16.「竜王の試練」
●【16.「竜王の試練」】
カイエが案内されたのは竜巫女の館の一番奥の間だった。
「ここは……?」
「降臨の間。わたくしが竜王のお告げを聞く神聖な場です」
降臨の間は神殿の礼拝堂によく似ていた。
最奥には祭壇があり、そこには溶岩のようなごつごつした岩でできた巨大なガイアルの像がこちらを見つめていた。
祭壇の前には小さな噴水がある。しかし、噴水から湧き出ているのは水ではなく、どろどろに溶けた溶岩だった。その熱気でじっとしていても汗がしみだしてくる。
フェリスはカイエにあらためて向き直って言った。
「殿下。竜王に会うということは、殿下の心の中の全てをこの場に晒すということです。耐えられないかもしれませんよ?それでもよろしいですか?」
「かまいません」
「本当に?自分の中の最も嫌な部分が出ますよ。それでも?」
フェリスはさらに念を押す。
「自分の心の嫌な部分がどんなものか、僕にはよくわかりません。でも、そういわれると、なおさら自分のそんな部分を知りたいという気持ちもあります」
「覗いてはいけないと言われると、覗いてみたくなるものですね。それが人間というものだから……」
フェリスはそう言って困ったような笑顔を向けた。
「だけど殿下。覚えておいてください。生半可な気持ちで竜王に逢うときっと後悔します。竜王は……とくに竜王ガイアルは願いをかける人間に最も厳しい竜王です」
「はい。覚悟しています」
カイエは力強くうなづいた。それを見てフェリスも小さくうなづいた。
「今より竜王がわたくしの中に降臨します。わたくしの言葉は竜王の言葉。竜王は嘘や偽りを絶対に許しません。もし、偽りを口にすれば、殿下の体は灼熱の炎に焼かれるでしょう……殿下、心の準備はよろしいですか?」
「はい」
「では、その溶岩の噴水の前で、静かに降臨をお待ちください」
フェリスはガイアル像の前に立ち、目を閉じ、竜巫女の錫杖を掲げた。
「偉大なる我が主人、竜王ガイアル。契約と監視の女神デーデの名において請願す。我が体を拠り処とし、この者に言葉賜り給え」
フェリスが詠唱を終えると、彼女の銀灰の髪はより一層輝きを増し、やがてその体は銀色の光に包まれ、手に掲げる錫杖からは白い光が溢れ出した。
錫杖から溢れ出した光は溶岩の噴水の中に吸い込まれた。しばらくすると、溶岩の噴水から巨大な火柱が上がりフェリスの体の周りを取り囲んだ。フェリスの銀灰の髪は燃えさかる青白い炎に変わり、開いた目は紅蓮の炎の色に変わった。
「アヴィエールの国の王太子。我に何を請う?」
声はそのままフェリスの声だったが、それはあきらかにフェリスではなかった。
「竜王様にお願いがございます。ホムル国王、エーレウス・フィリス・デラ・ホムルにかかった悪しき呪いをどうか解いていただきたいのです」
「呪いを解くことは容易い。しかし、何ゆえお前がそれを願うのか」
「それは……」
カイエは言葉に詰まった。
うまい言葉がみつからなかった。
しかし、何か言わなければならない。カイエは焦ったが、それでも正直に自分の心の中にある言葉を語り始めた。
「僕は許されぬ罪を犯しました。それが許されるとは思ってはおりません。しかし、償いをしたいのです。僕が手にかけてしまった人たちの国の国王を助けたいのです」
「それだけではなかろう?」
フェリスの体を借りたガイアルは紅蓮の瞳でカイエを見つめた。
深紅の矢が心臓を直撃したような息苦しさと圧迫感をカイエは感じた。
「お前の心には今、迷いが渦巻いておる。敵として狙っていた相手に対する感情に戸惑っている」
「……はい。その通りでございます」
「自分が相手にとっては敵国の王太子という立場と、友人を思う個人の気持ち。どちらも選べない迷い……それはお前が抱える罪の意識からきておるものだ。違うか?」
「はい」
「お前は本当に自分の犯した罪を罪として、認めておるのか?」
「……はい。そのつもりですが」
カイエの言葉が少し曖昧になる。
「つもりでは認めていることにならぬ。自分の心の中の暗闇、心の底にある深淵をお前は自分で見られるか?」
ガイアルは手にした錫杖をカイエに向けた。
「はい」
「お前の心の中が我には見える。お前の心の中は後悔と罪の意識で満ち溢れている。しかし、それは自分を責めることで苦しみや罪悪感から逃げ出しているに過ぎぬ。それは罪を認めているのではない。逃げているのだ」
「竜王様……僕は逃げてなど……」
「逃げていないと申すか?では問う。お前は何人の人間を殺した?」
「……二百人……余りです」
「何故殺した?何故殺さねばならなかった?」
ガイアルは容赦なくカイエを追い詰める。
「……殺すつもりなど……ありませんでした」
カイエは唇を噛んだ。
「あれは不幸な事故だったとお前は思い込んでいる」
「事故です……僕は意図したわけではありませんでした」
「愚かな……」
ガイアルは静かに言った。
「確かにお前は故意にあの事故を招いたのではなかろう。しかし、考えなかったのか?その行為がどんな結果をもたらすのかを」
カイエは両手の拳を握り締めた。
「聞かれたくないことを問う我が憎いか?それとも自らの愚行が恥かしいか」
カイエは首を横に振る。声は出なかった。
