24.「親友」
●【24.「親友」】
カイエがホムルに来てから十ヶ月が過ぎようとしていた。
エフィはカイエとの再会のあと、しばらくジャネイラに留まり、情報を収集していたが、その二ヵ月後にはミヅキへと戻っていった。
カイエの帰国後、戴冠式の準備や王宮でカイエの帰りを待つ者たちへの報告、そして万が一ホムルからの侵攻があった場合の迎撃の準備などをしなければならなかったからだ。
十七の誕生日を迎えるまでには必ず帰国するとカイエはエフィに約束した。
カイエはずっと考えつづけていた。
自分がここにいる意味を考えていた。
はじめは敵として殺意すら抱いていたエーレウス。今は大切な親友となりつつある。
不思議な出会いだった。
さまざまな偶然が作用して、今ここにいる。だが、それは果たして偶然だったのか?
それまで殆ど感情を出さなかったエーレウスが最近では笑顔を見せることが多くなった。
彼の笑顔は幼い子供のように屈託が無い。
彼の笑顔がカイエは好きだった。エーレウスには笑顔が似合うはずだ。
だが、さまざまな過去の出来事が彼からこの笑顔を奪っていたのだろう。
そう考えるとカイエはやりきれない気持ちになる。
そして、これからの自分の行動が、彼から再びこの笑顔を奪うことになるのではないかと思うとカイエは気が重くなるのだ。
「カイエ様?」
「あ……ごめん。ミーサ」
差し出されたタオルを手にしたまま、カイエはずっとぼんやりしていたらしい。
最近考え事ばかりしているカイエはこんな風にぼんやりしていることが増えた。
今日も、顔を洗っている途中にぼんやりとしていたカイエは、ミーサが声をかけるまで濡れた顔の水滴を拭いもせず、手桶の中の淀んだ水をじーっと見つめていたのだ。
ミーサは心配そうな顔でカイエの表情を伺う。
「カイエ様、最近様子が変ですよ……どこかお加減でも?」
「いや、大丈夫。どこもなんともないよ」
「……ならいいんですが」
それでもミーサは心配そうだった。
「それよりミーサ。お茶を持ってきてくれないかな?朝、ミーサの入れてくれたお茶を飲まないと一日が始まった気がしないよ」
「はいっ!」
ミーサの表情がパッと明るくなる。
(可愛いなあ……)
カイエは彼女をみるとなぜかいつも心が安らぐ気がしていた。
ミーサの表情はカイエの一言でくるくると変化する。
初めて逢った時から、彼女はカイエに好意的だった。
奴隷という立場であるがゆえに控えめではあるが、彼女はまるでカイエの心を読んでいるかのように、カイエが今欲しいと思ったものをすぐに用意している。
声をかけるまえに、全て用意が整っているのだ。
「カイエ様の顔を見ればわかります」
ミーサはそう言って微笑む。花が開いたかのようなその笑顔は愛らしく、カイエは彼女の笑顔に何度も慰められていた。
ミーサは時折歌を口ずさみながら仕事をしていることがよくある。
ハミングだったり、ちゃんと歌っていたり、その時によっていろいろだが、ミーサは機嫌がいいときにいつも同じ歌を口ずさむ。
一度、何の歌かと訊ねたことがあった。
すると、ミーサは「私の故郷の歌です」と言って、カイエの前で歌ってくれたことがあった。
ミーサの声は透明なソプラノで、とても柔らかな感じがする。
目を閉じると、風が吹き渡る広い草原が目の前に浮かんでくるようだ。
お茶を入れてやってきたミーサは、きびきびとした手つきでお茶を入れ、カイエの前に静かにカップを置いてくれた。
「ありがとう」
そう言うと、ミーサは少しはにかんでうつむく。
「あの……カイエ様」
「何?」
「どうか、いつまでもここにいてくださいね……陛下もそれを望んでいらっしゃいますし、それに……」
「それに?」
「……私も……そう思っています」
ミーサは頬を染めていたが、カイエの瞳をしっかりと見つめてそう言った。
「どうして急にそんなことを言うの?」
「……なんだか、カイエ様がいなくなってしまうんじゃないか……ってそんな気がして。ここしばらく、カイエ様の様子がなんとなく違うような……私の思い過ごしだとは思うんですが」
ミーサはカイエの振る舞いに違和感を感じていたのだ。
「大丈夫だよミーサ」
「本当ですか?ずっと、ここにいてくださいますか?」
「……うん」
カイエは心苦しかった。
ずっと、ここにいることはできない。
ミーサに嘘をつくのは嫌だった。だけど、今のカイエにはそれしかできなかった。
この憐れな奴隷の少女は自分がいなくなったらどうなってしまうのだろう。
カイエはそれを思うと心苦しかった。
今のミーサはカイエ付きであり、いくらでも保護してやることができるが、カイエがいなくなればどこでどんな酷い目にあうか想像がつかない。
この国での奴隷の扱いは劣悪だ。心優しいミーサを不幸な目にあわせないためにはどうしたらいいのだろう?
