3.「贖罪」
●【3.「贖罪」】
ビニシウスの街門ではエフィが待っていた。
他に迎えの者はなく、エフィは身分を偽るための神官服を着ていた。
二人を乗せた二頭の馬は連れ立って灼熱のガラール砂漠を二日かけて走り抜け、やがてミヅキの国境まで戻ってきた。
ゾディア川の橋を渡ればもうミヅキ国だ。
ホムルへ行く時はぼろぼろになりながらこの川を渡ったことを思い出す。
そして、忘れてはいけないもうひとつの記憶も。
いつもは穏やかなこの川の怒りに飲み込まれ、多くの人々が死んだ。
彼らは川の怒りに触れぬよう、安全な場所に居たはずだった。
しかし、それをカイエが故意に崩した。
あの時カイエが余計なことをしなければ、いまもホムルで家族や友人と笑い、幸せに暮すことのできた人たちだった。
それを思うと、カイエは果てしない後悔に襲われる。
なんて恐ろしいことをしてしまったのか。
罪の大きさが、重さが、カイエに容赦なくのしかかってくる。
してしまったことは大きくて、重くて。
カイエの過ちにより失われたものは数え切れなくて。
失われたものは命ばかりではない。
多くの人々の涙、悲しみ、怒り。
失われた命に寄せる家族や友人達の嘆きの想い。
あまりに重すぎる罪を本当に自分は償っていけるのか。
この場所に来ると、その思いは一層強くなる。
カイエは竜王に自ら言った言葉すらも慙愧に堪えなかった。
それでもカイエはこの重い罪から逃げ出すことは許されない。
いや、逃げることすら考えてはいけないと、恐怖に怯える心を自ら叱り付けた。
ゾディア川の橋が見えてきた。
国境の川。
ここを超えれば懐かしいミヅキ国。
カイエは振り返る。
ガラール砂漠はもうとうの昔に見えなくなっていたが、南の方を振り返れば、深い緑の山影の合間から砂混じりの暖かい風が吹いてくる。
たった一年足らずだったが、カイエにとってホムルはいろいろな思いを残す場所となった。
次にこの地に足を踏み入れるとき、自分はどういう立場だろうか?
ホムル国王の友人としてか?
それとも、敵としてか……。
ホムル側の川岸には真新しい慰霊碑が建っていた。
━━━━━━━道行き半ばにして命を落とした者たちに竜王も涙を捧ぐだろう
黒曜石で作られた慰霊碑には金色の刻印でそう書かれ、その下には事故の起こった日付と犠牲者の名前が連ねられていた。
カイエは立ち止まり、慰霊碑に黙祷を捧げた。
エフィはそっとその場を離れた。
カイエを一人にしておいたほうがいいと考えたからだ。
慰霊碑は雨風に晒されて少し汚れていた。
鞄から清潔な手ぬぐいを出し、カイエは慰霊碑の汚れを綺麗に拭き取った。
黒曜石は輝きを取り戻し、カイエの顔を暗い色合いでその表面に映し出した。
カイエは犠牲者の名前ひとつひとつを指でなぞる。
このひとつひとつの名前が自分の犯した罪だ。
決して忘れない。そして、もう二度と過ちは犯さない。
失われた命は戻ることはないが、この命のぶんだけ自分にできる限りの償いはする。
そのためならこの身がばらばらに引き裂かれても後悔はしない。
竜王に誓ったのだ。全ての罪を残さず受けると。
竜王ガイアルはカイエに言った。
━━━━━━━これから与えられる報いから逃げ出さず全てを甘んじて受けよ。全てが終わればそなたはきっと罪の螺旋から開放されるだろう━━━━━━━
本当はとても、怖い。
今すぐこの場で命を絶ちたい。
そうすれば楽になれるだろう。逃げられるだろう。
一瞬だけそんな気持ちが頭を掠める。
腰に下げた短剣に手をのばし、一瞬で喉を掻き切ることができればどれだけ幸せか。
でも、それではだめだ。
そんなことでは許されない。
死による安らぎさえ与えられないと竜王はカイエに言った。
自分が死んでも何も変わらない。
永劫の罪の炎に魂を焼かれつづけても、残るは終わりの無い後悔だけ。
それでは何も、救われない。
