2.「残されたもの」
●【2.「残されたもの」】
「ほんの二時間ほど前よ。カイエがここへやってきたのは」
エーレウスはフェリシダドが出した銀薄荷茶を一口だけ飲み、目の前で湯気をたてている焼きたてのマフィンを悲しげに見つめながら話を聞いていた。
「店を閉店して、片付けているときにカイエがやってきたわ。旅装をしてたからどこかへいくのかと思ったわ」
「カイエは何か言ってた?」
「ええ。急に故郷へ帰らなければならなくなったと」
「いつ、帰るとか言ってた?」
フェリシダドは無言で首を横に振った。
「カイエの故郷はどこなんだ?聞いてないのか?」
「知らないわ」
「やはり、帰らないつもりだったのか……」
エーレウスはカイエの残した書き置きを握り締めた。
━━━━━━━フェリシダドの店へ。
紙に書かれていたのはそれだけだったのだ。
「カイエはある人との約束で、どうしても行かなければならなくなったと私に言ったわ。もう、帰ることはない。エーレウスによろしく伝えてほしいと」
「……それだけ、なのか?」
「それだけよ」
「ある人って誰なんだ。カイエはどこへいったんだ。フェリシダドが聞いてない筈が無い。知ってるんだろう?なぜ俺に教えてくれない」
エーレウスの表情は焦りを隠し切れなかった。
「本当に、知らないものはしらないのよ……エーレ」
「うそだ……」
エーレウスはぎゅっと目をつぶり、首を激しく横に振る。
「うそだ……フェリシダドは嘘をついている……」
フェリシダドは本当の理由を知っていた。
カイエの正体も。帰国してまもなく王位に着くことも。
彼の師である魔道士団長との約束により、急に帰国しなければならなくなったことも。
そして、なによりも自分がいなくなった後のエーレウスの事をカイエが心から心配していたことも。
だけど、それを口にすることは出来ない。
それがカイエの意思であり、フェリシダドに頼んだ本当の伝言だった。
何があっても自分の正体を明かさないで欲しい、行き先を言わないで欲しいと。
たとえエーレウスが怒り、嘆き、失望したとしても。
明らかに苛立っているエーレウスを見るのはフェリシダドとしても本意ではなかったが、フェリシダドはカイエとの約束を守り、しらを切りとおすことにした。
「本当に知らないのよ……それに、たとえば私が知っていたとしても……どうなるというの?エーレ」
「一言ぐらい言ってくれてもいいじゃないか。そう思わないか?」
しかし、エーレウスの訴えかけにフェリシダドは困ったような顔をするばかりだ。
「カイエがどこへ行くかを知ってどうするつもりなの?」
「追っていく」
「どうして?」
「あたりまえだろ?親友だからさ」
「それは変よ。エーレ」
「変なものか!何か困ったことがあったなら相談してくれたっていいだろう?」
「それはそうだけど……」
「あいつがもし、金に困ったのなら金を出すことができる。もし、何か悪い奴等に脅されているならそれを退ける力が今の俺にはある。俺は国王だ。大抵のことはできるんだ」
その言葉を聞いたフェリシダドの顔が曇る。
「それは驕りよ、エーレ。そういうことを言うものではないわ」
フェリシダドは少し強い口調でそう言った。
「その言葉、カイエが聞いたら悲しむわよ」
「……でも、使えるものを使って何が悪いんだ?」
フェリシダドはエーレウスを諭すように話す。
「その権力はあなたが自力で勝ち取ったもの?違うでしょう?父親から譲り受けた地位でしかないわ。しかも、エーレはその地位を望んでいなかったのでしょう?なのにどうしてそんなことを言えるの。あなたはいつからそんなことを考えるようになってしまったの?」
フェリシダドにそう言われてエーレウスははたと我に帰る。
「……ごめん……そんなつもりじゃなかったんだ。ただ、もしこの力でカイエがどこにも行かなくてすむようになるなら……と思っただけなんだ」
「そんなに……嫌なの?カイエが居なくなることが」
エーレウスはこくりとうなづいた。
「嫌なんだ……せっかく、心から信頼できる友達ができたのに」
俯いていたエーレウスが顔をあげた。
涙が一筋だけ、その頬に伝っている。フェリシダドは心が締め付けられる思いだった。
フェリシダドはエーレウスの泣き顔をもう随分長いこと見ていない。