彼女の左腕にくっきりと刻まれた忌まわしい烙印。
これを消してあげることはできないのだろうか。これさえ消えれば彼女は自由になれるのに。
「そうだ。いいものをあげる」
ふと思いついてカイエは奥の間に入り、自分の荷物の中から青いバンダナを取り出してきた。
モライスに行った時、顔に降りかかる灰を避けるために買ったものだが、本来は装飾用で、晴れた空のような美しい青に染められた木綿のバンダナだった。
カイエはミーサの左腕にバンダナを結んでやった。奴隷の印はすっかり隠れ、腕を飾るリボンのように可愛らしく、ミーサによく似合った。
印を消してやることはできないが、隠してやることはできる。今のカイエにできるのはこれがせいいっぱいだった。
ミーサは突然のことでひどくうろたえていたが、頬をほんのり染め、小さな声でありがとうございますと言った。
「うん。よく似合ってる」
「……よろしいんですか?私なんかに」
「うん。この方が可愛い」
「そんな……」
ミーサは恥かしそうにしていたが、それでも嬉しそうに言った。
「私、カイエ様のためだったらなんでもします」
「その気持ちだけで嬉しいよ。ありがとう」
「……あの……すみません……奴隷の私なんかが差し出がましいことを言って」
「そんなの関係ないよ。嬉しいよ。ミーサ」
「……もったいないお言葉、ありがとうございます。カイエ様」
ミーサはかしこまったように頭を深く下げる。
「僕の前ではそんなにかしこまらなくていいから。いつもの君でいてよ。その方が僕も落ち着くんだ」
「……ありがとうございます。そんなことを言ってくださるのはカイエ様だけです」
ミーサは潤んだ目でカイエを見つめる。だが次の瞬間、はっとしたようにミーサはさっと目をそらす。
そして、また汚れた茶器を片付け始めた。
「カイエ、いるか?」
エーレウスが部屋に入ってきた。
「どうしたの?」
「いいものを見せてやる。こっちへ来い」
そこは、一面の雪景色だった。
いや、雪景色ではない。
雪のように白く、ふわふわした小さな花で辺りが真っ白に染まっていたのだ。
連れて来られたのは王宮の裏庭だった。
カイエは一度も来た事の無い場所だった。
「どうだ。すごいだろ?」
「……これは?」
「メイサだ。満開になったから見せてやろうと思ってな」
カイエはその風景のあまりの美しさにしばらくぽかんとしていた。
メイサは西の黄土大陸にある彩岩楼皇国が原産の花。
その花弁はとても小さく、芥子粒ほどの大きさしかない。一枝に無数の花が咲き、満開になるとそれはまるで樹氷のように見える。
さらに風が吹くと花弁が一斉に舞い上がり、雪のようにひらひらとおちてくる。
降り積もった花弁が地面を埋め尽くし、他の草木にも降り積もる。
そしてそれはあたかも雪景色のように見えるのだ。
メイサはミヅキの王宮にも僅かに植えられていたが、手入れが難しい花なのでこんなに沢山のメイサが満開になった状態はカイエも見たことが無かった。
「キャラバンが持ち帰った苗を植えたのが咲いたんだ。最初にお前に見せてやろうと思ってな」
「すごい……」
「カイエは雪を見たことがあるか?」
「あるよ。ホロへ行ったことがあるからね」
「やはり、こんな感じか?」
「うん」
するとエーレウスは、
「うらやましいなあ……俺は噂に聞く雪景色というものを知らないんでメイサを植えさせてこの景色を作ってみたんだが、やはり一度は本物を見てみたい」
と、ぽつりと言った。
「本物の雪景色は美しいよ。でも、とても冷たいんだ。長く見ていると体が凍えてしまう。ホムルで生まれ育った者には耐えられない寒さだよ」
「そうなのか!それはますます見てみたいな」
エーレウスの目はキラキラと輝いていた。
「カイエ。いつか一緒に見にいこう。それまでずっとここにいろ。約束だ」
「……ああ」
カイエが返事をするまでにあけた微妙な間をエーレウスは気にした。
「なんだ?嫌なのか?」
「そういうわけじゃないけど……急にどうしたのかなと思って」
「メイサの花言葉、お前知ってるか?カイエ」
「知らない」
「メイサの花言葉は『変わらぬ友情』だ。お前は俺の親友だと俺は思ってる」
親友……それは今のカイエにとって素晴らしく、そして悲しい響きだった。
「だから、親友であるお前とここで約束しようと思って」
「意外にロマンティストなんだね。エーレウスは」
「悪いか?」
エーレウスはちょっとむっとした表情を浮かべる。
「ううん。そういうところ、好きだよ」
「俺たちはずっと友達でいられるだろ?カイエ」
「……ああ」
カイエは返答を一瞬だけ躊躇った。
親友だと思っている。だけど、もうじき自分はエーレウスを裏切ることになる。ずっと一緒にいることはできない。
それでも彼はまだ自分を親友と呼んでくれるだろうか?
