14.「聖地モライス」
●【14.「聖地モライス」】
聖地モライス。
炎の竜王ガイアルが住むといわれる活火山、オレロドインを中心とした不毛の火山地域だ。
そこは巡礼の街であり、信仰厚き人々が日々ガイアルに祈りを捧げながら慎ましく暮している。
ジャネイラを出て四日。
カイエは休むことなく馬を走らせた。
街道を進むにつれ、人家は少なくなり、ごつごつとした岩ばかりの風景に変わってきた。
日差しは少し緩くなり、空もどんより重くなってくる。
最高峰オレロドインをはじめとした多くの火山から吐き出される煙や灰でモライス地方の空はいつもどんよりとした鈍色だ。
『灰の道』と呼ばれるモライス街道の道は、火山からの降灰で常に白っぽく埃っぽい。
馬や馬車が駆け抜けたあとは、地面に降り積もった灰が舞い上がり、舞い上がった灰が落ちきらぬうちに次の灰が舞い上がるので、この街道は常に霧がかかったように視界が悪い。
カイエは鼻から下を布で覆って進む。そうしなければ舞い上がる灰のために激しく咳き込み、息も出来なくなってしまうからだ。
モライスの街はとても小さい。
ここは聖地への巡礼者のための町なのだ。巡礼者の為の宿や店しかない。
街の中央には巡礼者の為の巨大な巡礼堂がある。
ガイアル神殿はオレロドイン火山の麓に、竜巫女の館はさらにオレロドイン火山の中腹に近い溶岩湖の中央にある巨大な岩の上に建っているため、一般の巡礼者は近づくことができない。
そのため、ガイアルの巡礼者ははるかにオレロドインを望むこの巡礼堂で祈りを捧げるのだ。
巡礼堂にたどり着いたカイエは、他の巡礼者と一緒に、はるか彼方に見えるオレロドイン火山を見つめた。
巡礼堂からオレロドインまでの距離はまだ相当ある。
モライスの街からオレロドイン火山までの距離は、オレロドインが大噴火をおこしても、その影響をぎりぎり受けない程度だ。
大きな噴火の兆候が見られたら、巡礼堂は閉鎖され、巡礼者はさらに遠くの町からしかこの山を見ることができなくなる。
(あそこに行けば、エーレウスを救う手立てがある……)
オレロドインは遠くから見ても激しい噴煙を吐き出しており、その頂上は厚い雲と灰に覆われ、殆ど肉眼で見ることが出来ない。
炎の竜王が住む聖地。容易に人を近づけない威圧感が遠くからでもひしひしと伝わってくる。
「お母さん。竜王様があのお山に住んでるの?」
カイエの近くにいた幼い少女が、一緒にいる母親に可愛い声で訊ねた。
「そうよ。あのもくもくと煙を吐いているお山の下に竜王様がいらっしゃるのよ」
「竜王様はあのお山にいて熱くないの?」
「竜王様は炎の鱗を持っていらっしゃるの。だから、熱くはないのよ」
母親は娘の頭を撫でながら優しく微笑む。
「ふうん……でも、竜巫女様は人間でしょう?熱くないの?」
「竜巫女様は不思議な力で守られているから大丈夫なのよ」
「竜巫女様はどこにいらっしゃるの?」
「あのお山の頂上に近いところよ。溶岩でできた大きなお池があってね、その真中に大きな岩で出来た島があるの。竜巫女様はそこに住んでいらっしゃるのよ」
「すごーい!」
少女は目を輝かせて山を指差した。
「お母さん。私もいつか竜巫女になれるかな?」
「さあ、どうでしょうね。竜王様がお決めになることだから……でも、今の竜巫女様はお前が生まれる少し前に竜巫女になられたお方だから、次の竜巫女様が生まれるのはまだまだ遠い未来のことね」
「じゃあ、私は竜巫女にはなれないの?」
少女は少し悲しそうな顔をする。
「お前は竜巫女になりたいの?」
「んー」
少女は首をちょっと傾げて考え込む。
「竜巫女になったら、もうお母さんやお父さんや、お友達に二度と会えなくなるのよ?」
「えっ?本当?お母さん」
少女の目が驚きで丸くなる。