幼い頃、母のもとに帰りたいと泣いて以来、ずっと泣いたことのない子だった。
感情を心の奥底に閉じ込め、仮面のような無表情をずっと通してきた子だった。
そんなエーレウスに涙を流させるほどカイエの不在は彼にとって不安をもたらす事なのだ。
「やはり僕はカイエに見捨てられたのか」
エーレウスは消え入りそうな声でぽつんと漏らす。
「なぜ、そんな風に思うの?」
「だって……親友なのに……カイエは俺に何も言わないなんて」
エーレウスの声は震えていた。
フェリシダドは彼を宥めるように、優しく声をかける。
「親友だと言えないことがあってはいけないの?」
「そんなことはないけど……隠し事するなんて水臭いと思うし、俺のことが信用されてないのかと……」
「そうかしら?」
フェリシダドはゆっくりと目を伏せる。
「親友だからこそ、言えない事だってあると思うわ」
エーレウスはうつむいたまま、自分の動揺を隠すようにまたお茶を一口啜る。
「そうなのかな……俺にはわからない」
フェリシダドはやりきれない気持ちだった。
エーレウスはもともと気持ちのやさしい子で、あまり気丈な子ではないことを彼女は知っている。
幼いうちに母親から離され、厳しい父親と、冷淡な継母に囲まれた針のむしろのような王宮での暮らしで、彼は必死になって自分を守ろうとしてきたのだ。
フェリシダドの所にエーレウスがやってくるのは大抵悲しいことがあったときだった。
泣くこともなく、暗い顔をして一晩中フェリシダドの部屋の隅で無言で座っていたこともあった。
そんな彼にとって初めての同年代の友達であるカイエの存在は本当に大きかったのだろう。
「カイエはエーレを大切に思っていたのよ。だから、ここへ来るように書き置きをしていったのだと思う」
「でも……ならどうして何も教えてくれないんだ……」
「教えてもどうしようもないことがあるからよ」
「そんな……」
「それに……たとえ知ったところで私たちは彼を止めることはできないのよ?」
エーレウスは何かを振り払おうとするかのようにずっと首を横に振り続けている。
「カイエがもし何か困ってるなら……俺にできることなら何かしたい。フェリシダド、俺はカイエにしてやれることはなにもないのか?」
エーレウスの声は震えている。
「そうね……このまま彼の好きにさせてあげることではないかしら」
「そんな……俺はあいつに命を救ってもらった……俺だってあいつになにかしてやりたいのに」
「その気持ちは伝わってると思うわよ……だから、カイエは何も言わずに行ったのだと思うわ」
「……本当にそうなんだろうか」
エーレウスはすっかり醒めてしまったマフィンを一つ手に取り、何かにとりつかれたかのように一心に齧り始める。
「エーレの気持ちもわかるわ。でもね……カイエの人生はカイエのものよ。私たちが干渉してはいけないの。あなたが国王でもカイエの人生を強制することはできないのよ……彼が思うようにさせてあげることもまた、親友にできることではない?」
「……うん」
エーレウスは俯きながら残ったお茶を飲み、詰め込むように皿に置かれたマフィンを食べ続ける。
まるで、手を動かし、口を塞いでいなければいけないかのように。
「……それにしても酷い……」
エーレウスは搾り出すような声を出した。
「母上も、カイエも……俺の大切な人はみんな俺の前からいなくなる……どうしてみんな俺の前からいなくなってしまうんだ!」
エーレウスは顔を両手で覆う。
食べかけのマフィンが床に転がる。
大粒の涙がもう、隠し切れない。
フェリシダドは知っている。エーレウスの悲しみを。
継母には愛されなかった。
それでも彼は自分を嫌う継母を嫌おうとはしなかった。
父親には甘えられず、厳しくされた。
しかし、その父が亡くなった時、エーレウスがその棺のそばをいつまでも動こうとしなかったことをフェリシダドは知っている。
自分が思いを寄せたものは全て離れていく。彼はそれを恐れていることをフェリシダドは知っている。
行かないで。
俺を置いて行かないで。
彼の目は去っていく者に訴えかける。
フェリシダドは思う。
私だけはこの子の傍にいてあげようと。
「……もう俺はこんなのは嫌なんだカイエ……帰ってきてくれ!」
エーレウスはついに、声を上げて泣いた。




