずです」
「どうやって……」
ミーサはあまりの驚きに声が震えた。
あの忌まわしい印がこんなに薄くなるなんて思いもよらなかったからだ。
「いろいろな薬草と、魔道の力を利用してやってみました。あとはその上からおしろいでも塗れば遠目にはまったくわからなくなるでしょう」
「ありがとうございます。なんとお礼を言ってよいか」
「これも何かの縁ですよ。でも、あなたの体はまだ本調子じゃない。もう少しここで休養しなければ。元気になったら僕がいろいろな手続きをしてあげましょう。あなたは難民として保護され、無事に国に帰れるはずだ」
「そうじゃないんです!」
ミーサは叫んだ。
「私、あるものを取り戻さなければならないんです。あれがないとミヅキとホムルは戦争になってしまう!」
「どういうこと?」
ラルフの表情が変わる。
「ミーサ。あなたは何を知ってるんですか?」
「私は……」
ミーサは戸惑う。
この青年に話していいものだろうか。
「とにかく、戦争が起こっては遅いんです……私、早くいかなければ……」
「ミーサ。残念ですが、それは無理ですよ」
ラルフが困ったような顔をした。
「ホムルは先日、ミヅキに宣戦布告しました。ミヅキもそれを受け入れ、まもなく開戦になります。この国はもうじき戦場になるんです」
━━━━━━━ 遅かった。全ては遅かったのだ。




