17.「罪の螺旋」
●【17.「罪の螺旋」】
粘度の高い灼熱の液体がカイエの体を瞬時に包む。
熱さは感じられなかった。
何故か痛みも、苦しみも感じなかった。
自分は一瞬で死んでしまったのだろうかとカイエは考える。
いや、考えられるということはまだ生きているのか?
だけど、体を包むねっとりとした妙な感触はどろどろに溶ける溶岩そのもの。
もしやここは死と生の狭間なのか?
ならば目を開けるのが怖い。目を開ければ一気に現実に引き戻され、灼熱の溶岩が一気に自分に襲い掛かり、一瞬で命を奪われるような気がしたからだ。
目の前にぼんやりした橙色の光が見えてきた。
瞼は閉じていた筈だ。
視界は黒一色だったはずだ。
真っ暗な空間に浮かんでいる感覚がある。
目をあけていないのに、視界があるような気がするのは何故だ?
「アヴィエールの国の王太子よ……」
突然、カイエの頭の中に声が聞こえた。
カイエの目の前に炎の鱗に覆われた巨大な竜が現れた。
「竜王様……?」
「アヴィエールの国の王太子よ……そなたの覚悟、受け取った」
竜王ガイアルは紅蓮の瞳をカイエに向けた。
その瞳は紅色と橙色と金色が混ざり合ったような美しさ。燃え上がる炎をそのまま閉じ込めた宝石のようだ。竜王の体を覆う鱗の一枚一枚は小さな硝子の欠片のように光り、その中で小さな炎が燃えているように見える。赤く、あるいは橙色に。高温の青白い炎のたてがみが揺らめいていた。
「お前は我が試練に耐えた。お前の覚悟は本物だ。エーレウス・フィリス・デラ・ホムルの命を呪いの契約の鎖から解き放ってやろう」
「ありがとうございます!竜王様」
「しかし、お前の罪が許された事にはならない。それはわかるな?」
「はい」
「お前の罪はあまりに大きい。いずれ必ずその報いを受けることになろう……しかし、我が領国の国王とてそれは同じだ。彼もまた、罪びとだった。この呪いは彼の罪への報いだった」
「エーレウスが……?」
意外な竜王の言葉にカイエは驚きを隠せなかった。
「王位にありながら王であることを望まない。彼のその態度がこの呪いを招いたのだ」
「エーレウスに呪いをかけたのは誰なのですか?」
「王位につくことの叶わなかった者の母……亡き息子のことを思うあまり狂った母親」
エーレウスは嫡子ではない。
正妃との間に生まれた本来の王太子……つまりエーレウスの義兄は王位に着くことなく夭折したと聞いている。
「……前王妃……」
「母親は息子が玉座に座ることを熱望していた。しかし、それは息子の死により叶わぬ夢となった……息子の代わりに玉座についた憎き女の息子は、あろうことか玉座につきつつその座を軽んじている……母親は狂おしいほど憎んだのだ。自分にとっての大切なものを軽んじた彼の者を」
「しかし、竜王様……それは……」
「罪ではないと言いたいか?」
ガイアルの瞳はカイエを真っ直ぐに見据え、その青白いたてがみはゆらゆらと揺れる。
「誰も気付かぬ間に罪を犯す。罪を犯さずに生涯を終える人間などいない。それはいわば人間の定めだ……人間はそうやってお互いを憎みあい、傷つけあい、永遠に罪を犯し続ける」
「はい」
「誰かが知らずに犯した罪により傷ついた者が意図的に罪を犯す。そしてまたそれにより傷ついた者が罪を犯す……それらの恨みの想いは捻れ、絡まる……人間は永遠の罪の螺旋に捕らわれている」
「それはどうしようもないことなのですか?竜王様」
「人間が罪の螺旋から解き放たれることは難しい。だが、犯した罪を認め、自らに絡まる罪の鎖を切ろうとすることができるかできぬかで人の人生は大きく変わる」
「僕にはそれはできないかもしれません……僕は既に重い罪を犯しすぎている」
