5.「告白」
●【5.「告白」】
魔道士団長の部屋は質素な作りだった。
部屋はそれなりの広さのはずだったが、とても狭苦しく感じられた。
それは、大量の本のせいだった。
所狭しと置かれた本棚にはびっしりと本が並べられている。テーブルや棚の上にも収納しきれないほどの量の本が積み上げられている。
本以外のものは殆どないといっていい部屋だった。
魔道に関する研究書が主たるものだったが、その他にも医学、薬学、武器関係の本、民族史や歴史書、ありとあらゆる本があった。
まるでちょっとした私設図書館のようだ。
本に占領された部屋の奥にはカーテンで間仕切りされた一角があり、そこがラドリの生活の場だった。
カーテンの向こうから小さな声がした。
「殿下。こちらです」
カイエはその声に導かれ、カーテンをそっと開けた。
「失礼します。ラドリ先生」
カーテンを開けると、そこは人ひとりが漸く生活できる程度の小さな空間だった。
明るい日差しが差し込む窓際にはベッド。衣類を収納するためのクローゼット。
ベッドサイドに小さな椅子とテーブルが置かれ、テーブルの上には飲みかけの銀薄荷茶が入ったカップが湯気をたてており、その隣にはなにやら薬らしき液体の入った瓶が一緒に置かれていた。
「殿下、こんな格好で失礼致します」
老魔道士は窓際にあるベッドに半身を起こした状態で座っていた。
「ラドリ先生。どうなさったのです?お加減でも悪いのですか?」
「先日から体調を崩しましてね。でも、ご心配なさらないで下さい。私なら大丈夫ですから」
ラドリは穏やかな笑顔を見せた。
「ならいいのですが」
カイエは心配そうにラドリの傍に近づき、ベッドサイドの小さな椅子に腰をかけた。
「急にご帰国を急がせて申し訳ありませんでした、殿下」
「……いえ」
「私はどうしても殿下にお話したいことがありました。それで、急遽お帰りいただいたのです。急なことで、殿下にもいろいろとあったかと思いますが、戻って頂けて本当に嬉しいです」
カイエの脳裏に一瞬だけエーレウスの顔が浮かぶ。
しかし、カイエは頭を軽く振ってその面影を振り落とした。
エーレウスのことを考えると気持ちが重くなる。
ラドリの前で、憂いた表情を見せるわけにはいかなかった。
「本当にご無事でよかった……ホムルではさぞご苦労なさったでしょう」
「先生のお力添えで僕は無事にここへ戻れたのです。いくら感謝をしても足りません。本当にありがとうございました」
カイエはラドリに向かって深く頭を下げる。
「どうか頭を上げてください。殿下」
そう言いつつ、ラドリは何度か小さな咳をした。
「本当はもっと準備をして頂いてからのご帰国がよかったのでしょうが、そうも言ってられぬ事情ができまして……どうか私の最後の我儘だと思い、お許しいただければ……」
「先生。最後だなんて縁起でもないことは仰らないで下さい。それより少しお休みになったほうが……お話はまた後日でよろしいでしょう?」
カイエはラドリの背中をさすった。
「いえ、殿下。もうあまり時間が無いのです」
「時間がない……先日も先生はそう仰っておられましたよね。いったいどういうことなんですか?」
「私の命の時間はもうまもなく終わりに近づいています。私の命が尽きるその前に、殿下にどうしてもお話しておきたいことがあったのです」
それを聞いてカイエの顔色が変わる。
「縁起でもない……そんなこと仰らないで下さい!先生のご病気を治すためなら僕はどんなことでもします。どんな遠くからでも医師を呼びましょう。どんな高価な薬でも買いましょう」
「いいえ、殿下……」
ラドリは静かに首を横に振った。
「病気はきっかけに過ぎません。病気が治っても、どのみち私の役目はそろそろ終わりなのです。私の罪は許され、やっと安らかな眠りを許されるのですから。どうかこのまま眠らせてください……」
「先生……いったいどういうことなんですか」
困惑するカイエにラドリは穏やかな笑みを向ける。
「殿下。私の年齢がいくつか、殿下はご存知でしょうか?」
そういわれれば、ラドリがいくつであるかカイエはよく知らなかった。
見た目は七〜八十歳そこらに見える。いずれにしてもかなりの高齢だとは思う。
「私の本当の年齢は今年で六百八十歳です」
「えっ!」
ソーナ族は確かに長命な種族だ。
その寿命の平均は百五十歳と言われている。
しかし、その長命なソーナ族であったとしても、六百八十という年齢は異常だ。
「殿下。これから先、お話することは、どうか殿下の胸の中にだけおとどめください。よろしいですか?」
ラドリのいつになく真剣な眼差しに、カイエは困惑しつつも首を縦に振った。
「私の本当の名前は、ラドリアス・ドルーア・エルフォス・ソーナ。今はなきソーナ国の最後の王でした……」
突然の告白にカイエは息を呑んだ。
「まさか……ソーナ国は五百年も前に滅んだのですよ」
「嘘ではありません。私はソーナの最後の王。国を滅亡に追いやり、竜王の怒りを買い、本当の意味での死を禁じられた愚かな王なのです」
カイエはまだ信じられなかった。
しかし、ラドリの真剣な表情は冗談を言っているようにも、嘘をついているようにもみえなかった。
では本当に、滅亡したソーナ国の最後の王がここにいるというのか。
「私は竜王アヴィエールへの償いのため、償いを終えるまで、『本当の意味での死』を禁じられるという定めを科せられたのです」
「償い……」