自分ばかりか、死んでいった多くの命も。
だから、逃げない。
報いからは決して、逃げない。
カイエは犠牲者の名前の中にナラの名前を見つけた。
ナラから託されたペンダントはカイエの胸元にまだ光っている。
「僕はあなたを忘れない。いつか、僕の罪が許されるその日まで、あなたの命は僕の中に共にあります……」
カイエは慰霊碑の前に跪き、また、長い祈りを捧げた。
ドリア渓谷に入るとミヅキ王家の紋章をつけた黒塗りの四頭だての馬車がひっそりとカイエを待っていた。
カイエは馬車に乗り込む前に、胸の痣の力を使い、姿を元に戻した。
艶やかな黒髪は優しい色合いの亜麻色に。
黒曜石のような瞳は春の野のような淡い緑色に。
健康そうな褐色の肌は柔らかな白い肌に。
すっかり、もとのカイエの姿だった。
スクートを脱ぎ、ミヅキの王族の衣装を纏うと気持ちが引き締まるような気がした。
馬車に乗り込むと、タチバナ侍従長が馬車の中で待っていた。
「殿下。お帰りをお待ちしておりました」
「ありがとう、タチバナ。でも、わざわざこんなところまで来なくてもよかったのに」
「殿下にお会いするのが待ちきれなくて、来てしまいました」
タチバナは照れくさそうに言った。
「ありがとう。僕もまた会えて嬉しいよ」
「ありがとうございます」
エフィが馬車を先導し、カイエはタチバナ侍従長と二人で馬車に揺られた。
道中、カイエはタチバナ侍従長と様々な話をした。
彼は興味深くカイエのホムルでの話を聞き、時には大げさに驚いたり、涙ぐんだり、微笑んだりした。
侍従長は多少反応が大げさなところがあって、王宮に居た頃のカイエは彼のそういうところが少し苦手だった。
だけど、今はそれすら微笑ましく感じる。自分への暖かな想いが感じられるからだ。
忠誠を超えた想いを。我が子と同じようにカイエを心配し、気遣ってくれる心を。
そういった人の少しの気遣いに気付く目を持つようになった自分に、カイエは少し戸惑っていた。
侍従長はそんなカイエに「ご立派に成長なさいました」と言うのだが、これが成長というものなのだろうか。
そう言われるとカイエは少し、照れくさい気持ちになった。
馬車はゾディア地方を抜け、ジャラクに差しかかった。
カイエは王宮へ戻る前に、ジャラクの街に立ち寄ることを希望した。
カイエが訪ねた先はジャラクの診療所だった。
ここには今も昏睡の眠りから覚めぬリドリーがいる。
リドリーは穏やかな顔をして眠っていた。
カイエは眠るリドリーの手を取り、許しを乞うように膝をつき、頭を垂れた。
「僕は君に酷いことをした。謝ってすむようなことではないけれど、僕は生涯かけて君のこれからの人生を全力で守ることを誓う」
それから、カイエはリドリーに宛てた長い手紙を書いた。
そこには自分が知る限りのリドリーの情報を書き留めておいた。そして、彼がなぜ記憶を無くしたのか、その理由も詳細に書いた。
懺悔の言葉も書ききれないぐらい書いた。
許してもらえないことはわかっていたが、それでも書かずにいられなかった。
もしも目が覚めて、この手紙を読んだらすぐにミヅキの王宮を訪ねること、そしてその暁にはリドリーがその生涯を終えるまで充分な保障を与えること、親族、友人に必ず引き合わせることを約束することを書き入れた。
カイエはこの手紙を診療所の医師に託した。
もしも、リドリーの目が醒めたら、この手紙を必ず読ませるようにと。そして、その時にはホムル=ドラゴン舞踊団にいるルナロータ・セラムという少女にに必ず連絡を入れるようにと言付けた。
幼なじみを探していた彼女の陽気な笑顔が浮かぶ。
彼女の大切な幼なじみを返してあげたい。
今、カイエにできることはそれぐらいしかなかったけれど。
ジャラクの街を出て、ミヅキ王宮のある首都、アヴェリアに向かう。
カイエがやらなければならないことは、まだこれから沢山あるのだ。