カイエは俯いた。
「王太子よ。罪の重さは違うものだ。意図して犯した罪は重く、人が人の命を奪うこと、人生を狂わせることは罪としてもっと重い……だが、そのまま罪を重ねつづけるか、償おうとするかで人は変わることができる」
「はい」
「お前は人としての道と、王太子としての道の二つを同時に選んだ。どちらかの望みを潰すことと引替えに帳消しになるはずだった報い、そして選んだ道に用意された報い、その両方を受けねばならなくなった。お前の苦しみはまだ終わらない。そして、そなたは全ての罪を償うまで死による安らぎも得られない」
「……はい」
「耐えられるか?」
竜王の言葉に、カイエは改めてしっかりとした言葉で返事を返した。
「耐えてみせます。僕は国を守りたい。友も……守りたい」
「ならばお前はいつか許されるだろう。これから与えられる報いから逃げ出さず全てを甘んじて受けよ。全てが終わればお前はきっと罪の螺旋、絡まる鎖から開放されるだろう」
「はい」
エーレウスに対して抱いた感情が、友情であることにカイエは今はっきりと気付いた。
なぜ、彼の呪いを解くためにここまでの苦しい旅を続けたのか、はっきりわかった。
犯した罪への償いだと感じていた。
それは未知の感情への戸惑いにむりやりこじつけた理由付けにすぎなかった。
一緒に過ごすうちにエーレウスに対して少しづつ感じ始めた感情。
対等な友人らしい友人を持ったことのなかったカイエにとって、未知の感情だったこの感情は友情というものだった。
思い込みでもいい。
それが本当の友情でなくてもいい。
ただ、カイエはそれを素直に信じてみたかったのだ。そして、その気持ちがカイエに勇気を与えていた。
「お前にこれを授けよう」
カイエは右手にふいに違和感を覚えた。
いつのまにか右手に何か握っていた。
握った右手をゆっくり開くと、鈍く金色に光る小さな刺抜きがカイエの手の中にあった。
「刺抜き?」
「それで、呪いの針を抜くがいい」
「ありがとうございます。竜王様」
「アヴィエールの国の王太子よ。己が罪の重さを常に心に命じておくことだ。そうすれば、もうお前は二度と重い罪は犯さないだろう」
「はい」
ガイアルの姿は消え、カイエの体はふいに軽くなった。
「殿下?王太子殿下。しっかりなさいませ」
ゆっくりと目を開くとそこには心配そうな顔のフェリスがいた。
カイエは溶岩の噴水の傍に横たわっていた。右手に違和感を感じる。
掌を開いてみると、そこには金色の刺抜きが確かにあった。
「殿下は竜王の試練に耐えたのですよ」
フェリスはほっとしたような顔をした。
「僕は、一刻も早く戻らなければ」
カイエは体を起こした。
カイエの体には傷ひとつなかった。溶岩の中に飛び込んだのに、やけどひとつ負っていなかった。
「わかっておりますよ、殿下。わたくしの力で麓までお送りしましょう。一刻も早くわたくしどもの国王陛下をお救いください」
「ありがとうございます。フェリス様」
「竜王との話、わたくしも聞きました。どうか陛下をよろしくお願いします。そして、殿下にも我が竜王ガイアルのご加護がありますように」
フェリスはそう言うと錫杖をカイエの頭に当てた。
「ではごきげんよう。王太子殿下……またいつかお会いできるといいですね」
銀色の光が錫杖から迸ったと思うと、カイエの体はその場から消えた。
カイエの姿が消えたあと、フェリスは竜王像を見つめてつぶやいた。
「我が主人よ……なにゆえあの王太子に過酷な試練をお与えになるのですか……もはや時は近づいているというのですか……?裁きの翼はあの王太子の中にあるのですか……?」
しかし、竜王像は黙したままだった。