「そうよ。みんなのところから離れて、一人ぼっちで暮らすのよ。一生竜王様にお仕えするためにね……それが竜巫女のお仕事だからね」
「そんなのいやだあ」
少女の顔が歪み、今にも泣きそうな表情になる。
「私、竜巫女にはなりたくない。ずっとお母さんやお父さんやお友達と一緒にいるの」
「そうね……それがいいわね」
母親は少女の頭を優しく撫でた。
カイエはこの話を聞き、イーラのことを思い出していた。
鏡湖の浮島に一人で住むアヴィエールの竜巫女イーラ。
館を守る妖精たちに守られ、二百年近い時をたった一人であの館で暮してきた彼女の気持ちを考えるとカイエは果てしない気分になった。
家族や友人と会うことも叶わぬ二百年の孤独。
初めて会った時、イーラの瞳は綺麗な銀灰色で落ち着いた穏やかさがあったが、その瞳が綺麗なだけではなく、妙に寂しい色に見えたのをカイエは思い出す。
そして、カイエは同じような感覚を別の人物にも感じていた。
表情に乏しいエーレウスの黒い瞳。
ずっと思い出せなかった感覚に今気付いた。
イーラを見た時に感じたあの穏やかで、寂しげな感覚。
いや、エーレウスの場合は落ち着いたというよりは、冷たい感じがしたが。
しかし、その根底にあるものは同じだった。
━━━━━━━彼もまた、孤独だったというのか。
巡礼堂を出て食料と水を補給したカイエは、真夜中になるのを待ってモライスの街を出た。
灰よけのフードをさらに深くかぶり、ランタンの明かりを頼りにゆっくりと馬を走らせる。
夜進むのは危険だと判っている。しかし、昼間にオレロドインへの道を行こうものなら、すぐに警備兵に捕まってしまうだろう。
神官以外はここから先へ行ってはならぬ決まり。
ましてや、月明かり、星明りすらない真の暗闇の中を危険な山に向かって進む命知らずなどいない。
だから、夜はオレロドイン側の街門に警備兵はいないのだ。
ただ、街門を閉めているだけだ。街門に鍵はない。だからカイエは容易に街を抜け出せた。
ここから先は道とはとてもいえぬ険しい道。
この道を通るのはオレロドイン神殿を訪れる神官のみだ。
煉瓦で舗装された細い道が山に向かって続いている。この道を外れずに辿っていけばオレロドインの麓に着く。
ランタンで照らした道は酷く荒れていた。
大噴火の時、ここまで飛んでくる火山弾がめり込み、道を所々破壊している。
あたりにはごつごつとした赤茶色の岩ばかり。
溶岩が冷えて固まったものだ。
僅かに毒を含むガスが発生するこの場所に草木は生えない。
周りに生き物の気配は無い。ましてや夜は真の闇。
遠くに見えるオレロドインから噴きだす無気味な炎。
煉獄があるならこういう光景なのかもしれない。
オレロドインの山頂が赤く光り、くっきりとカイエの行く道を示している。
硫黄の匂いが強くなり、煙が濃くなってきた。息も苦しくなってきた。有毒なガスが発生しているのかもしれない。
カイエは口元に布を当て、布越しに息をした。気休めにしかならないが、それでもいくらか楽な気がした。
これ以上進むと本当に不味いかもしれないとカイエは不安になってきた。
しかし、それでもカイエは崩れた煉瓦の道を進む。
道をはずれれば命は無い。
風向きが変わったらしい。
有毒なガスが風で吹き払われたのだろう。少し息が楽になってきた。
もう、かなりの時間こうしている。しかし、真っ暗な中を進んでいるので、時間の感覚は無い。
カイエは身の危険を感じた。この山は本当に危険だと、カイエの全身が感じている。
しかしそれでも、進まなければ。
こうしている間もエーレウスは苦しんでいる。
心の中の妙な焦りがカイエを駆り立てる。
やがて、闇が少しづつ薄まり始めた。
夜が明けつつあるようだ。
ランタンで照らさなくても景色がうっすらと見え始めた時、カイエは視界の先に大きな石作りの建物を見た。
━━━━━━━「ガイアル神殿だ……」




