13.「受難」
●【13.「受難」】
ミーサは揺れる馬車の中で流れる景色を見つめていた。
またこうしてガラール砂漠を超えることになるとは思わなかった。
奴隷として売られてきた二年前、もう自分の一生は終ったのだと鉄格子の嵌った馬車の小さな窓からこの砂漠を眺めた。
もう二度と逃げられない。この砂漠を越えて外へ出ることはもう二度とないのだと諦めながら涙で滲む砂ばかりの景色を見ていたことを思い出す。
でも、今はこうして自由の身。
国王に保証されたお墨付きの自由だ。
左腕に彫り込まれた忌まわしい奴隷の印は消えないけれど、それでもミーサの心は晴れていた。
自分を信じてくれたエーレウスのためにも何としてでもカイエに逢おうとミーサは決意していた。
揺れも少なく、移動する馬車に乗っているということを殆ど感じないほど、この旅は快適だった。
相乗りする客はみな物言わずそれぞれ思い思いに過ごしている。
厚い本を一心に読んでいる男。
針と糸を器用に操り、刺繍をしている少女。
うとうととうたた寝をしている老婦人。
袋から甘そうな菓子を取り出し、むしゃむしゃと食べつづけている太った中年の男。
みな、身なりがいい。
ここはキャラバンの旅客部隊の中でも最も早いと言われる特急隊の馬車の中。
急ぎの旅人だけを乗せ、通常の二倍の速さで移動するのだ。
ビニシウスの商都会議事務所で、エーレウスの手紙を読んだ所長は、ミーサを特別待遇で扱った。
乗った馬車は特急隊の馬車の中でも一番快適な一等車だった。
生まれてこの方こんな待遇を受けたことがなかったミーサは驚いていた。
エーレウスはどういう内容の手紙を書いたのだろう。内容はわからなかったが、商都会議事務所の所長の態度がやたら慇懃だったのを考えると、王の権力というのはやはり凄いものらしいと改めて感じさせられた。
馬車はそろそろガラール砂漠を抜けかけていた。
少しづつではあるが、一面の砂ばかりの景色は減ってきて、その代わり赤茶けた色の木々が見られるようになった。
乾燥に強い潅木等だ。ミヅキとホムルの国境、ゾデイア地方が近い。
ミーサは日よけの黒いフードを目深にかぶり、目立つ干し草色の髪を隠し、俯き加減で目を伏せて座っていた。
ミーサもホムルの衣装スクートを着ているが、マントを着て肌の露出を極力避けている。左腕にはあの青いバンダナがしっかりと巻かれている。
本来この場に奴隷の身分の者がいることはありえない。
すでに自由の身であるミーサだが、左腕の印があるかぎり、奴隷として見られることは避けられない。さらに、この国では白い肌のミーサは目立つのでよけい彼女は厚着をしなければならなかった。
ホムルの暑さはそんなミーサから体力を奪う。
ただでさえ暑いのにこんな厚着をしているのだから無理もない。
ガラール砂漠を抜け、ゾディア地方にはいれば少し楽になる。それまでの我慢だった。
「お嬢さんはどちらへ?」
突然、向かい側に座る老婦人がミーサに話しかけてきた。
「ジャラクです」
「ジャラク?ミヅキ国内には入れないでしょう?」
「家族面会のためなので、面会許可証を持っています」
「ああ、なるほど……では、あちらにいるご家族に会いに行かれるのね?」
「……ええ」
ミーサは小さくうなづいた。
ミヅキとホムルは国交を断絶しているため、ホムル人の旅人は特別な旅券がなければジャラクに入れない。
キャラバンもジャラクの街の中には入れないので、ジャラクの近くで市を立てる。
ただ、ミヅキに家族や親戚縁者持つホムル人も多く、彼らだけは家族とジャラクで逢うことを許されている。
誰かに行く先を聞かれたらそう答えるようにとエーレウスに入れ智恵されたのだ。
「私はペタにある診療所に治療に行くの。もう何十年もかかっていたミヅキ人のお医者様が定期的に診て下さるから」
「そうなんですか……」
「神経痛の持病を持っているのよ。ミヅキにいたいいお医者様に長年かかっていたのだけれど、国交がなくなってしまったでしょう?だから、先生はホムルから来る患者のためにと月に二度だけペタまで往診にいらっしゃるの。本当にありがたい話よ」
そう言って老婦人は腕をかるくさすった。痛むのかもしれなかった。
ペタはもともとミヅキの領地だ。
ここはニ年前の侵攻でホムルに占領されている。ジャラクより少し南にあり、本来はここが国境の街だった。しかし、ミヅキはこの街の一方的占領を認めておらず、今でも希に小さな戦闘が起こることがあり、あまり治安のいい場所とは言えなかったが、ミヅキとホムルの庶民レベルでの交流はこの街では盛んに行われており、商取引や、さきほどの老婦人のように出張診療などが行われている。
度重なる戦闘が行われたことを重く見た竜王教総本山は一年半前、竜王教法王が二国間に介入し、ペタを竜王教直轄地として中立地区とすることを提案し、両国を一応納得させた。
そのため現在のペタはどちらの領地にも入っていないので実質的には中立地帯だ。
彩岩楼皇国に本拠を置く竜王教総本山は絶対的な権力を持っている。
二年に一度、神官長会議を行い、二十年に一度、法王を五人の神官長の中から決定する。
現在は彩岩楼皇国の黒竜ヤパンの神官長が法王だ。