「そうです。竜王を怒らせ、ソーナを滅亡に導いてしまった愚かな私の行いの報いは、永遠とも言える命でした……前の人生の記憶を持ったまま何度も生まれ、死を迎えた次の瞬間、また別の体を与えられて違う一生を送る……その繰り返しです。体は死にますがそれはほんの一瞬。眠って目が醒めたら私は別の体を持った赤子になっているのです」
「そ……そんな。先生が罪びとだなんて僕には信じられません。先生はいつも正しい道を僕に説かれました。そんな先生が愚かな行いをするはずがない。そんなの嘘です!僕は信じません」
カイエは激しく首を横に振る。
ラドリを心から尊敬していたカイエにとって、この告白の衝撃は大きすぎた。
「殿下。私の罪は重かったのです。昔、我がソーナ国の繁栄は頂点を極めました。ソーナの魔道は竜王の力をも越えるものだと私は真剣に思っていたのです。私は竜王教の信仰を国民に止めさせ、魔道を極め、魔道で世界を支配する野望に取り付かれたのです。そして、竜王はそんな私の行いを許しませんでした」
ラドリは静かにそう言い、まるでそこに誰かがいるかのように虚空を見つめていた。
「先生が……先生がそんなことを考えるなんて僕にはどうしても信じられません」
「殿下。これは本当のことなのです。動かしようの無い事実なのです」
ラドリはきっぱりと言う。
「竜王は、私の国を一夜のうちに滅亡させました。多くの命が失われ、私の国は鏡湖の底へ沈みました」
伝説は本当だったというのか。
竜王の怒りに触れたソーナ国は一夜にして鏡湖の底へ沈んだという伝説は。
「先生がいったい何を……僕はやっぱりまだ信じられません。お願いです先生。どうか嘘だと言ってください。僕は信じたくありません」
「殿下……殿下の私に対する思いを踏みにじるようなことをお話するのは心苦しい……しかし、だからこそ殿下には真実を知っていただきたかった……同じく、竜王の裁きを受けた者として」
カイエの顔色が変わった。
「……ご存知なのですか?先生」
カイエは俯き、両手の拳をぎゅっと握り締める。
「知っています。桜翁が私に全て話してくれました」
「桜翁様が……」
カイエは胸の桜の花弁の痣があるあたりをそっと手で押さえた。
「桜翁はもともと鏡湖のほとりにあった大樹でした。今の場所には、ソーナが滅んだ時に私が移したのです」
「えっ!そうなのですか?」
カイエは新たに知った真実に驚いていた。
桜翁はミヅキの国樹だ。昔からあの桜翁の森にあるものだとカイエは信じて疑わなかった。しかし、桜翁はかつて、ソーナのものだったのだ……。
「私たちは『竜の魔法の鱗』と呼ばれる特殊な種族です。その本来の役目は女神デーデと竜王に仕えることでした。特殊な力を与えられたのは、女神と女神のしもべである草木の王である桜翁と同じく、竜王の領国の人間達と竜王の橋渡しをするために授かったものでした」
魔道の由来を改めて聞いたカイエは驚いていた。
「我々ソーナ族は神話の時代、黄土大陸に住んでいました。そしてまだ若木だった桜翁の世話をして暮していたのです。みな、あの桜の妖精が好きでした。だから本当に大切に守り、育てていたのです」
ラドリは懐かしそうに静かに微笑んでいる。
「はじめて聞きました……そんな話」
「ソーナ族と桜翁は神話の時代、桜翁がまだ西の彩岩楼の痩せた土地に女神デーデによって植えられたばかりの苗木だった頃からのつきあいなのですよ」
その時、開いた窓から桜の花弁が風に吹かれてラドリのベッドへと降り注いだ。
「……桜翁も来ておるようだ……私の最後の話を聞きに」
「先生……」
桜翁は姿を現さなかった。
しかし、その気配はカイエにも感じられた。
桜翁はラドリのすぐ近くにいる……カイエにはそう思えた。
「その後、世界的な気候の変化で黄土大陸の南部が砂漠に覆い尽くされ、枯れ死にかけていた桜翁を守るため、我らの祖先は女神のお許しを得て、水が豊富な竜王アヴィエールの領国へ桜翁を移し、我らソーナ族も鏡湖の湖畔へ移住し、国を作りました。そういういきさつで、桜翁と我らソーナ族は神話の時代からの親友なのです……」
「そうだったのですか……」
「桜翁は代々のソーナの王のよき友でした。ソーナが滅んだ時、私は命からがら逃げ出し、桜翁が鏡湖の底へ沈まぬよう、持てる力を全て使って、今の場所に桜翁の木を移したのです。桜翁までも私の罪に巻き込むことはならないと思ったので……」
ラドリが何かを思い出すように微笑むと、ラドリの肩にどこからともなく桜の花弁が降り注いだ。
まるで桜翁が相槌を打っているようだとカイエは感じた。
「桜翁は竜王に私に罪の償いができる機会を与えてくれるよう願い出てくれました。女神のしもべである自分の命を救い、慈しみ、水が豊富で豊かな土地に移し、守ってくれた代々のソーナ王に免じ、どうか罪を償う機会を与えて欲しいと竜王にとりなしてくれたのです」
カイエが桜翁の森へ行ったとき、なぜに桜翁がラドリを知っている風に振舞ったのか、そしてなぜ桜翁を召喚する方法をラドリが知っていたのかということはカイエも不思議に思っていたが、そういうことだったのかとカイエは改めて驚いていた。
「先生はいったい、どんなことをなさったのですか?教えてください……」
「お聞きになりたいですか?」
「はい」
しばらくラドリは黙っていた。
そして、ゆっくりと言った。
「では、お話しましょう……我が過ちを……忌むべき記憶を」