「自分の行為が大きな事故を引き起こし、犠牲者が出ることを少しも懸念しなかったか?」
「いえ……考えました」
「知りつつ、それでもあの事故を起こしたのだな?認めるか?」
「……認めます」
カイエの両の拳は震えていた。
「では、もうひとつ。お前が直接手にかけたあの少年……彼の記憶が今後永遠に失われること、人生を狂わされることについてお前は考えたか?」
リドリーの姿がカイエの脳裏に浮かんだ。
「……考えませんでした。自分が助かりたいと思うだけでそこまで考えませんでした」
「記憶を失うことは、その人間にとって死にも等しいという事をお前は考えたか」
「……考えませんでした……」
限界だった。
カイエはその場に膝をつき、声をあげ、号泣した。
涙が溢れて止まらなかった。心の奥底から何かが搾り取られるような苦しさが溢れ、カイエの全身を締め付けた。
「申し訳ありません!ごめんなさい……ごめんなさい……僕は身勝手です。自分のことしか考えなかった愚か者です」
しかし、ガイアルはそんなカイエに対しても容赦がなかった。
「我はお前に反省など求めておらぬ。自分を卑下する反省など、所詮は自己満足に過ぎぬことをお前は知らねばならない。泣いて彼の記憶が戻るとお前はもはや思うまい?」
「はい……すべて僕の身勝手から出たことです」
「全ての罪を心から認め、その償いに身を捧げるか?」
「はい。生涯全てをかけても」
それでも足りないとカイエは思った。自分の人生を何千回やりなおしたって、その全てを償いの日々に費やしたって、失われた命は帰らない。消えた記憶は戻らない。
「アヴィエールの国の王太子よ……顔をあげよ」
ガイアルの声は心なしか先程より穏やかに聴こえた。
「では、お前にひとつの試練を与えよう。一人の人間としての道を選ぶか、王太子としての道を選ぶか、お前の決断で我が領国の王の運命は決まる。自分の心の思うままに決めてみよ。それが我が裁きであり、女神への誠意の証となろう」
「僕にそれをここで選べと仰るのですか?」
「そうだ。一人の人間としての道を選べば国王は助かるだろう。だが、同時にお前は大切なものを全て失うだろう。ミヅキ王太子としての道を選べば我が領国の国王は死ぬだろう。だが、お前の国は幸せに栄えるだろう。ホムル国王の命と引替えに国の幸福を我から買うのだ」
カイエは愕然とした。
竜王はもっとも残酷な質問をカイエに投げかけてきたのだ。
「僕にはどちらも選べません」
カイエは激しくかぶりを振った。
「それは許されない。これは、女神デーデの意思だ」
「女神デーデの意思……」
「契約の女神と交わされた契約を強制的に無効にさせるにはそれに見合う代償が必要だ」
カイエは悩んだ。
エーレウスの命を選べばカイエにとって大切なものがすべて失われる。自分個人の幸せだけならそんなものは償いに供するのに惜しくは無い。
だが、竜王の試練はそんな生半可なものではないだろう。
それはおそらく、家族や、国や、これから得るはずの国の安定と平和のことだろう。
自分の選択次第ではミヅキは滅亡するのかもしれない。
王太子としての立場で返答すれば国は安泰だろう。しかし、エーレウスは助からない。
それではだめだ……。
それでは今までと変わらない。
竜王が意図した答えはどちらか一方ではないはずだ。
━━━━━━━ならば……本当に自分が望むことは……。
「だめです……やはり僕には選べません」
「僕ひとりの犠牲でエーレウスが救われるなら、僕は一人の人間としての道を選びます。しかし、そのために僕の大切なひとたち、僕の大事な祖国に災いが降りかかるなら、僕は王太子としての道を選びます。もうこれ以上誰かが悲しむことがないなら、誰も死なないなら、僕は魔界の炉の中に放り込まれ、魂を永遠に焼かれたっていい……だけど……」
カイエは涙を堪えながら搾り出すように言った。
「だけど、僕はエーレウスも助けたいんです!身勝手であることは承知しています。でも、僕はもう誰も悲しませたくない。誰の命も消えて欲しくない!」
「その覚悟は本物か?」
しばらくの沈黙の後、ガイアルは静かに言った。
「はい」
「では、この溶岩の噴水にその身を浸してみよ」
ガイアルはどろどろの溶岩で煮え立っている灼熱の泉を指差した。
「お前の覚悟が本物で、その意思が固ければ、その溶岩に身を浸してもお前の体には傷ひとつつかないだろう。そして、我も女神もお前の覚悟を認めよう。呪いを解き、我が領国の国王を救おう。しかし、もしお前の心に一点の曇りでもあれば、その覚悟が本物でなければ、お前の体は焼け崩れ、一片の肉片すら残らぬほど焼き尽くされる。魂さえも焼き尽くされ、何も残らないだろう」
カイエは一瞬息を呑んだ。
「そして、それで我が領国の国王が命を落とすことになっても、それは彼の者に授けられた本来の運命だ。命数の尽きようとしているものは我らも女神も救えない」
「わかりました」
カイエはどろどろに煮え立つ溶岩が湧き出ている噴水の前に立った。
熱風がカイエの肌を焼く。
噴水の泉の縁に立ち、目を閉じて深く深呼吸をした。
もう一度自分の心を確認した。
いいのか?本当にそれでいいのか?
迷いは無いか?恐れは無いか?
「お前の強き意思を我に示せ」
カイエは覚悟を決め、灼熱の溶岩の中に身を投げた。




