14.「無情」
●【14.「無情」】
言い知れぬ無力感がミーサを支配していた。
抵抗は殆どしなかった。
この状況では抵抗などしても無駄だということがわかっていたからだ。
むやみに相手を怒らせれば殺される。
ならば、少しのあいだ我慢すればすむことだ。
永遠に続く責め苦ではない。男の欲求など所詮知れている。
ミーサは諦めて大人しくしていた。
悔しさも、悲しみも今は出してはいけない。それは、却ってこの男の嗜虐心を煽り、楽しませるだけだ。
だからミーサは天井をだけを見ていた。
男の肩越しに見える視界が揺れる。荒い息遣いが聞こえ、汗ばんだ肌が触れるのが少し気持ち悪い。
それだけだ。
こんなこと、なんでもない。
なんでもないんだ。
何も、感じない。
少し我慢すれば終わる。
それだけだ。
自分に何度も言い聞かせながらミーサは自分の体に与えられる嫌な感触に耐えた。
「初めてじゃなかったのか……少し興ざめだな。まあ、考えてみれば当然か。綺麗な娘が奴隷市場に入荷する前に手つかずということはまずありえないしな……」
男はつまらなそうに言うと、更に動きを激しくした。
行為はミーサにとって初めてではなかった。
二年前、盗賊団に襲われた日の夜、首領と呼ばれる男に強姦された時の悔しさと恐ろしさに比べればこんなことはなんでもなかった。
奴隷の印をつけられた時からすでに自分の体は自分のものではない。
奴隷市場から王宮に売られるまでの間にも、何人もの男に自由に扱われた。
いちいち泣いてなどいられない。それでは心が壊れてしまう。
だけど、いっそ心が壊れたほうがよかったのだろうか?
ミーサは時々わからなくなる。
一度汚れてしまえば、もういくら汚れたって平気だ。
そう思えばなんとも思わない。
妙に冷静な自分がいっそ可笑しかった。
ミーサには自分の体の上で喘ぐ男が滑稽に見えた。
視界が変わる。
天井の次は白いシーツを眺めることになった。
相手の顔が見えない分楽だった。
自分の体を支える腕が痛い。
早く解放されたかった。
体のだるさと心の気だるさはミーサをより一層無表情にする。
「人形のように無表情で、声ひとつあげないとは……本当に面白くもなんともない女だ」
吐き捨てるように男は言う。
「所詮、奴隷だな。つまらん時間を過ごしてしまった」
男は吐き捨てるように言うと部屋から出て行った。
やっと、解放された。
脱力感と激しい眠気がミーサを襲う。
目が覚めたらもっと厳しい現実が待っている。でも、今は眠りたかった。
託された大切な手紙は奪われ、自身はここで無残な姿を晒している。
程なく先ほどのクラウという男がやって来て、自分は殺されるか、売られるかするのだろう。
知らせなければならない。
陛下の本当の敵はすぐそばにいる。
陛下が信頼しているあの人が、陛下を裏切っていたことを、どうにかして知らせねばならないのに。
逃げ出す術を考えなければと思う反面、もうどうにでもなればいいという投げやりな気持ちになる。
体がどろどろに疲れ、汚れているせいだ。
きっとそうだ……。
だから、今は少しだけ眠りたい。
あと少しであの人に逢えるかも知れなかったのに。
どうしてこんなところで私はこんな姿でいるのだろう……。
ミーサはやりきれない気分だった。
眠気はうつつの夢を誘う。
夢の中にカイエの姿が現れた。
初めて逢った時、割った皿を一緒に拾い上げてくれて、そして自分をかばってくれたあの人に人知れず好意を持った。
あの人は唯一自分を奴隷として扱わない人だった。
綺麗な黒い瞳と、優しげな声に惹かれた。
国王の侍童。
それが何を意味するのかはよく知っている。
だけど、あの人は国王とそういう関係があるようにはどうしても見えなかった。
優しい人だった。
いつも、優しい目をしている人だと思った。でも、時折とても悲しそうな表情を見せていた。
何かを憂いている。大きな悲しみを背負っているように見えた。
自分に出来ることなど何も無い。
彼の悲しみを癒すことも、分け合うことも。
だけど、ほんのひとときの慰めをと思い、彼の前では歌を歌い、いつも明るく振舞ってきた。
自分だけに見せる笑顔……その一瞬の笑顔が欲しくて。
私の過去など知られたくない。
汚れた自分は隠さなければならない。
どんなにつらいときでも、泣きたくて堪らない時でも、彼の前では明るく朗らかなミーサでいなければならなかったから。
下働きの部屋から侍童付きの世話係になったことを妬まれ、同じ奴隷の女たちから人知れず苛めを受けたこともある。
自分のせいではないことにまで気を配らなければならない修羅のような毎日。
だけど、そんなことおくびにも出さない。知られはしない。
荒れてかさつき血を流す手に夜の間に必死に油を塗り、労働の苛酷さを隠した。
彼が心配しないように。彼が悲しまないように。
身分違い。
それもわきまえていた。
ただ、近くにいられるだけで幸せだったのに。
ある日突然彼は消えた。
ミヅキの国王かもしれない。
そう聞かされた時、複雑な気分だった。
彼がもっと遠い場所に去ってしまったようで。
それでも嬉しかった。
逢えるかもしれないことが。
解放されたことを伝えたら、きっと彼が喜んでくれる。
でも、もうおしまいだ。
もう、眠りたい。
このまま、目がさめなければいいのに……。
ミーサのその願いは叶わなかった。
ドアが乱暴に開き、クラウが入ってきた。
「起きろ」
クラウはミーサの髪をつかんで乱暴に起こす。
「お前は今から娼館に売る。手続きがあるからニ〜三日ここに滞在するがな。まあ、その間は私の部下どもの相手でもしてやってくれ」
シーツを被せられ、強引に部屋から引きずり出される。
隣の部屋には十人以上の男たちがいた。
皆、ぎらぎらとした目でミーサを見ていた。
「この女を与える。好きにしていいぞ。ただ、明後日には娼館に売るから体に傷だけはつけるな」
死刑宣告。
ミーサにとってはまさに死刑宣告だった。
こんな多くの男の相手をさせられたら心が完全に壊れてしまう。
━━━━━━━ 助けて!
ミーサは咄嗟に逃げた。
クラウを渾身の力で突き飛ばし、全力で走った。
体にシーツを巻きつけただけの姿。
殆ど裸同然だったが構わなかった。
偶然にも開いていた扉から外に飛び出す。
外を歩いていた人々が何事かと慌てて道を開ける。
大通りに飛び出した時、背後から「危ない!」という叫び声が聞こえた。
衝撃。
ミーサは空中高く跳ね上げられた。
大通りを走っていた馬車が彼女をはねたのだ。
鈍い音を立ててミーサの体が道路に落ちる。
赤い血がじわりと彼女の周りを染めていく。
人々の悲鳴が上がった。
出血は酷かった。
「あー。これは死んだな」
人々が眉を顰めてひそひそ話す。
ミーサを追ってきた男たちは肩を竦めて戻っていった。
死んだ娘に興味は無い。そういうことだろう。
━━━━━━━ やっと、楽になれる?
痛みは感じなかった。
ただ、体の感覚がなくなっていき、手足が冷たくなってきた。
私はたぶん死ぬのだろう。
もうこれで本当に自由になる。
つらいことはもう終わり。
ミーサは幸せだった。
でも、最後にもういちどだけあの人に会いたかったな……。
ミーサは薄れてゆく意識の底で、カイエの笑顔を見ていた。