法王は各国の紛争等に介入する力を持ち、時には法王特令を発して戦闘地域を直轄地として中立地帯とさせることもある。
一時的な強制力しかもたないが、その間に紛争を起こしている国同士の王の会談で平和的に解決させるためだ。
そして、ペタもそんな特令を受けた場所だった。
老婦人と話をしているうちに馬車はひんやりとしたゾディア樹海を抜け、視界が一気に明るくなる。
緑が豊かで温暖な地域。もうミヅキ領内だ。
「もうすぐペタよ。ジャラクに行く前にここで少し休憩を取るようだけど、あなたは降りるの?」
老婦人はミーサに尋ねた。
「ジャラクはまだ遠いでしょうか?」
「そうね。ペタから更に半日ぐらいね」
喉が渇いたし少しお腹もすいたので、ミーサはペタで一旦降りることにした。
診療所に行くという老婦人と別れ、ミーサはペタの街の中をあてもなく歩いた。
食事をとろうと一軒の店に入ろうとした時、いきなり背後から誰かにぶつかられた。
「あっ!」
よろけて転んだミーサは立ち上がった時、肩にかけていた鞄が持ち去られたことに気付いた。
「待って!」
ミーサの鞄を持った男は細い路地に消えてゆく。
あの鞄の中には旅費が入っている。エーレウスから託された手紙は懐の中にあるので無事だが、お金を持たずに旅をすることはできない。目指すミヅキの王宮はまだ遠いのだ。
ミーサは急いで男を追って路地に入る。
人気の全く無い暗い路地。あちらこちらに曲がり角がある。ここで見失うともう見つけられない。
「うっ」
いくつめかの曲がり角に来た時、曲がり角から急に伸びた太い腕に抱きとめられていた。同時に口を押さえられ、彼女の小柄な体は巨体の男に軽々と抱え上げられた。
「うーっ!」
ミーサは自分の身に何が起こったかわからなかった。
「上手くいったか?」
「ばっちりだ」
「よし。引上げよう」
ミーサは抱え上げられた巨漢の肩越しに先ほど自分の鞄を掏りとった男の姿を見た。
この男たちはぐるだったのだ。
「うー!ううーっ!」
ミーサは必死でもがいた。
「煩いし暴れるぞ、この女」
「大人しくさせろ」
次の瞬間、ミーサは腹に衝撃を感じ、そのまま意識を失っていた。
腹部に鈍い痛みを感じた。
胃の奥から吐き気がこみあげてくる。
ぼんやりした視界がだんだんはっきりしてくると、机の脚や、何人かの人の足が見えてきた。
顔のすぐ下には汚い床板があり、自分は床に転がされているのだと気付いた。
両手足は縛られ、自由が利かない。口には猿轡が嵌められていた。
「目を覚ましたか」
低い男の声がする。
次に男の顔が間近に近づいて来た。
全身を漆黒の衣で包んだ男。左目尻に目立つほくろがあった。
男はミーサの猿轡を外した。
「国王から何か預かっているはずだろう?お前の鞄の中にはなかった。どこにやった」
「……知らない」
「奴隷の癖に生意気な口叩くんじゃねえ」
鋭い痛みが腹部に走り、ミーサはうめいた。男が彼女の腹を蹴ったのだ。
「お前が国王から何か預かってるのは判ってるんだ。大人しく吐かないとその綺麗な顔がめちゃくちゃになるぞ?」
しかし、ミーサは頑なに口を開こうとしなかった。
男はミーサの両頬を何度か平手で殴る。
頬は赤く腫れ、唇の端が切れて血が滲んだ。
「子供だと思って手加減したが、なめられたもんだな。私も……では仕方ない」
そう言うと男はミーサの服の襟に手をかけ、一気に服を引き裂いた。
もともと薄手の布で出来たスクートはあっさりと破れ、ミーサの小ぶりの胸が露になった。それと同時に懐に入れていた三通の封筒が床に落ちる。
「嫌!やめて」
ミーサは叫んだが、煩いと言われまた頬を殴られた。
「やっぱりここにあったか。手間かけさせやがって」
「それぐらいにしておけクラウ。あまり殴ると見栄えが悪くなる」
奥の部屋から聞き覚えのある男の声がした。
確かに聞き覚えがあるのだが、誰の声かが思い出せなかった。
奥の部屋は暗く、男の姿は見えない。
クラウと呼ばれた男は二通の封筒を男のもとに持ってゆく。
「やめて!それは……」
ミーサが悲痛な声を上げる。
封が開けられる音と紙がこすれる音がした。
「やはりな。監視をつけていて正解だった。こんなものがミヅキの王のところへ渡っては困るのだ。この白い封筒の方の内容を書き換えて正式な使者からの通達ということでミヅキ国王に届けさせよ。陛下とそっくりな筆跡の者を手配できるか?」
「はい。お任せを。もう一通の方はいかが致しましょう?」
「処分しろ」
「わかりました。この奴隷女はいかが致しましょう」
「知れたことよ」
低い笑いが漏れる。
「それは気がつきませんで。どうぞごゆっくり……」
「そのあとは好きにするがいい。喉を潰してから娼館へ売るか、いっそ始末してもいい」
クラウは二通の手紙を持って部屋を出て行った。
「さて……」
男が奥の部屋から出てくる。
その男の姿を見たミーサの表情が凍りついた。
信じられなかった。
これではあまりにもエーレウスが不憫だ。
「そんな……閣下がなぜ……」
放心状態のミーサに男はゆっくり近づいてきた。
「お前には以前から目をつけていたんだ。さあ、じっくり楽しませてもらおうか」
男は薄笑いを浮かべ、暴れるミーサの体を難なく抱きかかえると奥の部屋へ消えた。




