3.「預言者の憂鬱」
●【3.「預言者の憂鬱」】
「夢……ですか?」
神官長の表情が少し曇る。
竜巫女の夢は予知夢である場合が多い。そして、その場合はほぼ間違いなく国の大事に関わるものだ。
「その夢は予知夢でしたか? イーラ殿」
「おそらく予知夢で間違いないでしょう……はっきりとしたイメージがありましたから」
「そうですか……それで、どのような夢でしたか?」
「果てしない暗闇の世界が広がっているのです……空は暗く、日の光はささない。そして、鋭い牙を剥き出しにした狼が王宮を取り囲んでいました」
「なんと不吉な……」
神官長は眉をしかめた。
「狼の群れが王宮を襲おうとした時、王宮の中庭にあった一本の木が、突然物凄いスピードで枝を伸ばし、その枝に花を咲かせました……一羽の空色の翼を持つ鳥がその木から飛び立ち、南の方向に飛んでいきました。南の方向からも同じ姿の鳥が現れ、空中で出会った二羽の鳥は、天に向かって真っ直ぐに飛んでゆくのです……すると、暗闇は消え、狼も姿を消しました……わたくしが見たのはこれだけです」
神官長は困惑の表情を浮かべている。
「それは……その……なんとも抽象的な夢ですな」
「ええ……わたくしもこの夢の解釈に困っております」
「突然成長したその木は何の木でした?」
イーラは言いにくそうに小さな声で言った。
「……ミズキです……」
この国の名前と同じ名前の木。 王族の姓を持つ木だ。
「どう解釈するかによって違いますが、あまりいい夢ではなさそうですな」
「ええ。神官長殿はどのようにお感じになられまして?」
「遠くない未来に、この国に何か危機が訪れる……そういうことでしょうか」
「それは間違いないと思います」
ここまでの二人の会話をカイエは無言で聞いていた。
この国に何かよくない事が起ころうとしている。カイエの心にも暗くて重い澱のようなものが静かに積もりはじめる。
「しかし、イーラ殿。二羽の鳥が現れると暗闇が消え、狼も姿を消したということでしたよね? これは救いの予兆ではないでしょうか?」
「わたくしもそう信じたいのです。おそらくそう遠くない未来にこの国は危機に瀕します。しかし、何かによって救われる。それが空色の翼を持つ二羽の鳥……わたくしは、この二羽の鳥のうちの一羽が殿下のことではないかと思えてならないのです」
「えっ? 僕……ですか?」
突然自分に話が及んだ事にカイエは驚く。
「なぜ、それが僕だと思うのですか? イーラ様」
イーラは困ったように銀灰色の瞳を伏せた。
「そうね……どう説明してさしあげればわかっていただけるか……わたくしにはよい方法が思い浮かびません。でも、間違いなくそれは殿下のことだという確信だけはあるのです」
竜巫女にしかわからぬ何かがそれを確信させているのだろう。そしてそれを説明する事が困難である事はカイエにもなんとなく理解できた。
「そうですか。では、もう一羽の鳥って誰のことですか?」
「残念ですが殿下、それもわたくしにはわからないのです。竜王がわたくしに見せる予知の夢はとても抽象的で、時には読み違えてしまうこともありますから」
「そういうものなのですか?」
「はい、殿下。わたくしたちの始祖たる竜王アヴィエールは、時にわたくしたちに試練を与えます。困難な事が起きた時、竜王は僅かなヒントだけをわたくし達に与え、あとはわたくしたち自身に選択させるのです。それが最良のものであれ、最悪のものであれ、その結果はわたくし達自身が選んだもの。そしてそれこそがわたくし達にとっての最良であるというのが竜王のお考えではないかとわたくしは考えます」
「つまり、予知夢の解釈によっては最悪の事態にもなり得るという事なのでしょうか?」
「そうです」
イーラは静かにうなづいた。
館の入り口までの長い廊下を、一同は無言で歩いた。
神官長は何かをずっと考えているようだったし、イーラはただ静かなままだった。
カイエは不安で押しつぶされそうな気持ちを表情に出すまいとずっとうつむいて歩いていた。
「殿下のお気持ちを不安にさせたばかりか、お役にも立てなくて本当に申しわけございません。でも、この夢のことはどうしても殿下にはお知らせしておきたくて、お呼びしたのです」
「ありがとうございますイーラ様。確かに不安じゃないといえば嘘になりますけど、僕に何かの使命が課せられてて、それが竜王の思し召しだというならば、僕はそれに従おうと思います」
カイエの言葉を聞いて、イーラは少し安心したような笑顔を見せた。
「それにしても気になりますな。この国を襲う危機というのが何なのか」
神官長はため息をつく。
「これはわたくしの考えなのですが」
イーラは神官長の耳元で、カイエには聞こえぬよう少しだけ声を小さくして言った。
「先月、亡くなられた陛下に何か関連するのではないかという気がします」
それを聞いてエセル神官長の表情が僅かに曇ったのをイーラは見逃さなかった。
「神官長殿、何かご存知なのでは?」
「いや……私は何も……」
神官長は一瞬カイエの方を見たが、カイエは窓枠に止まっている白鳩を見ていたらしく、神官長の顔は見ていなかったようだ。 神官長はイーラに目配せをする。イーラは何かを察したらしく小さくうなづいた。