「ねえ、エーレウス」
「なんだ?」
「最初、僕はエーレウスと約束したよね。友達のふりをする契約をしてくれたら、僕の望みを叶えてくれるって」
エーレウスの表情が暗くなった。
「……契約はそのままだった……そういうことか?親友と思ってたのは俺だけだということか」
「違う。そうじゃないんだ」
カイエは慌てて首を横に振った。
「その契約、解除して欲しい。そんな必要……もうないから」
カイエはエーレウスの肩に手を置いた。
「君は身分とかそういうのを気にしなかった。僕がどこから来たのか、君は僕に何も聞かなかった」
「そんな必要がなかったからだ」
「最初は戸惑ったけど嬉しかったんだ」
そう言うカイエの表情の微妙な変化にエーレウスは気づいていた。
「……そうか」
エーレウスの表情はまだ硬い。
「だから、僕は君を信じる。たとえば誰かが禁じても僕は君を信じる。それが僕の答えだよ」
カイエはエーレウスをじっと見つめる。
その瞳の光には嘘は含まれていないとエーレウスは感じていた。
「わかった」
エーレウスもカイエの目を真っ直ぐに見てうなづいた。
少しだけ、エーレウスの表情が和らぎ、カイエはほっとする。
「ねえ、エーレウス」
「何だ?」
「たとえば……たとえばの話として聞いて欲しい……」
「ああ」
「もしも……もしも、僕が君の前からいなくなったら……どうする?」
突然のカイエの言葉にエーレウスはわずかに動揺する。
やはりカイエの様子は何かおかしい。
エーレウスは妙な違和感を拭えなかった。
「なぜ、そんなことを言う?」
風が吹き、二人の間をメイサの花弁が雪のように舞う。
「たとえば……だよ」
カイエは何かを隠している。
エーレウスは気づいていた。しかし、それを問い詰めることは恐ろしかった。
だから、こう答えるしかなかった。
「わからない。その時になってみないと」
カイエはいつになく真剣な眼差しでエーレウスを見る。
「もしも僕がいなくなったとしても僕の気持ちは変わらない。だから、エーレウス……僕を信じて欲しい」
「……どこかへいくつもりなのか?カイエ」
こういうときのエーレウスの表情はわかりやすい。
まるで不安そうな子供の顔だ。
「だから、もしも……だよ。この先何がおこるかわからないだろ?」
カイエはエーレウスを安心させるように笑顔を見せた。
「絶対など、ないんだから」
「……そうだな」
これ以上カイエに何か聞くことはできなかった。
言い知れない不安がエーレウスの心をチクリと刺す。
だが……聞けなかった。
そのあと、二人はしばらく無言になった。
舞い落ちるメイサの花弁が二人の肩や頭に降り積もる。
「ところでカイエ。結局お前の望みってのは何だったんだ?」
カイエはしばらく考え込んでいたがやがて、静かに言った。
「僕、本当は父親の仇を探していたんだ」
「仇討ちか」
「うん。僕の望みは憎い仇をを殺すことだった」
「それならいくらでも探してやる。国中に手配してやろう。すぐに見つけてやれるよ」
しかし、カイエは首を横に振った。
「もう、いいんだ」
カイエは困ったような顔で笑う。
「なぜ?父親の仇だろう?無念は晴らさなきゃ」
「僕が探していた仇はね、もうずっと前に亡くなっていたことがわかったんだよ……」
その夜のこと。
カイエはなかなか寝付けなかった。
エーレウスはすっかり夢の中で、気持ちよさそうに隣のベッドで寝息をたてていた。
親友。
その響きが嬉しかった。
王宮育ちのカイエは、同じ年齢の友達はいなかった。
だから本当の友達にずっと憧れていた。
王太子という身分がその障害になっていた。
みな、カイエの前では忠実な部下でありたいとは望むが、親友であることを望んではくれない。
でも、カイエはそれが当たり前だと思って諦めていた。
それはエーレウスもおなじだろう。だから、エーレウスの気持ちは誰よりもわかる。
そして親友になれるなら彼しかいないと思う。
だが、ミヅキとホムルは友好国ではない。
ミヅキに戻ったらホムルと友好関係を築けるようにしたかった。
しかし、最高の権力を持ちながら何一つ自分の思うとおりにならない。それが王だ。
ミヅキとホムルの間には深すぎる遺恨がある。
友好国になりましょうと言ってもそう簡単になれるとは思えない。
過去の度重なる侵略とその応戦で二つの国の民は多くの血を流し、犠牲を払った。
今までにあまりにも不幸なことが多すぎたのだ。
あと二ヶ月後にはカイエは十七歳の誕生日を迎える。
答えはそれまでに出さなければならなかった。
「考えていても仕方がない……寝るか……」
カイエはシーツを被り、眠りにつこうとした時だった。
突然、自分の手元から強い光が放たれ、カイエは反射的に目を閉じる。
「……これは……」
カイエの右薬指に嵌められた指輪の月長石がまばゆい光を放っていた。
━━━━━━━「もし、その指輪が強い光を発することがありましたら、必ずここへ戻ってきて下さることをお約束してくださいますか?」
ラドリの言葉をカイエは思い出した。
帰国の時が来てしまったのだ。
まだ、何も答えがでていないのに。
まだ、エーレウスの気持ちを納得させる術もないのに……。