「後ほどまた、こちらに伺ってもよろしいですか? イーラ殿。少しお話ししたい事があります」
「承知いたしました」
イーラは少し離れた場所にいたカイエに声をかけた。
「殿下。お名残惜しゅうはございますが、そろそろお戻りにならないと。日もそろそろ暮れる時間ですから」
「はい。イーラ様」
「では、浮島の外までお送り致しましょう」
カイエが王宮へ戻ってしばらくした頃、本日二度目の光の路が湖畔から竜巫女の館にかかった。
「皆様、わざわざご足労お掛けして申しわけございませんでした」
イーラは昼間、カイエに見せていた表情とは違い、少し険しい表情になっていた。
「いえ、極秘の話をするにはここは最も相応しい場所です」
サクラ内務大臣の言葉に一同はうなづいた。
竜巫女の館の応接の間には昼間、カイエをもてなした時とは違う大きな円卓が置かれていた。
その席に座るのは神官長の他に、内務大臣のエノラ・サクラ、タチバナ侍従長と息子のエフィ・タチバナ、それに魔道士団長のラドリ・フェット。
普段からカイエとは特に親しく、また国の重要な役職にいる者ばかりだ。
「陛下を暗殺した者の内偵の結果の報告を頂けますか?」
神官長が訊ねた。
「それは私からご報告いたしましょう」
エフィ・タチバナが口を開いた。
「陛下の首を射抜いた矢は一般的な狩猟に使われるもので、普通にどこででも販売されているものでした。そして、矢には毒も塗られていました」
「貴族のものではないということか」
「そうですね。家の紋章の意匠が矢に施されていませんでしたから」
貴族階級の者が使う矢にはそれぞれ自分の家の紋章の意匠が施されている。
狩りの獲物を誰が射抜いたかをすぐにわかるようにするためだ。 庶民の狩りにはそれはない。
「しかし、あの狩場はミヅキ王家の土地だ。庶民には解放されていないはずだが? 密猟者が入ったという事ですかな?」
「いえ、それは考えられません」
エフィは首を横に振る。
「なぜ、そう言い切れるのです?」
「王家の狩場は密猟者避けの魔導の柵で囲まれています。許可を得ていない者が入ろうとすると、魔導の柵に弾き飛ばされるのです」
「何らかの手段を使って入る事はできないのかね?」
「たとえできたとしても、毒矢で射止めたフェロウなど売り物になりません。フェロウの羽は毒に反応して色が黒く変色してしまうので、価値がなくなってしまいます」
「なるほど……毒矢という時点で密猟者ではないという事か」
「はい。しかもその毒は猛毒のトゲタマラ草の毒です」
「トゲタマラ草の毒だって?」
神官長は眉をしかめた。
「あれは猛毒で、あれで殺した動物を食べたって、食べた人間まで死んでしまう……狩りには絶対に使わないものだ」
「ええ。陛下を狙った矢は動物を射抜く矢ではありません。明らかに人を殺すための矢です」
「暗殺……か」
「おそらく」
「いったい誰がそんなことを……」
「それは今、詳しく調査をすすめています。しかし、少し気になる情報が入ってきました」
「……ホムルではないのかね?」
ラドリ魔道士団長が低い声で言った。
「よくおわかりになりましたね。ラドリ様」
エフィは驚いたような表情を見せる。
「トゲタマラの毒はミヅキでは簡単に手に入る代物ではない。あれはその毒性の強さから販売はどこの国でも制限されておる。あれが比較的に楽に手に入るのは、原産地のホムル……さりとて、いかにホムルでもあの高価な毒は庶民に手の出る金額ではない……そうすると考えられるのは……」
魔道士団長は最後までは言わなかった。
「おそらくその推測が一番真犯人に近いでしょう」
「……となるとやっかいなことになりますな」
魔導師団長とエフィのやり取りを聞いていたサクラ内務大臣が大きなため息をついた。
「以前からホムルはわが国への侵攻を狙っておる。しかし、わが国の守りは堅牢でホムルはそう簡単には手が出せない……だが、国王崩御ともなれば話は別だ」
「そうですね閣下。カイエ殿下はまだ十二歳。摂政のエリサ妃殿下もか弱き女性。有事の時にはいろいろと不都合でありましょう。何よりも戦の時に陣頭に立てないとなると兵の士気も下がります」
「ホムルはそこを狙っていると考えるべきか?」
「わかりません……まだはっきりとはしていませんので」
「とにかく、カイエ殿下が即位するまであと五年。なんとしてでも戦争は避けたい」
「ええ。全力で対処します」
イーラは話を聴きながら悲しげな顔を見せていた。
「戦争はおそらく起こるでしょう……これは避けられない気がします」
昼間のイーラの話が気になった神官長がイーラに尋ねた。
「そうでした……竜巫女の預言は絶対だ。すると殿下の身にも何かが?」
「何が起こるかはわたくしにもわかりません。ただ、結果は悪くは無いはずです」
魔道士団長は静かな口調で言った。
「ホムルが絡んでいるかもしれないという話は殿下にはお伝えしないほうがいいでしょう。殿下のご気性を考えると復讐を考えられるやもしれません」
「ええ……わたくしもそれがいいと思います」
イーラもその言葉に同意した。
エフィは一同を見渡して力強く言った。
「いずれ戦を迎えるとしても、我々は殿下を何としてでもお守り申し上げねば」
一同は皆無言でうなづいたのだった。